2013年1月8日火曜日

広井政明 (77歳)       ・元禄から続く江戸駒の技

広井政明 (77歳)            元禄から続く江戸独楽の技   
江戸独楽はよそ300年前の元禄時代に生まれました  
ひねり独楽、カラクリ独楽 等3000種類が有ると言われる   
江戸独楽を作る職人は政明さんと 兄の2人だけに成りました 
 9歳から独楽作りを始めて、7段飾りのひな人形をすべて独楽でつくる代表作が有ります   
海外のグーグル美術館等で展示されていますが、国内でも常設館を作り江戸独楽の意気と技を伝えたいとお話になります   
  
かつては子供の遊び 今では子供が自分で回すということは無くなった  
縁起物として飾っているところが有る (関西、九州 等)   
縁起物 としては 一本立ちをする  微動だにしない  同時に回して止まるまでの時間が違う止まり方もそれぞれ違う  人間みたいな姿   
ひねり独楽 まわし方は基本的には4つある  指先でひねって回す  こねって回す 
合掌独楽 ベーゴマ 細い糸で独楽を回して柄を持って紐を引っ張ると回る   
三味線を持っている女性がいて、独楽を回すと三味線の音がする物が有る   
総称して江戸独楽という  
  
東北にいくとずんぐり駒(雪の上でも回ることが出来る)  
日本ぐらい豊富に独楽があるところは無い  ぶっつけ独楽 どっちが先に止まるか を競う   
父親から習ったのか35種類ぐらい  
段々に景気が良くなって独楽に目を向けてくれなくなって、新しいものを作ると面白い独楽が出来る 30代の後半から続いて、まだ続いていて気が付いたら何千種類となった      
兄は物語性のある物を作る   私はメカニックを大事にする 
独楽を動力源にして遠心力とか、振動とかを利用したおもちゃっぽい独楽を製作する   
色は5色 赤、桃色、緑、黄色、紫   5色だとうるさい場合が有る 3色ぐらい   
ひい御爺さん  江戸時代の末期に 徳川家の御典医だった  
趣味が金魚と独楽  独楽を自分でつくった 箱根からひきもの屋を呼んで習った
  
お爺さんが本格的に始めて、売ったりするようになった  
父 健次郎、伯父さんがいた(戦争で亡くなる) 父が3代目となり浅草名物になった     
父は商売は下手だった 世の中の動きの中で新しい玩具として広まった 
問屋と仲見世に卸した 当時3軒あったが2軒は継ぐ人がいなくて廃業   
戦争で家が全焼して、仙台に疎開した 親戚も無く厳しい状況だった 
仙台に越したことによって辛うじて江戸独楽を残すことが出来た   
明治100年 昭和45年ぐらいの時にあらゆるものはプラスチックのものに成ると言う事が一般的な常識になって手作りは無くなるとのことでお先真っ暗になった   
反抗心が起きてきて、リバイバル 江戸独楽復活という事で話題になった  
兄はおとなしい 私は前向きな性格だった   
お客さんが珍しいもの珍しいものとの要求が有り、気が付いたら沢山の種類を作ってしまった    
この年に成っても技術は旨くないとは思うが、好奇心はあって、やってみるが失敗してしまう  食えないなら食えないなりにやってゆこうと思っている   
過去の失敗は腕が覚えている そうするとその原因を冷静に追及してそれが完成した時は嬉しいですね   
全国のデパートを轆轤を持って回っている  目の前で駒を作って、楽しみであちこちに行った  当時は今と違って感動していた   
銀座のサラリーマが一番感動していた  
海外からも声が掛って、アメリカのシアトルに行って12人の職人を連れて隊長として行った   
彼らは数分で出来上がる独楽を見て吃驚していた  技に驚いた 
 一種のマジックではないかと思われた 他にも世界のあちこちに回った
  
エクアドルに行った時に40代の人が来て 自分もこういうものを作っているので轆轤を貸してくれと言ってそこに座って 同じような独楽を作った 吃驚した   
設計図は無い 頭に思いついたものをそのまま作る  
これからの人に残すためには人間を作りたい 後継者   
図面が有ったとしても解らない 考えられない技術がある     
材料 日当たりのいい部分(成長が早い)と日当たりの悪い部分(成長が遅い)がある  
重さが違う  良い独楽は木目が均等 良い環境ではない処 に育った木が木目が均等になっておりその方がいい   職人は失敗しないといい職人には成れない    
皆さんに見せたいが独楽を見せる処が無い
   
1/15まで深川の東京モダン館で展示することになった   北海道で茶々館で常設している    
ルーブル美術館では70点ぐらい展示している  
永久展示はフィンランドのロバリーニに200点近く展示されている   
曲独楽の復元(伝統)とカラクリ独楽(自分の感性の創作)の2種を持って行った  
いままでつくった創作独楽は日本では売れない  買ってくれない   
ルーブル、ヨーロッパ、アメリカでも 創作したものこそ将来残そうと、現代を残すと言う事はそういうことなんだと いう事でそれが大いに元気の源に成った   
職人はアーティストとは違うのでお客さんに買って貰うのと 新しいものを作るのとあり、新しいものを作るのが楽しい  

アーティストは自己主張、ヴァイオリンを弾く独楽を作ってほしいとの要望が有り、頭を痛めている    
沢山の支えが有って、辛うじて食べていける  
技の後継者 いくら面白いものを作ってもお客さんが認めてくれないと売れない   
最近は関心が無くなってきているので、老体に鞭打って 伝統的なものから創作までつくっている   
息子 継ぐつもりでいると思うが 同じような手仕事をしている人がいて 後を継いで良かったよという職人と辞めて良かったよという職人がいて、継いではたして食べてゆけるのかという不安はありますね  
がんばれコールが支えには成るがただガンバレだけでは駄目で、買ってくださいと思います