2012年2月8日水曜日

富永和雄(ヒュージョン永池代表)   ・人の絆でニュータウンを作る

 富永和雄(NPO法人 ヒュージョン永池代表)     人の絆でニュータウンを作る  
1952年 広島県の生まれ外資系会社に21年勤務 住みやすい街作り を目指して 会社を退社 NPOを立ち上げる  
隣人との付き合いがない街、多摩ニュータウン 永池地区で 新しい街作りをしている  
1万世帯が住んでいる地区 NPOと各家庭とインターネットで繋ぎ情報交換 住民の知恵を出し合う  
住みやすい街作りを進めている
多摩ニュータウンは昭和46年に最初入居 40年経つ 永池地区の街は約20年経過している 
色んなタイプの建物をミックスした街
永池と言う湧水が有る池が有った  永池公園を中心に街が有る 20ヘクタールある街 
当初活動する時に報告する事が有るが はがきは手間がかかりお金もかかる 
インターネットで連絡する方が容易なので採用した
電子井戸端会議システム コミュニティーを復活するのに役立つ  
情報の共有化 ホームページで情報提供(電子掲示板)

ある意味個人主義者 人とは仲良くしたいと思いながら しょっちゅう会いたいわけではないが  自分が好きな時だけ参加活動した 情報は欲しい 
知らんぷりしたいときは知らんぷりしたい と云う風に思っている人達だと思っている  
新しい街にはそこに住む人達にあったコミュニティーが必要だと思った
知らない人同士が集まりテーマに応じて新しいコミュニティーを作り始める  
好きな事 テーマに集まって来るので当初知らない人同士であっても協力がうまくいく
ニーズを掌握 喜んでもらえるような商品開発をする(畑仕事 お祭りその他) 
そうすれば黙っていても人が集まって来る 良い商品が生まれたことになる
皆が喜んでくれれば商品開発が成功したと云う事です  
お金とは違う喜びと言うのが自分の手元に戻って来る 

マーケティングセンス 営業のセンス 自分が培ってきたプロとしてのノウハウを地域活動にリアレンジして持ち込んだと云う事です
それが見事に結実したのがポンポコ祭り
47歳で退社 新しい街作りへの転身の理由 年を取った時に住民との繋がりが希薄なこの街で暮らしてゆくことに危機感を感じた
当時、阪神淡路大震災があり これが非常に危機感を倍加させた 
この街では殆ど誰も知らない そんな中で神戸のように助け合って地域活動ができるのか
当初は会社を辞めてなどゆめゆめ考えていなかった 
NPO法が国会で成立して 活動している内容がNPOに該当するのではないかと指摘されて NPO法人についての検討をした 
 
食べていけるNPOでないと駄目だと思いその条件を検討し 会社を辞めた  
一番の計画はずれは 永池ネーチャーセンター(自然センター ここで活動しようと思っていた場所)が完成間近で火災に有り 消滅してしまった
真っ青になった 茫然としているのみだった  どんどん貯金が無くなる 
自然館の再建設を要望してそれが周りの人を含め追い風となった
横糸と縦糸  横糸 地べた活動 自分が住んでいる活動 
縦糸 絆活動 地域活動(16個 お祭り等)  
お祭りの開発 永池ポンポコ夏祭り 16年続いている  最初は100名ぐらい 最近は4000人ぐらい 
全部素人の人が団地別に 企画 盆踊りはやらない(練習 設備 やぐら等 大変) 
音楽は必要  エレクトーンの発表の場にする
住民同士が自由に行う  自然館でのイベント 永池公園  
2006年から指定管理者制度が用いられるようになった 
八王子市の所有 管理費を市から貰う
催し物については95%以上は徒歩20~30分間以内の人がやってくれる 
展示物も最初は少なかったが今は入れ替えの時しかあかない
平成22年の年間 18万人が来園 そのうち約8万人が自然館に来館してくれている 
炭焼きもあるし畑もある  福祉団体の就労支援をしている 施設の掃除等をやってもらっている

民間の力で新しいコミュニティーを作る事については結構苦労が有った  
1999年12月にNPO法人を立ち上げたが 国会通過後1年目だった
有料との感覚が余り周りに理解できなかった  
金がなかった処に八王子市に援助してもらって軌道に乗ることができた
後継者の育成についてどうするか 受け継いでくれる人がいるかどうか 
現在60歳なのであと10年頑張るが 後輩に如何に継承してもらえるか 志の継承
縦糸と横糸を紡いで如何に織り師がごみを取り除き、糸が切れそうになったら繋いでやり織りものを作ってゆきたい  物語にしてゆきたい
丁寧に丁寧に 人間関係と言う横糸とテーマ・活動を縦糸を人間の織り師がその時その時のニーズに合わせて織りあげてゆく 

時間と労力を投資 寄附金の投資 
激励と言う心を投資をして下さる 
そういうものを全部頂いてみんなで織り物を作っていくわけですが どんな街にしたいのか どんな街に暮らしたいのですか、と言う事を皆で語り合ってゆく物語こそ最高の事業計画と思っている  
永池物語に関所はありませんので永池物語を良い形で拡げてゆき、いろんな物つくりもしてみたいし 色んな活動をしてみたい
永池の街に住みたいと云われるような街 その街にはNPO法人永池が有るからと言われる様になりたい
そして回りから研修と言う形で学びに来てくれたらいいなと思います

2012年2月6日月曜日

笠井賢一(劇作家)        ・能の可能性に挑む

笠井賢一(劇作家)               ・能の可能性に挑む

笠井賢一(劇作家)   の可能性に挑む
学生時代から歌舞伎の研究を進め、歌舞伎俳優・八世坂東三津五郎の秘書を務めました
1983年からは、観世流「銕仙(てっせん)会」に所属し、先代観世銕之丞(かんぜ てつのじょう)について、能・狂言を研究するかたわら、プロデューサーとしても活動
多田富雄「花供養」」(白洲正子を題材にした能) 駐日ポーランド大使新作能 「調律師 ショパンの能」 等新しい能に挑戦
能の基礎知識 世阿弥 1363年生まれ 来年生誕650年 観阿彌1333年生れ 鎌倉幕府が消滅した年
中国から散楽 が日本化して平安末期 から鎌倉に 猿楽となり 滑稽な要素を含んでいる 
その後 能狂言になって来る

現在の能は中国伝来の舞、日本古来の田楽、延年などといった様々な芸能や行事の影響を受けて成立したものであると考えられている
鎌倉時代に翁という芸能が有った 五穀豊穣 国家太平  国家安全を祈る 民族にとって一番基本的な祈り これが能の根本芸として非常に大切にされる
今でも年の初めには翁をやる (どの流派でも)
能と狂言はいったいのもの 能役者が白い能面を付ける(翁)  
国家安全と天下太平を祈る 三番叟の方は鈴を鳴らしながら 五穀豊穣を祈る
黒い面を付ける 太陽の元で日々 汗をして農耕にいそしむ 働いている証徴 実際に農耕をしている様な仕草が有る

能は理念  天下泰平とかを祈り 狂言は具体的 五穀豊穣 日常的な事を祈る   
観阿彌、世阿弥の時代なって来ても分化して 能は人間の精神性 死者の思いの深さとか 
永遠に満たされない恋への思いとか 魂の領域を表現する 
謡と舞いで表現する世界  狂言は日常の世界を表現 愚かしい雑多の事 おおらかな笑い 
人間皆同じなんだよ 気取っているけれども 愚かし事をする等を表現
私は日本の古典をみる事により興味を抱く 歌舞伎の坂東三津五郎(8代目)に対して本を
書くお手伝いをした  歌舞伎の楽屋に出入りすることができた 

義太夫 文楽を知り得た  歌舞伎の親みたいなもの 坂東三津五郎さんは能にも詳しかった  世界が広がりそんな関係で古典の仕事をするようになった 
観世栄夫 、観世久雄 観世銕之丞(分家) 3兄弟  非常に活躍した 新しい時代の風潮 
流派の枠内で能をやるのではなく、流派を超えて 現代的な事をやる  
三島由紀夫作品 知恵子抄 等をやる ギリシャ劇をやったり泉鏡花を上演したり 能、狂言からはるかに超えたものを上演した それをみる事によって
能、狂言の役者はこんなに能力が有るんだと感じて 現代の役者たちが一体どんなことができるのか 考えざるを得ない状態になった

歌舞伎から能の仕事に入って行った 演出家としての観世栄夫さんの教えを受け、
「近松門左衛門」でお手伝いをし 言葉だけで演出し始めて 語りの力を教えてもらった  
私自らも開拓していった それが演出家としての出発になった
観世栄夫さん 能の世界から飛び出て 大河ドラマにも沢山出演した 
俳優としての仕事も確固たる地位を占めた   
伝統芸能の世界では極めてまれなこと  狂言では野村満斎さんがいるが 狂言は会話体で
やっているので 入りやすいと思うが能は会話がないので入りにくさはあると思う 
30年演出してきた 思いで深い作品は→  新作能 「幻」演出、上演した  
多田富雄さん 自ら鼓を打ち 新作能を沢山創作 何本か演出させてもらった 
「花供養」(白い椿に例えて能にしている) も担当させてもらう  密度の高い仕事をさせてもらった 
古典の世界から現代の深刻な問題まで能で表現できる事を多田さんが表わしてくれた
「一石仙人」は アインシュタインに関するもの 原子力の危険性  「無明の井」心臓移植のもの  
国立能楽堂で上演  「長崎の聖母」 「沖縄の戦争の悲劇」等
西洋音楽と融合 ポーランド大使 弟子として勉強していた 知日派 日本に駐在 ショパンイヤー 「調律師 ショパン能」を書いた
観世銕之丞さんがシテで私が演出をする ショパンの「ノクターン」(ピアノ演奏)で舞いを舞う
ワキは ドラクロワ ドラクロワの夢の中に表れて芸術論をかわしたり、故郷を喪失してパリで亡くる 思いを物語で語った後にピアノに合わせて舞う

ノクターンは精神性のあるピアノ演奏であり 能の精神性に通じる 馴染む ポーランド公演ではショパンの音楽性を芸術的に能が表現してくれたと評価された
芸術の本質を共有すれば感動は共有できるんだなと感じました  
シテが(中将の能面でよく似合っていた)ショパンの霊   繊細で苦悩する 教会で舞う鎮魂の世界  
無形文化遺産となっている 最初に登録された 能は基本的には一回しかやらない 500人しか見れない
クラコフ アウシュビッツの能をやりたい ポーランドとは長い交流が有る 
今回の大震災でも夏にワルシャワの子供達を招待した
20世紀の負の遺産(アウシュビッツ、大震災、原爆)を本に書かれていて  
これを上演したいと思っている
人間がどう生きてゆくべきか、生と死は何なのかを問いかけるものであり そういう風な問いかけとしての能が作られるべきであり
20世紀から21世紀にかけて 今の問題 古典の世界だけではなくて 鎮魂の芸能 魂を鎮める芸能としてずっと培ってきた技法を今の課題をやるべきだと思う
「鎮魂」 副題として「アウシュビッツの能」としてクラコフ(アウシュビッツ)と福島でやたりたいと思っている

2012年2月5日日曜日

宮治勇輔(農業)         ・六本木を農業の発信基地に

 宮治勇輔(農業)          六本木を農業の発信基地に  
6年前脱サラして養豚農家を継ぐ 
去年レストラン六本木で生産者に材料を持ち寄って貰いバーベキューをやったところ大盛況だった   六本木レストランは小さな温室農園付きレストランで農家の若手後継者にとってライブハウス的な存在です 農業の発信基地にもなっています  
2009年NPO法人 農家の子倅ネットワーク を立ち上げる 
農業改革の先頭になって活躍している
一軒屋レストランにガラスコンテナを用意してイチゴ ハーブ等いろいろ展示場として作っている
農業を宣伝するにはとってもいい場所だと思う
バーベキューを開催 農家がお客と交流する機会がない お客の反応を気にしている 
バーベキューの材料を持参する  
本場の芋煮、 キムチ スープを作ったり、実家は元々農家 サラリーマン 
人材派遣会社に勤めていた(あらゆる部門にて仕事をする) 
農業だけはやりたくないと思っていた  
会社の社長を目指していた(歴史に興味が有りそちらからその様に思うようになった)
2005年に会社を辞める 弟が先に会社を辞める 
プロデュース担当 自分の家の豚がどう販売されているかは絶対に判らない

「宮地豚」と名前を付けて販売することにする バーベキューで先ず使用することにする 
「農家の子倅ネットワーク」を立ち上げる  ビジネスの経験を積んでいる事が良かった
農家の平均年齢は65.8歳 農業人口は260万人 2040年にはゼロになってしまう(単純計算) 新規就農者はやるのにいろいろハードルがあって厳しい  
実家で農業をするのが就農するのが容易  
生産からお客さんの口まで届けるのが魅力が有ると思う 
カッコよく 感動が有り 稼げる 「3K」
高齢化 人口減少 日本で今後規模を拡大してゆくのはあんまり良いことではないと感じた  
都心で働いている人で実家が農家であることが結構いる

実家で農業でもやろうかなと考えている人がいる  その支援をしたい 
縁が有り六本木で一緒にやって下さる方がいてそこでやる様になった
六本木農園は 他の飲食店とは決定的に違うものを持っている  農家ライブをやっている  
音楽業界に例えると レコード店は自分の商品を販売してもらえる
自分の思い 歌唱力を伝える事ができない 
音楽業界はライブハウスが有ってラブハウスに行けば自分の思い 歌唱力を直接お客さんに伝える事が出来る

素人でも借りる事が出来る  農家にはライブハウスに相当するものがない  
トークライブ お客さんが食事をしている時に 自分の思いを伝える
うちの物はおいしいですか と聞いて回る 週に1回、2回程度実施  
1万5000人にメールを送っている 情報発信  自由参加
お客さんの反応がいい  感度の高い人がおおい 
「農家の子倅ネットワーク」を全国に広げたい 各地域に作りたい 
農業者だけが集まってもうまくは行かない 異業者が入ってくれた方がうまくいく
事務方、企画者が農家の人には不得手  これからは地方の時代になるのではないか
地方の活性化に観光だけでは魅力がいまいち 地方に行って魅力は おいしい物を食べること 面白い人に出会う これがたのしみ
先ずはおいしい農産物が必要 

2012年2月4日土曜日

クリスティーヌ・レヴィ(大学教授)    ・大逆事件 フランスの反響

クリスティーヌ・レヴィ(ボルドー大学教授) 大逆事件 フランスの反響
大逆事件は1910年桂太郎内閣の時に起きた社会主義者 無政府主義者に対する弾圧事件 
全国で数百人を検挙 され明治天皇暗殺未遂の名目の元に
26人を大逆罪として起訴 24人を死刑宣告 幸徳秋水ら12人が処刑された 
海外でも報じられ冤罪事件として救援運動も起こされました
フランスのボルドー大学教授のクリスティーヌ・レヴィさんは日仏会館の研究員です 
日本歴史の研究者として大逆事件の論文も発表しています
子供の頃京都に住んだことが有る(6~10歳) 父が歴史の教授だった
 
1981年に1年間東大に留学している(労働運動について論文)
今回は4年間の滞在 「日本におけるフェミニズムと母性」がテーマ 「平塚らいちょう」 「青踏」を
読んで興味を持った フランスと日本の出生率の原因をフェミニズムの視点
から検討したいと思った
(フランスはヨーロッパで一番出生率が高く 日本は世界でも最も出生率が少ない)
ボルドー大学では日本語と歴史を教えている フランスではこの15年間で日本への興味が湧いて
きて学生は多くなっている(経済大国・・・アニメ・漫画)

大逆事件への興味の発端は?→労働運動を研究していたら平民新聞を発見して日露戦争に
反対した(反戦運動)のに非常に興味を持った
ヨーロッパでは第一次、第二次世界大戦が有ったが、第一次大戦の前には平和運動が有ったが
それにも拘わらず結局
社会党などが戦争を支持してしまったので戦争が起きてしまった  
ジャン・ジョレス(社会党指導者)が暗殺される
戦争の時にどうやったら戦争に反対出来るのか  反対運動の歴史
戦争が始まっても戦争に反対した・・・平民新聞

幸徳秋水始め12人が処刑されたが 恐怖がタブーを生み出す 
真実を勝ち取ることができるかが非常に大事だと思う 国家は嘘をついていいのか?
この問題には根本的にそれを訴えてそういう事は絶対に受け入れられない 
と言う風に考えないと 国家の嘘を認める事になると怖い大変なことになる 
国家が嘘をついていいと云う事になるとどれだけの人が犠牲になるか判らない

1894年ドレフュス事件(ユダヤ人)  陸軍大尉がスパイと非公開の軍法会議にかけれる 
1896年から他に犯人がいるのではないかと エミール・ゾラが真実を主張する記事を出す
真実を訴える 軍人批判 無実は認められる(1906年) ユダヤ系の人を廃除する動きが裏で
意識的に有った 
フェレール事件1909年(スペイン) 開放的な新しい近代学校を作ろうとした教育者 
カトリック教会が学校を支配していた 自分で考える事のない学校教育だった
モロッコ戦争に反対する運動 2000人が逮捕される 後から彼は捕まった 
運動はしていなかった(思想家故に)
フランスでも何十万人ものデモが有った 1912年に不当判決とされたがその前に処刑されて
しまった(真実は認められた)
大逆事件は真相は明らかにされつつあるが判決は再審請求は否決されている
国家に対する信用  不公平な裁判は問題

フランスには報道はされていた 当時フランスではドレフィス事件の時に動員して国家が間違えた事
に対して大衆運動で真実を勝ち取ったと云う自信を持つようになったというのは大きい
大逆事件が起きて 処刑される前と後では日本の描写が変わった 
処刑前は議会が有るし民主主義的な国だから間違いは起こさないだろうと信用が有ったのが
処刑になったのが 民主主義的ではない日本に対する信用がなくなった 
野蛮な国である     イメージがかなり変わる 
フランスでは日本の大使館に抗議もしている アナトール・フランス ノーベル賞作家も 
抗議している 知識人も抗議をしている
フランス新聞→この人々がいかなる行為も実行しておらず 彼らの意図の身が裁かれている事を
考えるとまったく理解できないと書かれている
実行したと云う証拠の無いのに、人の意図とか思想が裁かれている と言うのは自由が守られていない
 厳しく批判している 当時の一般的な見方

最近の研究では意図すら無い人に対しても含めて処刑されている
アメリカの抗議は大きかった イギリスでもあった デモ行動 大使館への抗議  
日本への抗議行動に対しては情報がなかった(情報が自由でなかった)
大逆事件からの教訓→国家の義務が有ると思う 真実を守ることが大事 守らせる 
民主主義の原点だと思う

戦後60年になるが民主主義的な国なのに自分の歴史に対してどのように立ち向かうのか 
歴史の教訓を得ようとおもうと真実を認めないと云うのは大きな問題だと思う
なんかの形で真実を勝ち取らないと国家に対しての信用は出来るのか疑いを持っても当然ですし、
又人々が懐疑的になると云うのか
別に力関係で真実でなくていいじゃないかと普通に考えるようになると非常に危険だと思う 
そうなれば力関係で全部解決すればいいと云う考え方になって
非常に恐ろしい事が有りうるわけです 
ですから真実を勝ち取る事は非常に重要な事だと思います

中江兆民の『三酔人経綸問答』と 幸徳秋水の「20世紀の怪物帝国主義」をフランス語に訳している
中江兆民 『三酔人経綸問答』は面白い  小国主義 膨張主義について記載又 第一次世界大戦を
予言する様な記述がある 学者が読んでも驚いている
見抜いていたことにびっくりしている 日本は膨張主義ではなく小国主義が良いと云っている  
政治的センスを持っている
中江兆民はフランスに行き(2年) ルソーを翻訳  フランス革命の以前の思想家(モンテーニュ等)
 啓蒙主義を勉強 共和思想の影響が強く受けてる
 
彼は日本に関しては民主主義であったけれども 思想の影響は共和思想が強い
秋水の本は今読んでも意味のある文書 移民問題 愛国心 排他主義 今読んでもとても興味深い 
帝国主義のもたらす悪い問題を分析、言及していている事は驚いた
大逆事件を権力側から作って行った山県有朋 桂太郎 平沼騏一郎らがその後の天皇制 
軍国主義 進んで行って日中戦争 世界大戦 敗戦となり
中江兆民らが警告した意味は非常に大きい 将来的な意味が大きい 
この人たちの方が意味が有り 価値が認められる

これからの日本の進むべき方向としても価値のあるもの 民主主義と言うのは一人一人の価値観
が重要でその価値観によって築かれるものですから
その価値観の中に信用 真実への信用  別に真実でなくてもいいと云うような事であると
民主主義の原則から外れるし 人々が政治に無関心になってしまう  
おそれもある そういう意味でこういう本はとても意味のある 価値のある書物だと思います
今回の来日の研究ジェンダー 女性の位置の改善 今の日本の中ではどうして子供が産みにくいのだろう 
ジェンダーの視点から分析してみたいと思っている
経済的な問題が多いと思うが 戦争問題とジェンダー問題の二つがからんでいると思う
福島については報道が足りなかった 情報をどういう風に庶民に伝えるかという問題がある

2012年2月3日金曜日

大野はな恵(プロンプター)      ・オペラを陰から支えて

 大野はな恵(プロンプター)        オペラを陰から支えて  
プロンプター 1978年生まれ お茶の水女子大 東京大学大学院博士課程修了 
2010年9月~ 3か月間 文化庁在外研修員としてニューヨークメトロポリタン歌劇場で プロンプターの 研修を受けてきました   
プロンプター→お客さんの目に入らないところに居る スタッフの一人 
指揮者の人と歌手のアシスタント的な役割 歌手にオペラのテキストをこそこそと教える
客席と舞台の間にオーケストラピットが有りオーケストラが一段低くいる 
客席側に一番近い処に(客席から見えない)プロンプターーピットが有る

ハプニングが起きた時に役に立つ 舞台上でいろいろ動きが有る 
オーケストラの伴奏も聞こえない時もある 
瞬間的に頭が真っ白になってしまう時が有る
声を出すタイミングが判らない等いろいろトラブルが発生した時 其の時に助ける役割  
始めたのは2006年 20回程度経験している  
オペラコーチをいていて イギリスに居た時に一時帰国して先生からプロンプターの募集を新国立劇場がしているとの話が有り応募した 
以前はドイツ 1年ベルギーに2年 イギリスに1年半 海外にいた 
オペラに係わるいろいろな勉強をした
 
ドイツ語 英語 ロシア語 イタリア語 フランス語 チェコ語 を体得している
最初はピアノの伴奏で稽古が始まる 其の時からプロンプターが参加している 
上演時間は休憩をはさんで3時間ぐらいになる 
歌の開始のタイミングを手で指示する  
合図のタイミング、仕方は歌手によって歌いやすいように指示する
舞台での練習は開演の約1週間ぐらい前 が一般的 
プロンプターは全ての劇場に有るわけではなく 余り置いていない場合が多い 
アメリカでは歌劇場所属のプロンプターが4人いる事が判り且 女性と言う事なので,女性に教わりたいと思い、アメリカの劇場を選んだ 
 
客席は4000人ぐらい(日本は2000人弱) 50人が音楽スタッフがいる  日本と規模が違う  
コミュニケーション能力が凄かった5~6ヶ国語を流暢に話す 
ロシア語をベースにしたオペラでもドイツ語 英語が必要で何カ国語も対応できることが必要
呼吸を邪魔しないタイミングで「入り」を指示する  
オペラによってはプロンプターがいないとできないような劇がある
稽古から千秋楽までずっと公演に付き添えるのでそこが楽しい 
初日は一番緊張するので初日が終わるとほっとする(この時が一番嬉しい)
モニターが有 指揮者がどういう風に振っているか判るようになっている(両サイド) 
オーケストラの音を確認するためのスピーカーが有る(音量調節できるようになっている)
メトロポリタンのプロンプターのように頼りになるプロンプターを目指してゆきたい

2012年2月2日木曜日

町田宗鳳(広島大学大学院教授)   ・愚かさの再発見2

町田宗鳳(広島大学大学院総合科学研究科教授)    愚かさの再発見
感謝のテーマ 一つ決める 「ありがとう」(感謝念仏)  一心に深呼吸してありがとうを念仏する 
できるだけ長く発声する
効果 何となく目から涙が出てくる事が有る 外国でやっても効果がある  
法然上人からヒントを得た  
法然のことば 「声はこれ念なり 念はすなわちこれ声なり」  信仰するなら声に出しなさい
 
「心の底より真実にうらうらと一念も疑念無くして精進に念仏せらるるなり」
現代人が宗派にこだわらず 現代世界で念仏するのにはどうしたらよいか 考えていたら
 「ありがとう」に出会った 絶食をした状態でやると更に効果がある
健康管理には気を付けている 人間の幸せ は何より健康であることが大切   
大きな声を出すことが健康にも良い 現代人は声を出す機会がなかなかない
法然自身が「愚」を推奨している  「知者の振る舞いをせずしてただ一向に念仏すべし」 
「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「ありがとう」・・・・何でもよいが唱える
声を出すことによって知らず知らず、自分の心の奥底の内に溜まっている否定的記憶(トラウマ)
が消えてゆく働きがある

誰もが生れてからずっといろいろな体験をしている 悲しい 寂しい 苦しい 否定的記憶が
無意識に深く蓄積されている これを癒すことがなかなかできない
それを掃除することはどうしたらいいか 昔は座禅 お題目 念仏しなさいと云うように有ったが
 現代人が宗教的世界に入ってゆくには中々できない  
「ありがとう」は宗教色はないし、大きな声でありがとうを言って 感謝の念が浮かび上がって来る
現代人は便利で快適な生活をしている 一方で運動しなくなった 
心と体がバラバラになってしまっている 生きていると云う実感を感じないライフスタイルになってしまっている
折角おいしいものを頂いてもあーおいしいとか 嬉しいとか 感情としてはねかえってくるものが
ばらばらになった心と体を引き寄せるのにはどうしたらよいかと言うとない

昔なら座禅等 私は「ありがとう」を10分20分と一心に発声する事によってばらばらになった心と体
が引き寄せられて重なり合ってくる
それを体験しています 嬉しい、たのしい、ありがとうという感情が湧いてくる 何でもいい 
スポーツ 音楽等 一心不乱に同じ事を繰り返す
心と体の融合 心と体を重ね合わすと云う事は大変大きな意味を持っている 
近代文明は分裂の文明でもある 人間と自然 科学と宗教 個人と共同体が分裂している
これから 新しい文明は心と体を融合してゆく こういう方向に変わると思うんです  
地球文明も分裂から融合に変わりつつあるのですが 個人の肉体に於いても 
分裂から融合への動き出してゆく そういう時代に来たのではないか
 
日常空間にずっと閉じ込めていると元気が無くなる 時々日常空間から非日常空間に自分を解放
してあげる わくわく楽しむ時間 愚かさの時間でもある
日常空間(会社 学校 家事 等々生活に欠かせない空間) 非日常空間
(スポーツ、音楽、いろいろな趣味等)
非日常空間に自分を遊ばせてあげる 責任感の強い人は日常空間に閉じ込めすぎる 
おりこうさんを止めておバカさんになる 
日本の伝統には素晴らしいものがある  お祭り→年に2度3度 村の人が酒を飲んで楽しんでいた 
現在はおまつりが形骸化してしまっている 
安全管理の面から管理されたものになてしまっている 自分のものになっていない 
以前は村が用意してくれた  今は村が祭りを作れなくなってきた
自分で自分のお祭りを作ってあげる事が必要  
子供に一度も勉強しろと言ったことはない 身体を動かせと云って来た 

長男は初めは医者になると云っていたが 大太鼓をたたく演者になっている
日本文化の発信力に和太鼓もあると思う  それぞれの立場で自分自身に自信を持って世界に
発信してゆく必要がある
日本の文化の素晴らしさをますます強く感じている(海外を回って)  
発酵力を日本の文化は持っている 良いものも 悪いものも 東洋も 西洋も 混ぜて 
そこから生み出すと云う日本の文化には 発酵力を持っている  
発酵力を生かして日本は発酵の酵母菌を世界にばらまいてゆくべきだと考えている
妙好人 下駄職人の浅原才市さん  この人は念仏を繰り返し繰り返し唱えているうちに深い
教界に入られて阿弥陀と一体となって生きておられる
 
下駄を作る時にかんなで削ったかんな屑に書きとめている  
「このあさましや 南無阿弥陀仏を 着せてもらって 南無阿弥陀仏 うれしい 南無阿弥陀仏」  
「私は悪いばかり 貴方は良いばかり 南無は慙愧で 貴方は歓気 慙愧 歓気で 南無阿弥陀仏」  
慙愧(罪の意識)と 歓気(救われたと云う喜び)が
ごちゃまぜになっている  神と人を分けるのではなし 善と悪を分けるのではなしに 
彼の気持ちの中ではごちゃまぜになって凄いいいものに発酵している 
「貧乏すりゃ また貧乏が宝  わしが宝は 南無阿弥陀仏」 貧乏を苦にしていない 
凄いのは出家して修行を積んだわけではなく 学問を積んだわけではなく
凡人の一妙好人がこんな深い境地に入るのは日本仏教の底力を感じるわけです

日本仏教 というのも 日本文化の発酵力の一つ現れだと思うんですよ 
科学も芸術も文学 の面でも日本の発酵力は表れていると思う
ちゃんと理解して認識して世界に発信するそんな時期に来たのではないかと思う 
日本人は宗派別に分けて考えがちであるが  バトンタッチ 一列につながっているものと考えて
いる(優劣とかは考えずに)  日本仏教には一貫した流れが有る
その流れの一つが「愚かさ」と言う事ですよ   それを西洋的な論理で世界の人にも理解して
もらえるように表現してゆきたいと考えている 

日本文化、日本仏教を積極的に評価して世界に発信してゆきたい これからの抱負
ハワイにフラダンスの研究に行く  今、 京大の先生と一緒に身体技法について研究している   
身体を使う事と宗教体験が如何に密接に繋がっているかと言う事を科学的に究明して行こうと思っている
ハワイ、フランス、ヨルダンに行くがこの感謝念仏を行う予定です
実は愚かさの正体は何かと云えば「愛」です「無分別な愛」 普通分別しながら誰それが好きだ
とか嫌いと言っているが 愚かさは無分別の愛 キリスト教的に言えば「博愛」 
愚かさは誰が来ても なにが起きても それを受け入れる 懐の深さが有るわけです
 
宗教的にも非常に深い物をかんじますし これから新しい文明の形を作って行くうえで
特定の信者であるとか 貴方は異教徒であるとか そういう区別をしていては争いは止まない 
どんな宗教に入っていようが どんな文化に育っておろうが
同じ人間としてすべてを無分別に愛してゆく それができるのは愚かさだけですよ  
だからその辺に日本人が持っている 大きな役割が有るんじゃないかと思っている

2012年2月1日水曜日

町田宗鳳(広島大学大学院教授)   ・愚かさの再発見

町田宗鳳(広島大学大学院総合科学研究科教授) ・愚かさの再発見
<概要>
1950年京都市生まれ。幼少のおり,キリスト教会に通う時期もあったが,14歳で出家   
以来20年間,京都の臨済宗大徳寺で修行  
34歳のときに寺を離れ,渡米 ハーバード大学神学部で神学修士号およびペンシルバニア大学
東洋学部で博士号を得る
プリンストン大学助教授、国立シンガポール大学准教授、東京外国語大学教授を経て、
現在は広島大学大学院総合科学研究科教授
著書に『小説・法然の涙』、『愚者の知恵』、『なぜ宗教は平和を妨げるのか』、『法然対明恵』、
『山の霊力』(以上、講談社)、『生きてるだけでいいんだよ』
「ありがとう」の言霊は、宗教や民族の違いを超えて、人間の魂に浸透していきます   
「痴聖人」について語る
「愚者の知恵」
愚かさは近代知の対極にあるもの
十牛の図と言うものがある  中国の唐の時代の水墨画 お坊さんが悟りを開いてゆく過程を
 10に分けて示している
第一図:尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す
第二図:見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する
第三図:見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態
第四図:得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものに
     なっていない姿
第五図:牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す
第六図:騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿
第七図:忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の
     中にあることに気づく
第八図:人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も
     特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく
第九図:返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。
     悟りとはこのような自然の中にあることを表す
第十図:入鄽垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿に
     なっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す

キリスト教では道徳的に完璧な人 神にもっとも近い人を祭壇に祭り上げられているが 
東洋では痴聖人として最高位に置いている
知識 情報で近代は発展し 社会が発展してきた あまりの物の大量生産 大量消費が
経済システムが行き過ぎて 地球の環境破壊 貧富の差を生んでしまっている
21世紀は近代文明の曲がり角に来ているのではないかと思っている  
アメリカ型の価値観が人類文明を引っ張ってきたけれどもライフスタイルを変える時期に
来ているのではないかと思う  聖書の中にバベルの塔と言う話があるが 高い塔を作って天国に
行こうとしたが 人間の傲慢な考えに怒って神が塔を壊してしまう
 
人間が愚かな事をしないように民族ごとに異なった言語を与えたという話になっているが 
どうやらここに至って近代文明はバベルの塔のようになってきたのではないか
医療にしろ 宇宙工学にしろ想像もできないような進歩をしてきたが 一方で地球の環境破壊
、極端な貧富の差を生んでしまって 人類のパラダイムシフトを
価値観の変更を 起こす必要があるが 今回のテーマである愚かさ これを再評価してゆく必要がある 
非常に大切な意味があるように思う 
近代知は学校に行って沢山本を読むとか インターネットで調べるとか 或る程度近代知は得る事
が出来るが「痴」の方はなかなか学校に行って本をよんでも手に入るもんではない
本当に長い人生の中でいろいろ体験することによって愚の発見はあると思う
 
単なる合理性を超えた痴であるから 秀才だから 頭の回転が速いから 
記憶力が良いからと言って獲得できるものではない 
十牛の最後に出てくるものだから「痴聖人」は並大抵のものではない
大徳寺に20年修行する 14歳 最も多感な時期に禅寺に飛びこむ 
不合理な世界に20年どっぷり漬かって これは非常に貴重な体験だと思っている
アメリカのハーバード大学 に行き神学を学ぶ 理屈詰め アカデミックな世界 痴の世界から
知の世界(対極の世界) 
例えばノーベル賞を貰った教授に対して理詰めでこちらの心の内の考えを言葉で理解してもらう事
なので大変苦労した

洗濯機が反転する様な感じで自分の中が混乱してしまった 
その中で「痴」とか愚かさに気が付いた
トルストイが晩年つくった非常に判りやすい民話を作っている  
仏教やキリスト教を超えた何か深いものがある そのなかにも愚かさを含んだものがある
「イワンの馬鹿」→イワンには強欲な2人の兄さんがいる お金土地を2人が取ろうと知る 
イワンはいいともと父に言う 損をする日々 けらけら笑って野良仕事をする
或る時に王様の目にとまり王女の婿さんに迎えられる 王様になってしまう 
宮廷で国王の着物を着ていても面白くはないと云う事で脱ぎ捨てて王女と一緒に
ぼろを着て野良仕事をして幸せに過ごす と言う話  下座行 キリストも下座行を評価する
「二老人」 →エルサレムに巡行に行くと云う事になる エリスエ(劣等生) ザックバラン おひとよし  
エヒーム(優等生)人望がある エリエスは喉が渇き水が欲しくなり農家にいく 

その農家は凶作で家族皆が餓死寸前 病気にかかっている 必死になってその家族を助ける
 巡礼に行くための資金をその家族の為に使い果たしてしまい
巡礼にいけなくなってしまう 帰ってしまう 古里に帰ってもお金をなくしてしまったと周辺にいう 
エヒームはそのままエルサレムにゆく
世界中から巡礼者が来ているので教会の中に入れない 後ろの方からようやく見ると協会の
一番前の祭壇の中央で 祭壇に向かってエリエスがお祈りをしている
はげ頭から後光がさしている 3日間行くがエリスエの姿を見かける 入口にまっていてもつかまらない 
ようやくあきらめ古里に帰って来る

古里ではエリスエは蜂蜜をとる作業をしている 祭壇の時と同じように頭に後光をさしていて
 一生懸命労働する姿を見かける 結局賢いエヒーム爺さんではなく 
愚かなエリエス爺さんが巡礼を果たしたと云う話  ロシア正教 トルストイも行きつくところは同じ
本当の人間の知恵は宗教を超えてしまうものだと だから道教「道」 儒教「仁」  仏教「慈悲」  
キリスト教「愛」 それを身に付けた人は同じ世界に居るのではないか
同じ世界と言うのはまさに愚かさの世界「痴聖人」 損得勘定を抜いた世界  
自由に魂をはばたかせている世界
近代文明を築き上げてゆくうえでは、近代知はそれなりに是非とも必要ではあったが 
そろそろ人類もこういう歴史の節目に差し掛かって 近代知の更に向こうに有る 

新しい知恵がどうしてもサバイバルの為に必要な時期に来た それが愚かさであると思う 
愚かさを身につけないと生きてゆく喜び 感謝そういうものが出てこない
全部算盤勘定で 合理性 合理性 と言う事で動いていれば生き甲斐は感じられない 
ああ生きててよかったなあ 生まれてよかったなあと そういう有り難さを
しみじみ味わうには自分の中の愚かさと言うものに気が付いて それを正面から抱きしめるような
生きかた それが必ず必要になって来ると思います 
最後に行き着くところが 「痴聖人」 知識が悪いわけではないが それをかなぐり捨てて  
原点に戻るという生き方 知識は知識で尊いもの 
うんと下に有る「愚かさの知恵」というそれを大切にして生きて行かないと 生きる喜び 
体感出来ないんじゃないかなと思います
 
実際に実践している方  マザーテレサ  あれだけの事をしてインドのヒンズー教徒 イスラム教徒に
対し ただの一人として私達がこれだけの事をしているのだからキリスト教に
改心しなさいと 一切云わない  本当に無心無我 無欲の気持ちで人々を助けた 
その人々と言うのはまさに一人一人にイエス・キリストがあるとそういうお気持ちで
救いの手を差し伸べられた 現代における痴聖人の御一人だと思う  
私もボランティアでインドで死を待つ人々の世話をしたが 死に直面すると云う事は中々日本では
ないのですが、マザーハウスでは日常的に死に向かいあわなければいけない
そういう体験をさせてもらって 凄く大切なことに体験させてもらった 
 鍵山秀三朗 公衆便所のトイレの掃除(50年前から始め全国的な運動になっている)  
路上の掃除 どぶ掃除をしている 愚かでないとできない
  
大学でもトイレ掃除を行っている  町田ゼミ 研究会の発表後はトイレ掃除にしている
素手で一心に同じ動きをくりかえすことによって力を入れなくても汚れを落としてゆく 
その汚れは便器の汚れではなく私の心の汚れです
それが落ちた時の喜び トイレを磨くと云うのもまさに愚かさの行為ですよね 
かしこい人にはできないですよこれは
愚かさの実践が喜びに繋がる 具体的な例ではないでしょうか 
 路上にゴミをポイ捨てする人がいますけれどもそれは自らの徳を損ねると云う事だと思います
日本中全国の人が地に落ちているゴミを拾うとか汚れているトイレを綺麗にするとか 
そういう気持ちになったら この日本と言う国は本当に良い国になると思いますよ

宗教家ではない人で、高い霊性(スピリチュアリティ)をもって生きている人がいる。
そういうひとは、目立とうとしない。成功を求めない
上昇しない。謙虚である。こだわりをすてる。世のため人のために生きる。
愛の生活をしていく。ていねいに生きている  そうしたひとになるしかない
善と悪、光と闇を統一的にダイナミックにとらえるということを実践するのは、具体的には、
ていねいに生きることである
ぞんざいにせっかちに生きていることを見直し、一瞬、一瞬をていねいに生きていくことこそが大事