2013年5月22日水曜日

速水亨(林業家)         ・林業の可能性と森の豊かさを愛して

速水亨(林業家)・林業の可能性と森の豊かさを愛して
1953年生まれ、慶応義塾大学を卒業後、東京大学農学部林学研究生を経て、実家の林業に従事してきました  速水さんは林業の先駆的な経営で知られ、2001年に朝日新聞明日への環境賞森林文化特別賞を受賞しています

昨年、「日本林業を建て直す」出版 林業の仕事を300年先を見ながら思い描きながら、経営している こういう仕事と言うのはほかにはないと思うので非常に幸せだと書いてある
実際には林業は100年、200年、300年の木も生えている場合があるわけですね
それを偶然として見ないで、ある目的を持ってそういう森林を作っていこうという事なので、特別大それたという事をしているという気持ちは無い
今80年、100年の木を切っているが、その中に200年の木が残っていたりする

立木作業 太い木のことを言うが残しておく 300年先の森  今80年、100年の木を切っている中から1割ぐらい残してばらばらに 100年たったら 1ヘクタール 300本のうち30本ぐらい残して100年たつ 30本の木が200年になる それが半分になって15本ぐらい残っている
100年の木を残した時に木を植えているので、それが100年になっている  それを又30本残してゆくという事を繰り返してゆくと、300年先に最初に残した30本の木が4本ぐらいになって、その木は400年の木になっている   その次のが300年の木が7本  200年の木が15本、100年の木が30本あって、その下に苗木を植えてゆく
植える人と切る人が何らかの形でつながっているというものでもなくて、山がつながっているだけ
森林がつながっているだけで、管理しているものが変わってゆくというのは当然ある
今日やらないと400年、300年先の森はできない

吉野林業が(奈良県) 人工林のスタートであることは間違いない
私で9代目になる(1790年に分家)  子供のころから山に連れて行かれた
小さいころの山に関する思い出が二つある いくつかの要因が重なって家に帰ってくる
1970年代 林業は1980年ぐらいは木材の値段はピークだった
私が帰って1年ぐらい枝打ちしたりして作業をしていた 自然を相手にすると勉強をしないといけないなあと思いたって、もう一回、東京に戻って林業の勉強をまじめにした

父は科学的な見る目を持っていた 学者との交流を持っていた 
帰って現場へ行っていると、経験則の話が多くなってきている 自分で得心するためには数値化しないといけないと思った 計測のやり方を大学では習っていたので、木の高さ、太さ、樹齢などを時間を作って数値化した
そうすると枝打ちはどのぐらいにしたらいいか、とかを数値化した
経験則で話す人たちと私の頭の中にある表とか図などからのイメージとの会話が一致するようになった
私が帰ってからは材木の値段は下がる一方だったので、管理するのに助かった
1960年代初めに林業での丸太は関税が無くなった(丸裸のまんまポンと自由化された)
木の値段の上昇率はぐっと抑えられて、人件費は高騰(高度経済成長期)した
1980年代に林業経営が非常に厳しくなった
昔はどんな木でも売れた、(農作業にかかわるものも含めて) 間伐材が売れた それが売れなくなった
苗を植える費用が無くなったしまってしまった
円高基調であると、輸入材を扱った方がよくなって、外材に集まった

阪神淡路大震災で木造住宅がおおく破壊された
都市部の木造密集地はかなり以前に建てられたものが多い(リーズナブルで柱などは細い)  倒れやすかった
東日本大震災では木造住宅でも地震の倒壊は少なかった 田舎の建築物は柱とか梁は太い)
木造住宅は弱いとの報道等があり、敬遠されがちになる
大手の住宅メーカーは地震に強いとかさまざまなPR、数値的な説明ができた 木材住宅ですら大手に移って行った
リーマンショックでも厳しかった  30歳代のかたが家を建てる時期が多い その人たちの給料が一番下がってしまった 非常に安く建つ住宅が主流になってしまった
10年間保証法律ができた 10年持てばいいというような建て方も、やるようになってしまった
木造住宅に対する消費者の目が厳しくなった 木造住宅は生きているので厳しい
むくの材木は売れずに、ベニヤだとか修正材だとかが売れるようになった
本来の日本の木の良さを打ち出そうと思っていた建築が立たなくなってきたのが、大きな流れとしてでてきた

林業経営として 1000ヘクタール所有レベルはどっちかと言うと、小の上か中の下のレベル 
製紙会社、商社 4社が 19万から4万ヘクタールぐらいで日本で一番大きい
その下に個人で持っている1万ヘクタールぐらいのところがある
100から500ヘクタールの人は年間所得は26万円ぐらい 平成になったころは500万円あった
兼業でやっていかなくてはいけない  切っても利益が出ないだから木を切らないことが起きてしまった

昨日と同じことを今日やるのはやめようと、
下草狩りはどうしてやるのか →植えた苗木が成木になるのを整える
植えた木を全部育てなければいけないのかとの議論をやってゆくと、下草狩りをやらないで良いのではないかと やらない方向 (全くやらないわけではないが)で上手くいく
枝をうつ  枝打ちはやるが、枝打ちをする木だけを選んで、枝打ちをする

木は競合させないで育てると駄目なのでもともと少なく植えるわけにはいけない
上手く予想をして、変えてゆく 
100年残っていた木は 2%(良い木) その中から良い木を選ぶ (最高の木) 
それを新しい、さし木の方法を考えて、今10万本ぐらいにさし木で増やした

新規機械の導入で作業時間の短縮を図る
林道 本当に林業のできる林道の作り方の工夫
山の管理は光の管理 なるべく光をたくさん入れて、下草をはやして、広葉樹をいっぱい繁茂させて、そうすると降ってきた雨は地下水になる   
生物多様性 山は足を一歩踏み出すと、足の下には5000個ぐらいの生き物がいる
生き物の集合体が森林になっている  
素晴らしい人工林として事業ができれば素晴らしいと思っている
都市に木材を 今までは鉄筋コンクリートがいいとどんどん作られてきたが、もう一回木を使ったものを使おうと動きができてきている
日本は7割を輸入しているが、日本の木でもちゃんとできるように、森林をみんなで考えるようにしていただければ、と思います