2012年8月16日木曜日

野田大然(喝破道場理事長66歳)  ・喝破道場・若者自立塾

 野田大然(喝破道場理事長66歳)     喝破道場・若者自立塾  
40年前 山腹に大きな醤油樽で暮らしていた野田さんの元に オートバイに乗った行く宛の無い一人の少年が尋ねてきました
以来不登校、非行少年、引きこもりの若者を受け入れるようになり 自立する為の道場として多くの人が巣立って行きました
今この道場には若者が寝泊まりする施設や座禅堂 研修室 情緒障害児の治療施設 若竹学園等があり 生き生きと暮らしています
醤油樽から始まった若者道場 喝破道場理事長に伺いました

彼らが一番不得意なのは人間関係 それをスムーズにしてやらなければならない  
道場内に喫茶店があるがそれが会話のきっかけになる(対応の)
社会生活の基本ではないかと気が付いた  彼等にとっては緊張    
喝破道場 38年前 醤油樽が伏せてある そこに2年間生活した  
道場を作ろうとした建物を作れなくて なにがなんでも住まなくてはいけない
そこで考えをめぐらして 大昔は横穴を掘った そこで孔を掘ったが上から土が落ちてきて諦めたふっと思い出したのが漫画 その中に土管に寝ている状況を思い出した  
私も出来ると思った 土管を探すが土管はもうない(コンクリート製) 
たまたま醤油屋さんに行った時に大きな樽があり住めると思った

醤油樽を貰う事になり分解して今のところに樽をさかさまにして組んで窓を作ったりして住めるようにした
ランプの生活なので眼を悪くしてしまった  2年間は誰も来なかった 
人と言うのは自分が願う あるいは目標を作る その通りに生きて行っているだろうか と言う事 私は坊さんになろうとはつゆほど思っていなかった
両親は中国からの引揚者 開拓者として入植した 20歳で父親は亡くなった 
土地を売却して家族は街で生活していた
高校まで地元にいた  医療機関係の仕事に従事する  
社長が変わっていて人を紹介すると言って坊さんを紹介してくれた
医療機で病気を治すことが凄いと思ったが接骨院に行ったり、鍼灸院に行ったりすると指一本で直してしまう事に吃驚する( 医療機を使わない)

医学の勉強もする 医者には成れないので鍼灸の学校に行く  
人間は元々四足なので首と腰に弱点がある事を教えてもらう
機械をを販売する会社を友人と起こそうかと考えた 
師匠と酒を飲み交わして出家の約束をしてしまったようだった 
そのことは判らなかったが断れなかった
松山まで行く事になる(家族は猛反対だったが)  そこで人生ががらりと変わった  
修行に出された 他の人はお寺の後継者 どうしたらいいのかと考えた
皆が集まれる場所をつくろうと思った (共同体)   父が残した土地に戻ってくる(32歳頃)  
ここしか落とし所が無いと思った

2年間誰も来なくて バイクに乗った少年が来る 小児麻痺の少年  ツーリングが趣味  
段々彼の友人が来て集まってきた
週に1度 道場を作りたいという事で座禅をして呼びかけていた 
その中の一人が医者で 友人の子供が学校に行けないと悩んでいるとの事
それで預かって生活し始めたら(バスをもらって 椅子を取っ払って床に畳を敷いてそこが座禅堂兼本堂 にして受け入れができた)直った
学校に行けるようになった  そうすると口コミで多くの人があちこちで来だした  
プレハブの中古があるからと次々と生活するように出来た
必要が生ずれば形は出来てくる  社会が必要だからいろいろな人が応援してくれる
喝破道場  河童の絵を書いてくれた 募金の為に絵を売っていて 喝破道場の名の由来となる
20~30名の子供達が来るようになる 秩序が保たれている  
靴が整然と並んでいる処はほかに無いとこれを見て子供を入れる事があった
報四恩(父母の恩、社会の恩 古里の恩 大自然の(仏)の恩)精舎  
四つの恩によって私達は生かされている  恩に対して報いなくてはいけない
先ずは知ること 知ったら恩返しする人間にならなくてはいけない  
自分の事をするのは当たり前   人の事を考えよ と言っている
命令ではできない 一緒にすること (草むしり 汗をかき 涙を流し )

洗面所は蛇口が付いていない  蛇口をつけると子供達は水を出しっぱなしで洗面をする  
人間の命と言うのは水から誕生した だから水を大事にしなければいけない
水は命である と教える  教育の切り口  変わるという子供達に再認識させる  
生きてゆく基本をしっかり教えてゆく
尽くすことは自分を除外しなければいけない  気持ち、頭だけで変わっても駄目  
形で変らないと駄目(声の大きさとか姿勢とか)
座禅をすることによって 呼吸法 自分で判ってくる   
随流去」 流れに従って行きなさい  さからっても良いことは一つも無い  
流れの中で如何に自分が生きてゆくかということ