2012年8月18日土曜日

林啓介(78歳)         ・奇跡の友情 板東俘虜収容所

林啓介(78歳)           奇跡の友情 板東俘虜収容所  
第一次世界大戦の際 日本が中国チンタオで捕虜にしたドイツ兵を収容するため現在の徳島県鳴門市大麻町に作られたのが坂東俘虜収容所です
大正6年から3年間多い時で1000人を越えるドイツ兵が捕虜として過ごしました 
しかしその暮らしぶりは捕虜の収容所というイメージとは違って,自主的な運営が認められ文化的な活動も行われました 
捕虜によるオーケストラがベートーベンの第九の日本国内の初演を行ったことでも知られています  
周辺住民との活発な交流によってドイツの優れた技術や文化が伝えられ住民たちは捕虜たちとの友情と思い出を1世紀経ったいまも語り継いでいます
収容所で働いていた父からドイツ兵との思い出を聞かされたと言われます 
教職を退職した後 ノンフィクション作家として活動する林さんはライフワークの一つとして,坂東俘虜収容所について調べてきました  
日独友好にも努めています 
人道的な管理はどのようにして実現したのか,奇跡の友情は現代の私達になにを語るのかお聞きしました  

ビールの大ジョッキー 大谷焼きの窯元で作った  
80店ぐらいの店も出した(捕虜の人達) 収容所内に入れて見学ができた
バター、チーズの作り方も教えてもらった 
パンの作り方 6カ月学んだ (修了証書を発行) 
5年による発掘調査が終了した  測量図が見つかり実に正確だった  
捕虜たちによる自主的な運営  段々といろんな生活をいやっていけるようにした  
いろんな技術者、酪農家等 優秀な人達がいた
第九の演奏 いろんなクラシック、オペラ等200曲ぐらいが演奏された  
楽器はチンタオの沿岸警備隊の楽隊があり,自分でも好きな人は楽器を持っておりチンタオから来る時に持ってきた 
不足はドイツから来ていた企業が救援組織を作って買い足してくれた
   
第九の演奏には捕虜が聞いていた 出来るだけ気概を持って健康で帰れるようにいろんな活動がされた  
スポーツは恵まれていて ここは陸軍省が借り上げて 自由に作らせた  
テニス、サッカー場 音楽の野外演習場 等捕虜たちが作り上げた    
商店街 での購入のお金  勤めていた会社から出向と言う形で支給された 
全体でプールしていろいろな経営に役立てた
薬局、パン屋、等々  ドイツの村を作ろうとの意識であった   
捕虜同士の文通もできるようにした  新聞も発行した (日刊から週刊に変わってゆくが)
情報が無いので彼ら自身が集めた情報 日本の新聞を翻訳したもの等を記載
強制労働は無い スポーツ、勉強する人もいるしいろんな工夫をしていた  
散歩は弁当を持ってゆく 殆ど自由に水泳大会をやったりバーベキューをやったりした
大事にして貰ったことを忘れられずに訪ねて来てくれた人がいた  
捕虜の身でアルバイトをしていた人もいた(洗濯屋)  
85人がこちらで亡くなったが慰霊碑が建てられた  
トラブルは?  異民族の人とは旨く行かなかった  
別に隔離するようにした事が好評だった  地元民とのトラブルは無かった

所長が敗れた人の辛さが判る人だった(会津のひとで戊辰戦争で負けた人)  
ここは刑務所ではなく捕虜を預かっている場所なのだという考え方
他の収容所はトラブルが無いようにと自由は与えないようなやり方だった  
軍からの考えは 甘いとの指摘があったようだが信念は曲げなかったようだ
2006年「バルトの学園」 松江所長の役を松平健が演技  
松江所長への感想は 本当に彼のもとで幸せだった 
彼に迷惑をかけてはいけない(信頼関係)

地元の人達はドイツさんと呼んでいた  親しみを込めて付き合っていた  
1番札所と88番札所の間にあった、お遍路さんをもてなす文化が既に地元にあった
気の毒な人だとの思いが地元のひとにもあった   
交流しましょうとの誘いは捕虜の人から必要にせまられてあった(日本の事を知りたがった) 蚕、餅つき ・・・碁 いろんな形で交流  散歩道の橋を作ったりしてくれた    
別れの時は地元の住民とプレゼントの交換をした 涙を流す人達がいた
第二次世界大戦の時に 引揚者の住宅にしていた  
ある人が草ぼうぼうの中にドイツの人の墓を発見する 
そこの掃除をずっとしていたことが、やがて新聞に報じられるとドイツの方から大使がお礼に来る帰ってからドイツの人に教える事になり実際にお墓参りに来る人達も居て交流が復活する
 
姉妹都市となる リューネブルク市と鳴門市  ルーダザクセン州と徳島県との姉妹県   
第九演奏会1917年6/1に行ったので6/1に行っています
捕虜と住民の間に友情が芽生えて珍しいケース 
戦争は国同士の関係でやっているが庶民同士は判りあえる
言葉が判らない同士で身振り手振りでコミュニケーションを取ったが 判りあえるのは心である 相手を尊敬する 相手の立場を尊重する 
互い大事にし合う それさえあれば民族、宗教を越えて人間って一つに繋がりあえる  
人間って本当は判りあえるのではないですかね
相手がどんな立場に置かれているかどんな気持ちだろうか 
それを考える事が一番大事なんではないでしょうか