岡本喜代子(日本助産師会・会長) ・安全で自然なお産を増やしたい
66歳 学生時代実習で血を見て脳貧血を起こして、倒れてしまった時期もあったそうですが、27歳の時ゆめがかない念願の助産師になりました。
岡本さんは助産師として4年間活動した後、教員になり後進の育成につとめました。
46歳の時に日本助産師会の事務局長に就任しました。
当時日本看護協会が助産師の制度を廃止すべきだという見解を示し、これに対して制度を残すため、事務局長として様々な活動を行いました。
現在岡本さんは、助産師会の会長を務める一方、東京八王子市で助産院を開業し、妊婦の健康、子育ての悩みの相談に乗っています。
これまでの経験から可能な限り、自然なお産を増やしたいと考えています、
そのためにもお母さんたちを近くでサポートする助産師を更に育成していきたいと言います。
19歳の時に、血を見て倒れてしまった。
精神面をきたえるために、同志社の神学部にいった。
高校の時にキリスト教に魅かれて関心が有った。
大学紛争の時で1年間はほとんど授業は無かった。
3年間で単位を取った。
最後の実習が分娩で、赤ちゃんがとってもかわいくて、素晴らしい仕事だと思い、チャレンジしました。
助産師を目指して大阪大学医学部附属助産婦学校に行く事になる。
27歳で助産師になって、4年間大学病院で助産師として働く。
一番印象に残っているのは、東海大学では分娩部だけではなく、産婦人科も一緒だったので、他の仕事も手伝ってくれと言う事が有り、癌で亡くなられてその後のケアをして、お産も進んでおり、直後にお産が有り、亡くなられて体温が冷たくなり、その直後にお産の介助をさせてもらって、赤ちゃんの命の温かさが今でも忘れらません。
分娩が自然で経過してゆくときには無理な力が加わらないので、生まれた時に赤ちゃんは皆同じような悟りきったお地蔵さんの様な顔をしているし、神々しいような、めちゃくちゃ泣かないし、天からの授かりものと本当に実感しました。
正常な経過がたどれる人はその人に合った様なお産の進み具合で進む。
人間も大自然の一部だと実感するが、満月と新月のころに生まれやすい。
羊水と海水はほとんど同じような成分になっている。
羊水は500~600cc 子宮の中の羊水も満潮とか、月の影響を受けている。
低気圧の時には白血球のなかのリンパ球が増えて、精神的にリラックスする。
リラックスしていたほうが陣痛がスムースに来るので、台風の後の新月、満月の頃が忙しいんです。
妊娠中の生活の過ごし方によって正常になるように過ごしていただく。
体重も増えすぎるとかない様に、バランスのいい食事、睡眠も少なすぎない様に、する。
自然の経過で有れば一人一人に合わせてお産の進み具合が変わって来る。
その方が体の負担が少ない。
後の子育てを考えた時に、体力が残っている様なお産をしてもらいたいと思っている。
自然のお産は精神面も充実感があるようです。
日本の助産師の教育は外国と比べて実習が少ない。(外国は30例 日本は10例程度)
実践を充実するように口を酸っぱくして言っている。
日本助産師会を充実するために大阪府助産師会の会長だった多賀琳子先生が中心になり、改革が始まる。
日本看護協会 昭和56年に保健師、助産師というような別に資格はいらないと、看護師という一本の制度の方がいいと、総会で決めてしまった。
助産師制度を残さないといけないと思っていたので、多賀先生から要請があったら、ためらわずに行きました。
日本看護協会は看護師、助産師(2万人)、保健師、准看護師等で構成。
日本助産師会はもともとは開業助産師でしたが、今は勤務助産師も増えて9500人ぐらいで、6割以上が勤務助産師となっている。
あまり実践が無いのに資格が与えられるのは、サービスの質が下がるのでお母さんたちに満足していただけるケアができにくくなるので一番反対した理由ですね。
資格を単純化したかった、さかのぼるとGHQのアメリカに助産師がいなかったことがそういうものはいらないのではないかと、保健師制度という 3年の専門学校を出て資格を一つというそういう動きがあったが、再度そういう動きが有ったのではないか。
日本は明治から戦前までドイツ医学が主流で、助産師の制度、教育をしていたが、戦後、助産師のいない看護制度をGHQは導入しようとした。
日本は明治からのいい助産の形態が残っているので、開業権などは世界に誇る制度になっています。
日本助産師会として、どうやったらいいサービスができるのか、電話相談の拠点、命の教育、性教育など頑張ってきました。
今は一緒にいろんなことをさせてもらっています。
平成19年副会長を担当する。
間借りをしていたので自分たちの会館にしたいと思いが有って、同年、場所も新しい場所になる。
研修会、講座等をやったりして地域貢献も出来るようになった。
将来の夢は開業する事だった、おたふく助産院という名前も考えていて、助産院を開きたいとの思いが有った。
八王子に開業する事ができた。(資金は先輩、友人から無利子で貸してもらった)
何かあると全責任を負わなくてはいけなかったので、素晴らしさと同時に大変さを経験しました。
嘱託医の先生が亡くなってしまって、やっと見つかったが車で1時間ぐらいのところに在り、いまは分娩は対応しないで、産後のケア、乳母ケア中心の助産院に切り替えています。
今は助産師は3万5000人ぐらいに増えてきたが、クリニックにはまだ8000人ちょっとしかいなくて、後2~3万人は欲しいと思います。
地域で退院してからのケアは少ない。
母乳にまつわる相談が多いので、近所で相談できると、いいリズムの子育てができるので母親の負担も少なくなる。
核家族が多いので、育てることの不安があり、自分だけで悩む事が多い。
インターネットでの情報もあるが、逆に情報過多でどれを信じていいのかわからないという様な事も出てきている。
しつけという形で大きくなったら迷惑を掛けないとかあるが、両親がきっちりしつけてゆく必要があるが、その辺がちょっと弱い。
自分の気持ちをコントロールできない、子供、大人が増えてきている、其れが子供の虐待、DVにつながってきている気がしてならない。
世界助産連盟があり、各地域にもあり、アジア太平洋地区の大会が今年7月に横浜パシフィコで行います。
色々な研究発表、ワークショップ等あります。
一番の原動力は赤ちゃんから貰っています。
自然な正常産、母乳育児が当たり前、基本は母乳育児、少しでもお手伝いできるようになればいいと思っています。