2014年5月8日木曜日

一盛和世(元WHOジュネーブ専門官) ・昆虫がもたらす病と闘って30年(1)

一盛和世(元WHOジュネーブ専門官) 昆虫がもたらす病と闘って30年(1)
一盛さんは川玉大学農学部を卒業後、東京大学医科学研究所で人間が感染するリンパ系フィラリア症を研究し、ロンドン大学衛生熱帯医学校で博士号を取得しました。
1992年から世界保健機関WHOの職員として、21年間働き、去年2013年9月に定年退職しました。

30年ぶりに日本に帰ってくる。
日本て美しい国だなあと思う。  季節を見ずに来た事は残念だったとも思う。
30年間主に熱帯地に行っていた。 熱帯病の専門官 
熱帯地から日本を見ると全く別の世界だと感じる、完成度の高い国だと思っている。
WHO 国連機関の健康にかかわる専門機関の一つ。
194カ国が現在加盟している。 人類の健康を今後どうしてゆくか、を話し合って年1回総会があり、方針を決める。
それに従って、ガイドライン、指針、基準等を作って、各国政府に降ろしていって、各国政府にそういった仕事をしていただく、そういった機関、世界の厚生省。
世界中から情報も集めなくてはいけない。

熱帯地に在る病気は、経済的に発展していない国が多いので、貧困と非常にかかわる病気。
人道的な意味でも放っておけないので、個々の病気対応から2006年に熱帯病を集めて一つの組織にしました。
リンパ系フィラリア症が専門 虫は細い糸の様な形をしているが犬の場合でも人間でもほとんど同じで、5~10cm。
犬の場合は心臓に入ってしまって、死んでしまうが、人間の場合はリンパ節、リンパ管に入ってリンパの仕組みを壊してしまうので、足が大きくなってしまったり、生殖器が大きくなったりしてしまう。      歩けなくなってしまう。
フィラリア 親虫がリンパ節に入ると子虫を生みだして、子虫は血液の中を回っていて、蚊が血液を吸血するときに子虫も蚊のなかにはいってしまい、成長して、すこし大きくなった段階(感染幼虫)で次の人を蚊が刺したときに、次の人に移ってゆき、リンパ節に辿りついて親虫になる。

熱帯病は10億人がかかっていると推定される。
リンパ系フィラリア症は世界73カ国に蔓延している。
感染している数はかなり少なくなってきていると思われる。
グローバルプログラム 病気自体を無くしてしまう。
フィラリアの伝搬を止める、それをずーっとしているとかかる人がいなくなり、虫もいなくなり、病医がこの世から亡くなる、という戦略でやっている。
感染の可能性のある地域に薬を全員に配る。
薬が子虫を無くす、血液の中に子虫が亡くなり、蚊が刺しても子虫を運ばなくなる。
現在53カ国でその仕事をしている。

薬の調達から、薬を配る人たちのトレーニングから色々なことをきっちりとやる必要がある。
2011年で53カ国に5億人に配っている状況です。
国、風習が違う中で行うので、どういう風に理解してもらえるかが、大変です。
医師、看護師だけでなく、地元のボランティア、学校の先生、教会の人に配ってもらったりしている。
年1回、5年間薬を飲んでもらう。
1回飲めば子虫はゼロになるが、親虫は残っているので、回復してきて又子虫を生むようになる。
12か月たつと50%回復する。
2年目に子虫はゼロになり、それを繰り返すと、5年目には伝搬が行われない状態になると言う事で無くしてゆく。 
親虫の寿命が5~10年なので無くなってゆくだろうろ考えている。

WHOに入る前はフィラリアの研究していたし、WHOに入ってからも現場の仕事をしてきた。
日本では昔はあった、西郷隆盛はフィラリア症だったと言われている。
1970年代までは日本でもフィラリア症は有った。 日本では絶滅出来た。
宮古島に フィラリア制圧の碑がある。
日本の取った方法がいい例になっている。
NDT それぞれの病気は違うプログラムで、病気ごとの取り組みをする。
1997年 当時の橋本首相の名前を取って 「橋本イニシアティブ」
サミットで寄生虫対策を提案した。 それから感染症対策の大きな流れになったと思われる。
熱帯病の取り組みも出来てきた。
日本の貢献も大きいと思う。
洞爺湖サミットでも顧みられない熱帯病がひの目を見た。
2013年 WHOで決議案ができた。
2020年までに熱帯病を根絶、制圧、対策をきちっとやってゆこうと決議案ができた。

日本のやり方を世界のやり方として使っている。
日本が何をしていかなければいけないか、役割を考えている。
国の発展は人の健康が大事、その観点から地球と言うものを、どう維持、発展させてゆくかは、地球の上に乗っている一人ひとりの健康を、考えていかなくてないけないので、日本のノウハウは使えるので、日本人がこれからやるべきことではないかと思っている。