鷲津名都江(イギリス児童文学者) ・【時代を創った声】
鷲津名都江さん、「小鳩くるみ」さんといえばお判りでしょうか。
*「ぴょんぴょん虫] 1953年 作詞:時雨音羽 作曲:平岡輝明 歌:鷲津名都江
デビュー曲で当時5歳。(歌ったのは4歳)
3歳の時、NHK名古屋放送局主催の歌唱コンテスト「声くらべ腕くらべ子供音楽会」に飛び入りで出場。 母の里が名古屋市内にあり、名古屋城を見学に行ったときに、「声くらべ腕くらべ子供音楽会」の看板が目について申し込んだら、47人の参加者の中から唯一の合格者となる。 4歳の夏に上京しくるみ芸術学園へ入学、日劇の「秋の踊り」で歌手・小鳩くるみとして4歳で日劇最年少デビューすることになる。 当時は連絡のやり取りで電話がなくて父とは電報でやり取りしていました。 日劇の「秋の踊り」が終わったら名古屋に帰るつもりでいましたら、評判が良かったという事で、日劇では年に何回か本公演があるのでそのレギュラーのように出していただくことになりました。 12月から『ちえのわクラブ』(ラジオ東京)にも出ることになり、東京にいることになりました。
1963年幼児向け音楽教育番組「ドレミファ船長」ではテレビのレギュラーとして出演。 1年目は松島トモ子さんがやっていましたが、松島トモ子さんがアメリカに留学することになり、出演することになりました。 2年間やって「ドレミファ船長」が終わって、『なかよしリズム』という新しい番組が出来て担当することになりました。 学校と取り決めをして、学校では普通に生徒として過ごせました。 今でも高校、大学の友達とは連絡を取っています。 高校の時には英語部に入って駐留軍の家庭に先生に連れて行ってもらったりしました。 歌手になるんだとか、目標をもって進んできたというわけではありませんでした。 出来ない出来ないと思うような仕事をさせていただきながら、少しずつできるようになってきたのかなと思います。 感謝だけです。
「ドレミファ船長」は高校生の時で、『なかよしリズム』は大学に入った年から始めて、6年間やりました。 「小鳩くるみ」では古いイメージがあるといわれて、本名を平仮名にした「わしづなつえ」で出演しました。 新しいイメージの番組にという事で子供番組でしたが踊りにしても音楽、セリフにしても速いテンポで行う事になりました。 始まった当初賛否両論がたくさんありました。 2年たち、3年たって、子供たちはその通りにできなくても、全部理解していなくても喜んでいるんだという事がわかりました。
*「夏は来ぬ」 作詞:佐佐木信綱 作曲:小山作之助 歌:鷲津名都江
1969年 アニメ『アタックNo.1』(フジテレビ)のヒロイン・鮎原こずえ役を担当。 声優という言葉もなく、まだ確立していなかった時代でした。 洋画の吹き替えは高校生時代にさせていただきましたが、アニメはどうなることかと思いましたが、2年間させていただきました。 主題歌も歌っていましたが、人気が出てきて、当時はレコード会社の専属契約になっていたので、レコードを発売するわけにはいかないので、大杉久美子さんへバトンタッチしました。
*「アタックNo.1」 作詞:東京ムービー企画部 作曲:渡辺岳夫 歌:鷲津名都江
ディズニー映画『白雪姫』の主役・白雪姫は1980年から担当(小鳩くるみ名義の活動は白雪姫を担当する場合のみ行っている)
1976年から1986年まで『お達者ですか』(高齢者向け番組)後に『お達者くらぶ』で司会者として通算10年間出演、レギュラーが切れることになる。 1986年、これを機にイギリスにマザー・グースを研究するために4年間留学することになる。 目白学園短期大学(現・目白大学短期大学部)助教授(英文科)に就任しました。 2018年3月、目白大学を定年退職。
若い人へのアドバイスとしては、思った方向に行けない時に、何か別の方向のチャンスがあったならばそちらもやって見るべきじゃないかと思います。