2013年1月18日金曜日

秋山弘子(69歳)        ・働くセカンドライフを創り出す


秋山弘子(特任教授69歳)    働くセカンドライフを創り出す  
東京大学 教育学部卒業後 ミシガン大学で老年学の研究を続け、2006年から東京大学高齢社会総合研究機構で特任教授を務めている 
超高齢化社会を迎えつつある日本で、高齢者のセカンドライフを考えるにあたっては働く事にもっと価値を見出すべきだと考えています
この考えを社会で実現させようと 千葉県柏市の団地で生き甲斐就労の取り組みを始めました この事業は東京大学や柏市が共同で取り組んでいて会社などを退職した住民が無理をせず働く事が出来、しかも生き甲斐も感じられるようにしようと言うものです  
新しい取り組の元、柏市の住民はどのように働いているのか 、老年学(ジェロントロジー)の研究者としてどのような 人生を歩んでこられたたのかを伺いました
 
定年退職した後も働く事は個人にとっても、社会にとっても良いと思います 
健康にも良いと思います 
60代で殆どの人が元気で知識、技術 を持ち 仕事関係のネットワーク持っている 
何かしたい、とは思うが何をしていいかわからない
社会にとっては60歳までの方が社会を支えて、65歳以上はささえられる人  
今後騎馬戦から肩車に成る(ささえる人が少なくなる)
何らかの形でリタイアした後でも働き続けられるような、社会の仕組みを作っていくかということは社会にとっても重要だと思います
25年ぐらい 高齢者の6000人の追跡調査をしています 75歳ぐらいまでは約8割は一人暮らしが出来るレベルで元気です

その辺りからすこしずつ身体の機能体力が低下して、支援が必要になる  
之から75歳の方が全人口の2割を占める時代が来る
75歳を80歳ぐらいまでは元気でいられるようにすることが大切だと思っています
厚生労働省での高齢者の就業率と医療費の研究が有るが、高齢者の就業率が高い県は医療費も低いというデータが有る
働くと言う事が高齢者の健康寿命を延ばすと言う事を確信して プロジェクトを始めました
研究者は伝統的に大学の中で研究していたので、実際の社会に出てコミュニティーで底の課題を解決すると言うことは無かった
行政、自治体、商店街の方とチームを組んでやらなくてははいけないと言うのは初めてなので、小さいハードルから大きなハードルまでいろいろありました 
 
一番大きいものは全ての組織が縦割りだと言う事、大学も、地域も縦割り  学部が10個有るが学部間の壁が大きい 又市役所に行っても部局の壁が厚くて、健康保健課と農政課、商工課は全く連携が無い これが一番のハードルでした   
近未来 20年先の未来を皆で語ってどういう社会が良いかと、理想の社会の絵を描いて 皆でそれをめざして皆で協力しようと同じゴールをめざして
自分の処から何が出来るか、という事に発想が変わりました 
市役所も同様に それから非常に効率が良くなりました
これから人口が高齢化するのは都市近郊のベットタウンである 柏市を選びました  
40万人の都市  大きな団地が有る
高度成長期で多くの地方の人が入居 現在の高齢化率(住民の65歳以上の率)が35%を越えている 

日本の2030年の人口構成と非常に似ている長寿社会の街作りのフィールドとしては非常に適している   プロジェクトを進めることになる
リタイアした人にいろいろ話を聞きました 従来の様な仕事のスタイルはしたくない 
自転車、或は歩いていける場所で働く フルタイムで働きたくない
自分で時間を決めて働きたい    
柏市の資源 肥沃な農地がある 農家の方が高齢化して休耕地に成っている 
長期に借入てそこで働く
ホワイトカラーだった人には農業が合う (全く違って)現在50~60人が働いている

人生90年時代 2つの仕事が出来る   二毛作人生   やってみると意外と面白い 
農家の経理を見てみるとみていられない(経理経験者の目)農家の経理を見てあげる 時間がいろいろで労務管理が難しい(労務経験者が対処)
専門性を生かしながら農業をする  休耕地を開墾して農作業、新しい仕事を作ってゆく  
健康的な生活に成った 繋がりが出来た 笑顔が見られる 
学童保育 海外駐在者であった人が英会話を教える  
助成金が有る時だけでその後は止めてしまうのではなく継続性を、重視している(採算性重視)   新しいビジネスモデルに関しても出来るだけ支援をしたいと思っている  
当時大学紛争終了後、余り変わらなかったので失望してアメリカに渡った、老年学が芽生えた時だった 
高齢社会の個人問題、社会の問題の解決型 やりたいのはこれだと思いました  
私はお爺さんお婆さん子だった  高齢者に親しい感情を持っていた(関心を持っていた)  
日本が高齢化社会を迎える 勉強もきちんとしたカリキュラムは無かった 
ほかの分野の教育をした方が高齢者の学問をして進めた
アメリカの高齢者 生き方が日本とは違うと感じた 当時日本は3世代  アメリカでは一人暮らし 自立が非常に重要
高齢期における自立を掘り下げてみたいと思った(博士論文)  
大学院で教べんを取ったが、社会人の人が多かったので、この理論がこの問題解決に如何役立つかという視点からいろいろ質問された  
 
東京大学で非常勤講師の話が有り、アメリカでは良い研究環境であったので帰って来ることは考えていなかった
院生の半分は女性、老年学という学問が日本の大学には無いと気がついて、日本も高齢化社会を迎え今貢献できるのはと思って単身で帰ってきました 
大学は完全な縦割り社会 文部科学省の予算、人材が学部に来る  
予算も付かない、人も付かない 組織を作ることが非常に難しかった  
大学が法人に成った 小見山総長 真理の探究においては貢献してきたけれども、社会の課題を解決することに貢献していかないといけないとの話が有り高齢社会総合研究機構の前身となる組織が企業の寄付を募って出来た
 
フィールドでの研究  社会の中に介入して解決して行こうという研究  研究者にとって非常に学ぶことが多い(住民、よその方から)啓発される
研究が喜びであるとか、これを解決するためにはもっともっと考えなくてはいけないとか、議論も活発に行われたし、自分のバックグラウンドには無い視点が飛び交うわけです 
異なるもののぶつかりあいから新しいアイデア新しい解決法を見つけて行くということは研究者にとってこの上ない喜びです  
75歳以上の方と聞きとりしたが、そうなんだと思ったことは 今住んでいる処で自分らしく歳を取っていきたい 
その様な生活環境を作って行く事が老年学の大きな課題の一つだと思います
 
①人生一毛作 のプラン  今柏等でやっていることを自分の街でやろうと言う事  
②土いじりが好きだが 空き地が無いので今はどういう形で農業が、始められるか情報収集して
 いて プランターとか小型の野菜工場とか マンションの庭でも出来る様な農業を考えている 
③外国で行った先で住んでみたいと思った国が有るのでそこで生活してみたいと思っている 他にも有るがここ2~3年で絞ってセカンドライフをしてゆきたいと思います