2013年5月11日土曜日

奥明栄(カーボン樹脂会社副社長)   ・日本製のボブスレーでソチオリンピックを目指す

奥明栄(カーボン樹脂会社副社長)・日本製のボブスレーでソチオリンピックを目指す
レーシングカーの開発を手掛けてきた「童夢」の子会社の社員として、レーシングカーのみならず、長年のレーシングカー開発で培った軽量化設計技術と炭素繊維強化プラスチックのCFRPの成型加工技術を駆使して、様々な部品や構造物の製造、成型業務を行ってきました
奥さんがつくったレーシングカーは自動車レースのルマンでも上位入賞を果たしています
現在はカーボンファイバーの技術を生かして、2014年のソチオリンピックのボブスレー競技の日本代表のそりの開発に大田区の町工場と共に下町ボブスレーのメンバーとして取り組んでいます
レーシングカーに魅せられ、ボディー屋として打ち込んできた思い、ルマンに挑戦した空力の経験と知識を如何にソチのオリンピックのボブスレー競技の日本代表のそりの開発に活かすのか伺います

幼いころから車が大好きだった 機械、全般的に興味を持っていた(ばらしたり、作ったり)
理科とか算数は興味があった  同志社大学、機械工学科 自動車部に所属 車の整備、早く走るための改造等、自動車の競争に興味をもった
レーシングカーを作っている「童夢」との出会い  日本製のスーパーカーを作るというニュースがありすぐさま門をたたいた
図面書きを依頼されその日から手伝う事になる  設計を手掛けるようになる
気がつくと社員になっていた  (当初はそれを仕事をするとは思っていなかったが)
同好会みたいなものだった 設計した図面が翌日は部品になっていた(感動的であった)

童夢はエンジン以外  シャシー、ボディー、ギアボックス、サスペンション 電装系、燃料系全て
ルマンには17回参戦する(昨年まで)  予選は一周の早さ 決勝は24時間壊れずにどれだけ長い距離を走れるか   予選がPRポイントだと重点を置いていた  いい成績を残した
自動車メーカーは資金力があり、エンジンのレベルが違っていた
車体性能でどれだけチャレンジできるかが勝負だった
車体設計にいろんな考えがおりこめるのが面白かった
ルマンはストレートコースが多いので、違うコンセプトで戦おうとした(空力=空気抵抗を小さく)
ダウンホース(地面に車体を押しつけるような力) 如何に抵抗なくダウンホースを得るか 

車体の後ろの羽根 数mm (街を走っている車は150mm程度) 狭い空間にしてそこの流速を高めることによって、負圧になると、ダウンホースにつながる
いかに最適な形を導きだしてゆくか 当時は実験設備がなかったので感覚的にデザインしたりしてやっていたが、実態と違う部分があり、学術的な開発とは言えなかった
論理的に最適化する手法が必要だなと思い出した
実験装置を開発することが先決だなと思って風洞実験設備を1986年あたりから開発するようになった

地面と車体の位置関係  接近している(5mmぐらい)ので、地面が風速と一緒に移動する
ベルトにして風と同調させる(非常に実走行に近い状態が再現できる)  格段の進歩があった
軽量化が次に大事   軽くて剛性がある事が必要  
1983年にF1にカーボンファイバーを使われた車体が出てきた 
材料メーカーからサンプルをもらう これはすごいと思った(軽くて強い  アルミとは違うと思った)
1984年に2輪で一回作って見ようという事になる  1年がかりでものにする
最初は成型法がさっぱりわからなかった 設備、テクニックが必要 最初は平板ができなかった 
金属から樹脂へ変えていいものかどうかの思いがあったが
最初安全のマージンを取りすぎたのか、軽量化にあまり得られなかったがこれは凄い材料だと思った(これと多分一生付き合ってゆくんだろうなあとの思いがあった 金属とは異次元)

曲りなりにも設計してほしい形が作れますねという様になるのに10年かかっています
レーシングカーでできるのであれば、こんなものができないのかとの問い合わせが来るようになった
例、介護用のバスタブ、とか  将来こういう事業も成り立つのではないかとの思いがあった
童夢のカーボン部門が独立して、レーシングカーだけではなくていろんな用途の開発を手掛けるようになる
ちょっと甘く見てたのは、他の用途はだれでも使えないといけない  どういう使い方をするかわからない  沢山、安く作らないといけない 
品質が安定していないと駄目(量産品の基本) と言う事よくよく考えると高いハードルの世界である  お客さんあっての仕事なのでお客さんの立場に立ったもの作りでないと駄目だと思った

エネルギーを瞬間ではなく継続的なパワーに置き換えることが必要だった(レーシングカー造りからの考え方への変更)
ボブスレーのそりの製作  町工場と共同開発 ビジネスとは違う見地からやっている
1995年いろんな話が舞い込んだ時期に 長野オリンピックを控えたボブスレー連盟から依頼を受けたことがあったが、形にするまでには至らなかった
いつか作ってみたいなあと思っていたが、今回偶然に舞い込んできた
技術を進化させるのには、競争の場が必要  そういう場に放り込まれないと駄目
若い技術者にも体験してほしかった   一般の製品はリスクを負わない
崖っぷちを渡るようなリスクの中で生まれる技術があると思うので
昨年設計してプロトタイプができて、それが良かった  全日本選手権に出して、ぶっちぎりで優勝してしまった

3月にアメリカに持って行って、国際デビュー  改善するならこのようにすればと良いと判ってきたので、現時点では持てる力を全部投入すれば、完成されたものになる自信はある
骨格は鉄でないといけない 骨格は大田区の町工場が担当 外皮のボディーは私たちが担当する  カーボンマジック社が4月で童夢から東レの傘下になる
独自にやっていっても発展成長はしてきたが、より一層の発展を一気に進めるチャンスだと思った
東レは炭素繊維のトップメーカー 一般の自動車へのカーボンコンポジットの展開が本格化する
航空機部品への展開  設備投資、体制の強化等大変な労力が必要
具体的な展開ができるのではないかと思っている
高速鉄道、リニアーの領域    高速で移動する物体にはうってつけの素材です