2015年2月4日水曜日

丸山 博(松戸クリニック院長)    ・子どもたちの命を救ったサマーキャンプ

丸山 博(松戸クリニック院長)      ・子どもたちの命を救ったサマーキャンプ
昭和38年小児糖尿病の子供達を集めて日本で初めてサマーキャンプを千葉県の勝浦で行いました。
それまで医師でなければ打て無いと言われたインスリンの注射をキャンプで学ぶことで家族や本人でも打てるようにしようと、周囲の反対を押し切って始めたものです。
それから50年キャンプに参加し、。命を救われた子供の多くは社会人と成って第一線で活躍されています。
子供達の命を救ったサマーキャンプ、今年83歳になられ、今も患者さんに毎日向き合っている丸山さんにお話を伺います。

昭和32年に小児科医になる。 小児科医を57年になる。
東京大学付属病院小児科で勤務する。
糖尿病の子供達を見ていた。
2型糖尿病 遺伝的な糖尿病。 1型は交通事故の様に突然に来る。
次第に痩せてゆく、小水の量が増えてゆく、食べても食べてもお腹がすく。
年間 1/100000人ぐらいの確率 
1型糖尿病 昭和26年インスリンで一命を取り止める。(父親が有名な詩人)
家に帰しても後の手当てが出来てないので、間もなく救急車で戻されてきて、繰り返して3回目に私が持たされたというのが糖尿病との初対面でした。
よくよく考えて糖尿病外来を始めた。
家で使えるようにインスリンを供給したり、こっそりと薬局に取ってもらって、実費を頂いて行う。
本当はそのような事はいけないと思われていたが、多くの人が助かった。

法を厳密に解釈すれば、自分の自己存在に必要な事は何でもできる訳ですけれども。
自分で注射したり家族が注射するのは違法だと思われていた時代だった。
しかし一番抵抗が有ったのは医者の考えだった。。
アメリカの糖尿病協会から指導医が来て、回診の時に一緒に回って、サマーキャンプはやっているかと問われて、やって無いというと是非やりなさいといわれた。
第一回 サマーキャンプは千葉県の勝浦で行う。
自分で注射ができるようにすること、小水を検査するやり方、糖尿病食、きちんとした食事を食べられる様にすること。 注射器等の消毒のやり方、等を教える。
8人参加。 当時小児糖尿病は少なかった。

自分で注射をすることによって、病気を自覚をして、治療する。
最初サマーキャンプは5~6日だった。 体力を維持するために鋸山に登ることも行った。
スタッフ 医局の人、検査技師等に声をかけて連れて行こうとして計画を立て、教授のもとにいったら駄目だと言われたが、やってしまった。
おととし第50回を迎えた。
8人からドンドン増えて、一番多かったのは120~130人参加する。
スタッフは2回目からは看護師、栄養士などが参加するようになる。

蕾の会 50周年を記念する本
色々な思い出話が記載されている。
キャンプの卒業生で医師、看護師、栄養士、認証検査技師になったり皆さん頑張っています。
小学生から高校生が対象になっている。
蕾の会  48ヵ所になる。 全部纏めて統合しているのが日本糖尿病協会です。
ガリクソン賞 読売ジャイアンツ、ガリクソンは小児糖尿病だった。 彼の月給の一部を子供の糖尿病で活躍している人に賞を上げようという事で賞をつくってくれました。
福島県伊達町にトレーニングセンターを作る。 (昭和56年  30回ぐらいやっている。)
3・11があり現在は放射線に対する父兄からの不安が有り、未だ使えない状態です。
御殿場で現在やっている。

眼の前の問題を解いてゆくのが仕事だと思って、それなりに人生を生きてきました。
妻も医師、家内の協力なしには、こんなことはできませんから。
てんかん 大半のてんかんは投薬治療でほとんど発作が起こらなくなった。
引きこもりも増えている。  
社会の変化、コミュニティー 子供を取り巻く環境が変わってきてしまっている。
子供自身も昔の強さが無くなってきている。
いろいろな体験が少ない。
ひきこもりは色々なケースが有るので、対応も様々です。
83歳でしんどいけど、楽しいです。(朝8時~午後8時過ぎまで)
心温まるようなニュースが一杯あればいいなと思っています。