2013年6月3日月曜日

小泉和子(館長)         ・昭和30年代に暮らし、昭和30年代の暮らしに学ぶ

小泉和子(館長)     ・昭和30年代に暮らし、昭和30年代の暮らしに学ぶ
昭和8年 東京生まれ 昭和33年に女子美術大学の洋画科を卒業、昭和45年から5年間東京大学の建築史研究室の研究生として、日本の家具、室内衣装史を研究して、工学博士号を取りました
小泉さんは14年前から、かつて一家が住んでいた、東京、大田区にある住宅を家財ごと、昭和の暮らし博物館として保存し、昭和の暮らしを考える様々な企画やイベントを行ってきました
最近は昭和の暮らしの学校を立ち上げています
これは高度経済成長期以前の日本人が持っていた生活技術や、人を育てる力を体験講座などを通して、取り戻そうというものです

1999年に博物館、設立 14年間になる  暗闇の海に一人で漕ぎ出すような気持ちで始めた
ここに昭和が有るというたたずまい  子供は小学生が来て、「おかあさんなつかしいねえ」と言う  「あんた知らないでしょう」というと 懐かしいという  何人もが言う
あのようなたたずまいが、懐かしいという言葉にあっているのではないかと、子供ながらに思うのではないんでしょうか
こんな小さいところに良くいましたねとか、逆に言われたりすることもある

1951年 昭和26年に父が建てた  住宅金融公庫を利用した  
9坪~18坪が規制基準になっていた  建てた家を担保として国が貸してくれる
住宅金融公庫の一つの例として、平成14年に国の登録文化財に指定されている(18坪)
土地は80坪から100坪用意しろと言われていた
平成4年まで住んでいた  空き家になってしまったが、取っておきたいと思った
父が自分で設計して、自分で監督して作りましたから、割と傷まないで残っていた
当時の家財道具も残っていて、どのように暮らしていたかの記憶が残っている

昭和の暮らし博物館 30年代前半が色濃く残っている
昭和33年に大学を卒業 34年に結婚 38年に目黒に移転 東京オリンピックが39年
昭和34年~40年まで岩戸景気(35年に池田内閣の所得倍増計画)
43年になると GNPの自由世界の第2位になる
昭和30年  55年体制  このころ電気がま、トランジスターラジオが発売
29年に3種の神器が登場 TV、洗濯機、冷蔵庫  団地も発足
35年 冷蔵庫が5% の普及率 
40年 冷蔵庫が50%になり、53年になると99%となる 凄い普及率だった
41年に新3種の神器 と言われて、カラーTV、クーラー、車 

生活の面では
32年にはスーパーマーケットのダイエー1号店が、大阪で開業
33年は東京タワーが完成(年末) 即席ラーメンが登場 
36年にレジャーブーム 39年に海外旅行が自由化  45年が万博

どの時代も光と影があるが  
30年代は敗戦後の混乱から立ち上がって、経済成長に進んだ時代  
日々生活の豊かさを実感していた まだまだ30年代は貧しかった 
家電製品が次から次へと出てくる  アイロン、扇風機が買えるとは思えないようだったが
アメリカの生活様式がモデルとして、入ってきた  そういった大きな目標があった
戦争がないという安ど感 家父長制の廃止 男女同権 地主小作の廃止 それまで人々を縛っていたさまざまなものから、解放されていった (実感して行った)
家族、地域社会のつながりはあった (近所仲良くしていた)  家族構成は多かった
子供たちも手伝ったりしていた 一家団欒という時代 ラジオ聞きながら食事をすると言うような

経済成長こそ、何より大事と言って工業化に突き進んでいった
物を持つ事、お金を儲けることが目標になって、進んでいった、公害、環境汚染、環境破壊とかが凄く進んで 3大公害病 喘息、イタイイタイ病、水俣病 40年代に入って顕在化する
お金第一と言う事になって、お金に対して貪欲になり、義理も人情も振り捨てちゃうというように、これによって荒廃していったと思う
政治に対して絶望したり、無関心になっていった  格差社会になってしまった(現代)

豊かな生活だけが目標になっていった  
便利で快適であることが生活の豊かさだと勘違いしてきたと思います
具体的に言うとアメリカの生活様式  それが素晴らしいという事で伝統的な生活様式 文化を否定してきちゃったので、家を壊して、街を壊して、共同体を壊して、家族崩壊、孤独死と言うような社会になってしまう元を、30年代には気付かずに、どんどんそっちの方に進んでいってしまった
そこが出発点で有ったなあと、日本の伝統文化も否定されたものですから、日本人としてのアイデンティティーというか、基盤を失ってしまった

唯なつかしむだけではなく、今の生き方に当時の利点を、どう生かしていくかになると思う
一番落としてきたものが、精神的なもの 物質ではなく精神的な豊かさと言うものを、生きる目標と言うか、回顧されて懐かしい、注目されているかと言うと、現在の生活に人々が幸福感を感じていない
物は豊かになって、車は持った、エアコンも持った、しかし充実感がない
何となく将来への不安と言うものがあって、生きる目標が見つからない 精神的な空虚感がカルト集団が沢山出るようになったりもした
軌道が間違っていたと思う  物質的にはもう充足してしまった

昭和30年代の暮らしが日本人にとっていいのではないかと思っている
日本は貧乏文化を洗練してきた国だと思う  金持ち文化は日本にはない
生活文化は歴史的に形成されてきたものが、生活文化としてあるので、日本は大金持ちになった事がない しかし、恵まれた自然があった
自然を大事にして勤勉に働けば生きていけることができる、という そういう事で自然を非常に大事にする

あまり電気を使わず、自分でやれるような力を持たなくてはいけないと思う
多少の不便はある 人間の絆、つながりがあって、人々が助け合っていたという事が皆さん良いと受け取られている
そのためには働かなくてはいけない、骨を折らなくてはいけない 我慢もしなければいけない、自己犠牲もしなくてはいけない  こういったことが30年代の生活を支えてきた
ところが、それが嫌 嫌なことはしたくないというのが、ずーっと一貫している
しかし嫌なことをすることによって人間が育つ  子供もお手伝いして、理解してゆく

地域社会 今から見るとおせっかいと言われるような感じだったが
昭和暮らしの学校 震災以後絆は大事だと判ってきているが、自分で生きてゆく力を取り戻す必要があると思っった
石見銀山にある熊谷家住宅という重要文化財の建物の館長もしているので、石見に良くいく
そこと、昭和の暮らしの家で 夏休みに親子教室を開く
定期講座で資格認定 教える人も育てようと思っている(先生になっていただく)  修了証書
および教えることの出来るような資格認定

「家を残し、暮らしを伝えて、思想を育てる」 
イベント、勉強をする中でいろいろ考えていただきたいと思う
物で無い、精神的なものを目標にしてゆく