戸坂明日香(復顔師・京都芸術大学文明哲学研究所准教授)・再現した"生きた顔"から豊かに生きるヒントを
復顔とは遺跡などから発掘される人間の頭蓋骨などをもとに、生きていた当時の顔を復元することです。 戸坂さんは主に美術館や博物館に展示するための復顔の仕事を行っています。 子供の頃の友人の病死をきっかけに、死と向き合いながら作品制作を続けてきた戸坂さん、大学卒業のころから始めた復顔の仕事をきっかけに、過去、現在、未来に伝える活動の面白さに気づき、生きることと向き合いながら活動するように変わったといいます。 何が戸坂さんを変えたのか、そして戸坂さんの考え方を変えた復顔の仕事について、伺いました。
復顔は2つ種類があり、人類学、考古学とかの分野で古人骨にあったり、歴史上の人物を復元する復顔というものがあり、警察とか科学捜査を目的で行われる復顔というものがあります。 私がメインでやっているのが人類学、考古学とかの分野がほとんどになります。
考古学の方が発掘調査をした時に発掘した人骨が歴史的に意味があるものだったり、それを調べる事によって新しい事実が明らかになったりするような骨が出てきた時に、良好な形に残っていれば復顔できるぞという事になって、復顔の話がスタートします。 骨の模型を作って模型をベースに復顔をするというのが基本的な流れになっています。 最近はCTスキャンで撮ったデータを3Dプリンターで出力して、かなり精度の高い頭蓋骨が出来るようになりました。 実物と見比べる作業はなくなってきました。 2012年に始めて年間3体ぐらいのペースでやっていて、立体のほうだと27,8体になります。 粘土ではなく2次元の、鉛筆で平面上で書き起こす復顔も時々あります。(6体)
依頼は人類学の研究者、埋蔵文化財センター、科学館、歴史民俗博物館などから依頼されます。 私が復顔を始めた時には日本では3,4名だったと思います。 アメリカではFBIが復顔の主流になっていますが、ヨーロッパは一番歴史が古くて、歴史上の人物の復顔がスタートしたのがヨーロッパでした。 もっとも古い復顔は音楽家のバッハと言われていて、1800年代に行われたころが最も古い復顔と言われていて、ヨーロッパではたくさん復顔像がつくられています。 日本では警察関係の復顔がずーっとおこなわれてきていて、人類学関係で復顔が行われるようになったのは、40年程度です。
美術解剖学で有名な人というとレオナルド・ダ・ヴィンチだと思います。 レオナルド・ダ・ヴィンチはたくさん解剖をして人体の構造を把握したうえで絵画に落とし込んでゆく方ですが、構造を理解して描いたものと理解しないで描いたものとではやはり違いがあります。 大学院に進学するという事になった時に、彫刻ではなく美術解剖学に進むことにしました。 骨格標本、筋肉の模型とかを見ながら、実際に自分の身体を動かしてみたり、モデルさんを観察しながら、中の構造と外の見ている部分とはどう関連し合っているのかという事を観察してゆくことが研究内容です。 私の研究自体は論文になります。 制作も好きで並行して進めていました。
大学では彫刻をしていましたが、人類学のほうの復顔をやってみないかと言われて、徳川家の大奥女性の復顔をやったのが最初の復顔でした。 江戸時代の人たちが食べていた食べ物は文献が残っていますが、食生活、生活環境、労働、データはないが、恰幅のいい人はそんなにいなかったと思います。 現代のデータをそのまま使うと恰幅のいいものになってしまいます。
一番古いものは2万7000年前の沖縄から出土した旧石器時代が一番古いものです。 その後縄文時代、弥生時代、古墳時代、最近は戦国時代が一人、江戸時代と警察関係で現代という事になります。 復顔をしていて死者への冒涜なのではないかと、一時期思ったこともあります。 日本の土壌は基本的には酸性の土壌で、通常であれば100年足らずで溶けてしまいますが、骨が分解されずに形がきれいに残っているというのは、発掘されていろいろなプロセスを経て、私が復顔をやる意味というのが偶然ではなくて、何かしらの意味があって、この人と出会っているんじゃないかなという事を思うようになりました。
作る時に意識していることは、その骨の形をどれだけ忠実に復元出来るかという事です。 私は小さいころから死について考える事が多かったんですが、考えても答えは出なくて、考えることに疲れた頃復顔と出会ったという感じです。 実際に復顔の作業をっやっている時には死のことは考えないです。 生きていた時にどうだったのか、という事を全力で考えるようになってきました。 死を考えることから生を考えるようになり大きな変化だったと思いました。 小学校5年生の時に同級生が病気で亡くなって、先生から言われてもそれを認識できなくて涙も出なくて、家に帰って出されたうどんが喉を通らなくて、どうしてだろうと思った瞬間に涙が出てきて、悲しいという感情もなかったです。 自分で自分のことがよくわからないという事、それが死を強く意識したことだったのかなあと思います。 夜も眠れない時もありましたが、父が哲学、宗教、文学とか読書をするのが好きな人で、先人の本を読んで聞かせてくれたりして、いろいろな思想を父親からきいて、いろいろな考え方を聞くことが出来ました。 それが支えになったと思います。 二人称の死の恐怖が根底にあったと思います。
いろいろな画家が自分の死について考えたり、自分以外の死について考えたり、生きているという事がどういうことなのかというのを悩みながら制作していたというのをたくさん見るようになって、絵を描いたり、作ったりすることは、自分の中にある悩みを形にすることによって外に表出するすべなのかなあと感じ取って、単純に絵を描いている時って、夢中になって忘れるんですね。
10代、20代で味わったような絶望感はなくなりましたが、復顔をやっていることの効果なのかなと思います。 復顔を見てその時代を想像できるかどうか、イメージできるかどうかが非常に重要になって来るので、科学的根拠で復顔するわけですが、科学的根拠のない部分もあるので、リアリティー、自然な感じを出せるように制作する時には心がけて居ます。 私が学んできたことは美術の方向から来ていて、復顔をするための表情、見る人にどんな感情を抱かせるのかを研究していきたいなあと思っています。 死について偏ることなく、生と死と、両方の視点で物事を捉えて行けるように、自分の気持ちをコントロールしていけたらいいなあと思います。