2020年6月24日水曜日

朝井まかて(作家)            ・江戸の庭師の物語(初回:2015/1/21)

朝井まかて(作家)            ・江戸の庭師の物語(初回:2015/1/21)
2014年に樋口一葉の師匠で歌人中島歌子を主人公に幕末の水戸藩の騒動を描いた『恋歌(れんか)』で直木賞を受賞されている直木賞作家です。
作家デビューは2008年、ただただ一冊書きたいと書き上げた作品が小説現代の長編新人賞奨励賞を受賞して45歳での作家デビューとなりました。
デビュー作は『花競べ 向嶋なずな屋繁盛記』、江戸時代の植物を扱う話が主人公になっています。
以後も「ちゃんちゃら」「すかたん」「先生のお庭番」と続けて江戸の庭師や青物商など花や緑にかかわる人が主人公の物語を数多く書かれています。
読めば読むほど植物について熟知されていることに感嘆してきっと花や緑が大好きな人に違いないと思いインタビューさせていただきました。

植物は子供のころから好きでしたし、植物にかかわる人にもあこがれを持ってきました。
植物の本を読むのも好きでした。
小学校の時には図書館も好きでしたが園芸部に入り、なす、へちま、きゅうりなどを作っていました。
近所のお百姓さんの姿に憧れていました。
玄関に白菜とか置かれていて、お返しなどをやったりしていい時代でした。
子どものころの季節感、においなどを体感して育ってきました。
青物問屋の「すかたん」に出てくる遊び人のような若旦那がいい加減な奴じゃないかとおもったら野菜に対して物凄く知っていて、問屋筋は儲けのことだけを考えているが、やっぱりいいものを食べてもらっておいしいねと言っていただくことが農家にとって喜びだというようなメッセージが込められています。
安いこと、早いことがいいという時代が長く続いて、私たちは何を手にしたかというと、この野菜は大丈夫かなと思うことが増え、お百姓さん、小さな店が立ち行かなくなって、江戸時代もこういうやりとりがあって、何かできないかなあと思ってそして始めてみた作品です。

侍の赴任先に奥さんも行くのかという疑問点があって、大阪の城代に仕えた人の日記に出会って、侍の赴任先には上司の考えによってはその侍の奥さんとか母親、偉い人だったらお妾さんを連れてきて赴任していたことが判って、ようやくかけるのかなあと思いました。
シーボルトのお抱えの青年の庭師の話も、長崎の出島の風景などもかなり研究書を調べました。
コマキとよばれた熊吉という少年ですが、彼は実在の人です。
シーボルトの日本人妻「お滝さん」にちなみ、あじさいが「おたくさ」という愛妾の名からなったということは有名な話ですが。
出島に行って歩くとすごく面白くて、どんどん想像が膨らんでいって書けるのではないかなあと思いました。
家と庭、薬草園、コマキとよばれた熊吉がこんな感じだということ、史実とフィクションを縦糸と横糸にして、編むようにしていきました。
シーボルト事件が起きて、それはなぜなんだろうと思いながら、熊吉と彼を愛してやまなかったお滝さんたちの視点で進んでいるうちに問いかけに対する何かが起きてくる。

熊吉は信じるということで歴史を観た。
裏切られたということもどこかでわかっているんではないかと、いろんな立場の人達が前面的に悪者だと思った人がいれば、シーボルトとのかかわりはあれは本当だったのではないかと思う人もいて、歴史の真実ってなんだろうと思うと、歴史ってのちの世から解釈したものなので、その時々の価値観が必ず入るわけです。
昨年井原西鶴を主人公にした小説を書きましたが、歌舞伎の若衆を出しましたが、その人は資料が残っていて、西鶴がすごくかわいがった人ですが、一番フィクションぽい人です。
本当にあったことは事実とすると、フィクションは嘘ということになるが、真実ということは何かということに思い当たります。
私たちは日々想像力を駆使して生きているわけで、それがある意味現実を作っていたりするわけで、想像力がなかったならこんなに生きてこれないわけです。
お滝さんは絵が残っていて楚々としているようだが、おちゃめなフィクションさを取り入れたかった。

植物は本当に好きで、庭つくりの上手な人にはあこがれていています。
有名な偉い人を主人公に出す場合でもまずは、どんな風に暮らしているんだろうということを考えます。
植物が好きであったのかなかったのかをチェックしてしまいます。
好奇心は子供並みかもしれません。
調べているうちにどんどんいろんなことに出会って、そこからまた先に行ってしまうとか、資料を読んでるときには楽しいんです。
知らないことを知ることは楽しいです。
書きながら私自身の主義主張はあまりなくて、主人公や登場人物を通して、問いかけることができていたり、この主人公成長したなあとか、この子こんな風に人のいうことをとらえられるようになったという表現があるんです。
「庭師の仕事は空仕事」、昔の本で読んだことの記憶があり、好きなフレーズです。
子どものころは高い木に登るのが好きでそこから見下ろした景色、心持ち、感情の体験は忘れないです。
暮らしもその人の人格であるし人生であろうと思います。
花、緑とともに生きている人は好きですし、そのことに対する尊敬を持って生きている人のことも好きです。