林あまり(歌人・演劇評論家) ・【ほむほむのふむふむ】
穂村:ここで書評集の文庫本で「これから泳ぎに行きませんか」という本と、精神科医の春日武彦さんと死について対談したものプラス
漫画の本、「猫は言っているここで死ぬ定めではないと」を出しました。ゲスト=林あまりさん
林さんは「シンジケート」の生みの親の一人。
穂村:林さんは短歌と出会うきっかけになったので、恩人です。
林さんのプロフィール 1963年東京都生まれ、高校2年生で短歌と出会い、大学で歌人前田 透の指導を受けるが、恩師が急逝、その後大胆な性描写や暴力を詠み込んだ過激な作品で歌人としてデビュー。 作詞も手掛け坂本冬美さんの「夜桜お七」などのヒット曲があります。 現在は演劇評論家としても活躍、大学で講師もしている。
林:月に20本ぐらい演劇を見るのが日常だったので、コロナ禍で突然ほとんどなくなってしまって、今は以前と同じぐらいのペースになってきています。
穂村:林さんが書いた短歌に図書館で偶然出会って、「何もかも派手な祭りの夜の夢火でも見てなよさよなら、あんた」 かっこいい女性像だなと思いました。 短歌という事でそれまでに触れた短歌とは全く違うものでした。
林:これは後に「夜桜お七」という演歌になったんですが、これは意識的に作ったので覚えています。 大学生の時に「八百屋お七」が好きでいろいろ調べて意識的に作ったものの中の一つです。 初めて男性とお付き合いをしたんですが、ずっと年上で奥さんもいる人でいろんな意味で衝撃的でした。 まじめだと思っていたが、そうではないと気が付いて、自分をさらけ出して恥ずかしい自分を短歌に書かなければいけないと思いました。 以前は文語交じりのものもありましたが、口語体にしようと或る時から口語体にしました。
穂村:もう一首衝撃を受けた短歌は、「きょう言った「どうせ」の回数あげつらう男を殴り 春めいている」 妙にリアルで、面白さがありました。
林:こういうことがあったわけではないです。 うっとうしいものに囲まれて、女の自分がもっとシャキッとしたいよという、時代的にもそういう流れがあったけど、セクハラみたいなこともあったし嫌なことがあって、うっとしくていやだという気持ちが表れているんだと思います。
穂村:二つともかっこいい女性ですよね。 図書館に行ってこれらを読んだ時が私が短歌に足を踏み入れた日でした。(1985年) 短歌を書き始めて応募したのが活字になって、林さんからエールを頂きました。 人に心から褒められると別人になるんですよね。 魂みたいなものを外に出すのは怖いが、出したものを初めて肯定されると、褒められる前と後では別人になる、自分だけではなくほかにも例を見たので、褒めるという事は凄いことだと思います。 林さんと同じ同人誌に入ったんですが、林さんはやめてしまいした。 もう一首
「さくら さくら いつまで待っても来ぬ人と死んだひととは おなじこと桜 桜 」
林:「夜桜お七」の一連を作った時に、終わりの方でクライマックスみたいな何かを作らなければいけないと思た時に、言い切る無理をしないと全体が成立しないと思って出てきたものです。 (1994年) 坂本冬美さんにはぴったりだと思いました。
林:穂村さんの短歌を紹介
「抜き取った指輪孔雀になげうって「お食べそいつがおまえの餌よ」」 完全に女性の側になっている歌、かっこいい女の子ですね。
「終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて」 情景、空間がまさに演劇的な空間で紫色が美しい場面です。 降りますランプという造語がいいですね。
「海にでも沈めなさいよそんなもの魚がお家にすればいいのよ」 これは私の想像だと思って読んでいて、こういうカッコ良い女の子が居たらいいよね、自分もなりたいけどなれないよねと多くの女性は思って「シンジケート」を読んだと思います。(31年前なので今とは感覚が随分違うと思う。)
穂村:「サバンナの像のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい」 この歌を原稿から落としていたが、これを入れた方がいいと林さんから強く言われて、駄目な歌が本に入っちゃうよりも、いい歌を落としてしまう事を恐れた方がいいというアドバイスをもらって助けられて、後輩が何十人本を出したが、いつもそれを言ってきました。 魂を渡す感じがいつも林さんにはあって、言葉、ものなどみていてぐっときます。
林:「シンジケート」の新装版がでて、若い人たちにとって意味のある一冊だと思います。いろんな人に読んでほしいと思います。 31年前の自分と今と、これを読んでいろいろ思ってほしいと思います。