柴田滋紀、礼華(NPO法人にじいろクレヨン代表) ・被災地の子供の心を虹色に
東日本大震災から間もなく4年、被災地の仮設住宅の生活が長引き、成長期の子供達にとって心身共に心配な面が出て来ています。
宮城県石巻市にあるNPO法人にじいろクレヨンは、子供達が受けた心の傷や仮設住宅でのストレスのケアーを目的に設立されました。
活動の内容は子供達が屋外で安心して遊べる遊び場作りなどを行っています。
代表の柴田さんは若手画家として地元で実績を積んできましたが、震災直後奥さんと共にNPOを立ち上げました。
私たちが仮設住宅に住んで4年近くになる。
最初慣れなかったが、段々慣れてくると、江戸時代の長屋の様な感じで付き合う様になった。
子供が物音を気にせず思い切り遊べる場所を提供しようと、にじいろクレヨンの事業をはじめた。
普段抱えたストレスを発散してほしいと思っています。
2011年3月11日 海の近くにいて地震が有り、北上川の水が引いて行ったので、津波が来ると思い自宅に逃げて行った。
母と姉とで非難してもらって、私は消防団に所属していたので、避難誘導を街の方々にお伝えしていた。
救出活動をしていた。
夜になり、火災も大きくなり、瓦礫の向こう側に人がいる事は解っていても、それ以上の救助はできなかった。
私の自宅も津波で流されてしまったが、それが判ったのが3日後だった。
家族が全員無事だった。
2日目の朝、家族と合流する事が出来て、そのまま避難所に入ることになった。
妻は山口県の実家にいた。
東北が大変なことになっていると、知り合いから言われて、電話はつながらない状態だった。
夫の友人から家族は無事だったことをメールで知ることができた。
石巻に入れるルートを探して新潟経由で石巻に入ることができ、会えてほっとした。
3月22日の石巻避難クラブを立ち上げた。
石巻高校避難所に1600人が避難していた。
津波から命からがら逃げてきた人が身を寄せあっていた。
子供が100人以上いたが、子供達に眼をむけている人がいなかった。
私たちの隣りにいたのが、お祖父さんと小学校2年生、中学生がいたが、すごく我慢していた様子がうかがえた。
その光景を見て、自分が何ができるだろうかと、考えた。
自分は助かった命を何に使ったらいいと考えた時に、子供達のためにだったら何かできるのではないかと思って、立ち上げたというのがきっかけです。
私(妻)の友人でNPOをやっている人に相談したりして、アイデアを出し合った。
祖父が始めた剣道の道場が有り、父が継いで、私も指導をやっていた。
子供の健全育成という理念のもとにやっていたので、その経験が有ったからだと思う。
子供達の声にならない悲鳴を感じ取った。
自分が出来るのは遊ばせるとか、寄り添うとか、そういったことはできると思っていた。
大人も疲れ果ててずーっと横になっている人が多かった。
普段子供はゲームとかをやって遊んでいたのが電気が無くて、そういった遊びはできなかった。
「にじいろクレヨン」というネーミングは妻が考えた。
夢のある、判りやすくて、色のある名前にしたかった。
子供たちも直ぐに覚えてくれた。
活動は、
①メインは仮設住宅の集会場をお借りして子供の居場所作りを続けています。
ミニ卓球台、けん玉、トランプ、簡易ピアノなど。
②プレイパーク事業 屋外で既存の公園を借りて、伸び伸び遊べる場を作っています。
③コミュニティー作り事業 子供達を見守る大人達を増やしていきたい。
昔の遊びを教えてもらったりして、子供を軸としたコミュニティー、子供達のより良い環境作りを地域の方に参加して頂いてやって行こうという事業
④護国館事業(お絵かき教室の名前 私の剣道の道場が護国館剣道場だったので)
専門を生かした事業 子供達の個性を引き出す。
スタッフ 女性が多い。 男性は私だけで、後は全部女性がやっている。
遊び場に出てこない子供は心配です。
こもってしまっている子にはなかなかアプローチは出来ないのが現状です。
震災直後、最初暴力的だったり、発言も投げやりだったりした、それで傷ついてしまったボランティアの人もいた。
段々子供も生活環境が整ってきて、安定してきたが、石巻の取り巻く環境は変わり続けているので、引っ越しも多くて、学校が変わる、友達が変わる事が日常茶飯事なので、不安定になっている子供はちらほら見られるので、まだまだ必要だと思っている。
関わってきて、繋がりのある子供は安定してきている。
だいぶ認知もしていただいて来て、ボランティアに参加してくださる人もいる。
避難所、仮設住宅でも、子供の声は知っている子供の声 親御さんとの声は、にぎやかでいいなという事になるが、知らない子供の声はうるさいし、恐怖だったりするので、震災での避難所では知らない子供同士が集まるので、子供と大人をつないだり、子供の環境を周りの人に判ってもらう様にするのが、私たちにできる事ではないかと思います。
大人と子供の横のつながりが必要になってくる。
私たちは1週間に一遍なので、生活の場に住んでいる大人が、見守ってくれるというのが子供達にとってはベストな環境だと思うので、そこにいる人たちがどれだけ子供達を見てくれるか、では無いかと思う。
今後、
訪問型だったが、これからは拠点を設け、居る場所が有ってそこに子供達に来てもらうという様な事を考えています。
①児童館 民間で運営していこうと思っている。
②地域子供子育て支援拠点 0~2歳までの子供さんと親御さんが交流できる場を提供しようと思っている。
行政、地域の社長、ボランティアの人、他の支援団体とのつながりの中でやって行こうと思っている。