2021年1月13日水曜日

松澤秀延(クルドを知る会代表)     ・"クルド難民"の暮らしと命を支える!

松澤秀延(クルドを知る会代表)     ・"クルド難民"の暮らしと命を支える! 

埼玉県草加市在住72歳、20代の頃世界浪々の旅の途中、トルコを訪れた際にトルコ政府に抑圧されながら山岳地帯で暮らすクルド人たちの存在を知る事になります。  帰国後サラリーマン生活を送っていましたが、自宅から近い埼玉県蕨市、川口市、周辺に多くのクルド難民が暮らしていることを知って、生活に困窮する彼らをサポートするために、仲間たち数人で「クルドを知る会」を2003年に結成しました。   クルド人はトルコ、イラン、イラクなどの国境地帯に暮らしていて、国を持たない最大民族と言われていて 、人口はおよそ2000万人以上と言われています。  クルド人は軍事攻撃を恐れて世界各地に逃れ、日本にはおよそ30年前からやってきて、蕨市周辺にはおよそ2000人が暮らしているという事です。  その多くが不法滞在者として品川にある東京入局管理局や茨城県牛久市の東日本入国管理センターに収容されていますが、現在はコロナ禍の為彼らの多くは難民申請も認められないまま仮放免されています。 そんなクルド難民と地元自治体、保健所などを結び暮らしを支えているのが、「クルドを知る会」です。   松澤さんにクルド人の現状や課題などを伺います。

20歳ぐらいの時には返還直後の沖縄に行ったというのが初めの大きな旅行でした。  1976年の時にシベリア鉄道を使ってモスクワに行ったというのが、海外に出るきっかけでした。   アメリカに回る予定でしたが、ドイツでお金が無くなり、バイトをしながらフランスを拠点にヨーロッパを回って長引くきっかけになりました。   帰りにトルコ、イランに行きました。  山岳部で無人の村が多くてどいう言う訳なのか、判らなかった。  後でわかったのが、トルコ軍に攻撃されたからという事を日本に帰って来てから知りました。

1980年代はバブル期で日本にもイラン人が働きに来ていて、クルド人も交じってきていました。 或る時にクルド人の人から無人の村のことを知ることになりました。

クルド人も兵役義務がありトルコ軍として戦わなければいけなくて、クルド人の軍事独立の仲間と戦わなくてはいけないので、仲間と戦いたくないので兵役義務を逃れるために海外に逃げる、彼は日本に来たようです。

ビザなし渡航なので、いろいろ聞かれ、難民申請するのかと聞かれて「はい」と言ったら入国拒否になってしまう、あるいは入国管理局に収容されてしまう。  在留資格は短期ビザみたいな形になる。  在留カードを貰って難民申請するという事があります。  しかしほとんど却下されてしまう。   それを数回すると仮放免として不法滞在者という風に扱われて、2,3か月に一回入国管理局に出頭して、更新する形になるが仕事も出来ないし、住民登録もできないので公的支援は一切できなくなる。  健康保険もないので病気になったら一切自己負担となってしまう。  骨折しても病院には行けない状況で、仲間同士て支援する。

川口は鋳物工場などが多く力仕事で、イラン人が入り、クルド人も来るようになった。

子供は教育を受ける権利を持っているので、我々支援団体が市に要請して義務教育は受けられる様になっています。  

入国管理局の人は日本にいてはいけないと言っている人が多く、公的相談会も出来ない、助成もないわけです。  その人たちは人間であるのに人間ではないような状況になっている。   我々は財源がないが、声を出すために支援という形でやっています。

コロナ禍で一番先にしわ寄せがあります。  真っ先に解雇されてしまう。  収入も半分近くになってしまっていると言っています。

一番多い相談はお金がないので病院にいけないという事です。  精神的ストレスからくる胃腸関係が多いです。  次に骨折とか外傷関係で、次が家賃が払えず部屋を追い出されるといったことです。  食べ物がなかったりして仲間同士で助け合ったりしています。

定額給付金10万円は日本人には与えられましたが、それは一切ありません。   一人3万円を600人の人に共助という形で給付しました。(公助は一切ないです。)

医療関係と交渉して、無料定額医療制度というもので、交渉して、減額とか分割などのお願いをして、多少理解してもらっています。

市のほうに子供の教育問題で交渉しています。  入学ができたりするが,日本語がついていけなくて、ほとんど中退してしまう。  外国人専用に言葉を教える機関がなくて、少しずつ作ろうと言う運動も始まっています。  中には大学まで出たクルド人もいて通訳をしてくれています。  医療関係のほかいろんなジャンルの人から、参加してくれることはありがたいと思っています。  相談の窓口だけは開けておくことは大事だと思っています。

入国管理局がビザを与えないという事、要は難民を認めないという事が非常に問題があると思います。 年間、難民申請をしても0.4%という事です。  ゼロも同然なので日本が難民条約を破棄すれば、そうすれば外国人も日本に行っても駄目だという事で来ませんから。

知らないことが一番問題で、関心を持つことはまず知ることが第一歩だと思います。

クルド人の祭りが3月にありますが、トルコではクルド人の集会は禁止しており、ここでは祭りが続けられていることに対してクルド人は喜んでいます。

一番うれしかったのは、小、中、高、大学とステップの中で、自分で自分のことを考えられることを教育のよって得られて、今後のことも決められるという事をする人が何人か出てきて、それは10何年間やってきた成果だと思っています。 教育は大事だと思います。

家庭訪問も大事にしています、相談会に来るだけでは実態が分からない。   生活状況も把握出来るし、人間それぞれ違うんだというところから始めないと、なかなか積み上げができないので家庭訪問が重要になってきます。

まず市民の方と一緒に掃除をしながら、会話を交わすことがきっかけになると思っていて、公園の清掃ボランティアを推奨しています。

自分の心に残る活動をしていきたいと思っています。