友吉鶴心(薩摩琵琶奏者) ・【にっぽんの音】
進行:能楽師狂言方 大蔵基誠
友吉鶴心さんは1965年東京浅草生まれ、父方、母方の両方のおじいさんが薩摩琵琶奏者。 祖父の名前の友吉を使わさせていただいています。 ひいひいじいちゃんが趣味で始めてじいちゃんがプロになった。 山口速水は母型の祖父。 日本舞踊、長唄、三味線、などを学ぶ。 1987年薩摩琵琶奏者の鶴田錦史さんに入門、現在は演奏会やNHKの邦楽番組にも出演のほか、デーモン小暮さんなどアーティストとの共演をしている。
師匠から薩摩琵琶であれば何をやってもいいといわれました。 27年前に師匠が亡くなってしまいました。 「古典は新しい」とあちこちで言わせてもらっていて、入れるものは新しいが器は、スピリッツはしっかり伝わるように、古いが入れるものは新しい。 そこをもう少し勉強させてもらえば、きっとなんか、薩摩琵琶は薩摩琵琶でなくてはいけないという事が見えてくるのかなあと思います。
上から弾くのと、下から弾くのがあり、上から弾くのが「ピー」、下から弾くのが「パー」。楽器は中東で生まれてシルクロードを経て中国で現在の琵琶のような形になりました。 仏教と一緒に日本にやってきたのではないかと言われています。 雅楽のなかで演奏する額琵琶、目に見えないお坊さんがお経を読むときに木魚の替わりに奏でる盲僧琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶があります。 雅楽の場合はキーが決まっているのでそれに楽器の調整をしてゆきます。 盲僧琵琶、平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶は演奏者の声がキーの基準になります。 薩摩琵琶は昔はテンプクという尺八よりも小さい竹の笛がありますが、それに合わせている絵図がいくつもありまして、テンプクと琵琶でコラボレーションしていたのではないかという事が推測されます。 昔はフレット(弦楽器の指板にある隆起であり、指の位置を固定し、目的の音高を出すために使用されるもの、琵琶では「柱(じ)」と呼んでいる)の上を押さえて弾いていましたが、近代(江戸時代)になってフレットの間を押さえて弾きます。 繊細かつ大胆なのが薩摩琵琶の特徴です。
薩摩琵琶は戦国時代、島津の中にいた日新公と言われる方が、文武両道のたしなみという事で古くからあった盲僧琵琶を武士が弾けるようにちょっと大きめに作って、心の支えとなるうような文言を歌詞として書き上げて、琵琶を弾きながら歌うというか、うなるというか、自分の心のなかに響かせるための、武士の精神的なことの一つとして生まれた音楽です。 師匠がバチを使ったいろいろな奏法を編み出しました。
*「敦盛」 琵琶演奏:鶴田錦史 平敦盛 - 平安時代末期の武将。若くして討ち取られた悲劇が、後に作品となる。
歌舞伎役者になりたかったが、琵琶の家だという事で始めました。 祖父は亡くなっていて祖母に相談したが、食べて行けないからやっては駄目だといわれましたが、鶴田錦史先生のところに行きました。 フレットは自分で作るためノミは研げるかと言われました、コマを作るにはノコギリが使えないといけない。 そこからのスタートでした。(22歳) 師匠が生きている間は甘えてしまっていましたが、本気でやろうと思ったのは師匠が亡くなってしまってからでした。 もっと教わっていればよかったと思うばかりです。 稽古は家でするもんだとピシャリといわれたことがあります。
*「春の宴」 薩摩琵琶だが優雅に演奏する楽曲(源氏物語のなかの『胡蝶の巻』を題材にとった作品。) 琵琶演奏:友吉鶴心
日本の音とは二つあって、血が騒ぐ音(お祭りとか)、自分と向き合う事が出来る音(日本にはたくさんあると思います。)