平石眞司(NPO法人日本の竹ファンクラブ理事長) ・美しい日本の竹と文化を守りたい
平石さんは大分県国東市生まれで68歳、
横浜市港北市のニュータウンに引っ越し、荒れ放題だった竹林とその足元の自然の息吹に眼をとめ、同志が集まって26年前に団体を設立し、竹林の手入れを始めました。
昔、筍の産地だったので、竹林が残っている。
竹林にとっては葉替りして、1年で一番美しい時期です。
1993年に烏山公園(横浜市の公園)愛護会を発足させた。
公園、竹林が荒れていたので、公園を綺麗にしたいという事で立ち上げた。
竹の繁殖が強くて里山に浸食していて、竹林は見通しの利かない状況だった。(竹害)
冬に散歩中に里山で金蘭を見つけて、人間の手を加えてみようと思った。
日本の竹ファンクラブを立ち上げる。
2003年に「全国竹の名鑑」を作成。
全国で竹林が荒れている事を確認した。
地域で新しい動きも出てきて、竹を使って何かやろうという地域おこしの運動も起きてきた。
荒れた原因は人間側に有、1960年代、高度成長期、竹がプラスチック製品に置き換わってきた。
筍も段々中国から安い筍が入って来て、筍を作る人もいなくなって竹林が使われなくなった。
30年、40年経ち、放置されて、所有者も高齢化して、今更山に入れない状況になった。
竹林を手入れしなくなると、筍は出なくなり、段々竹が枯れてきて、地下茎は伸びて横に広がり雑木林、畑等を浸食する。
竹林の整備を始めるが、竹の間伐材の活用をどうするかが問題となった。
竹の利用、竹灯篭祭り、竹を竹林に並べると言う使い方をして、竹林に関心を持ってもらう事にした。
食べ物への利用、竹の学校を作って筍の料理コースを作って、料理の仕方を勉強してもらう事にした。
竹林の管理 秋は間伐(古い竹を切る) 春は筍の育成作業(間伐した量分を残す 密度管理)
持ち主に代わって、里親になるように市民に呼び掛けて、持ち主と契約をする。
行政とかが援助してくれて、チッパー機械を購入して、竹の間伐材を放置する事は無くなり、綺麗になった。
散策道にチッパーを撒く事で、気持ちよく歩く事が出来るし、竹林にも撒く。
5年経過後の竹を切る、(2割) 春には筍を2割り残す。
竹林の密度が高くなると、筍が出なくなり、外へと延びてゆく事になる。
会員は185名 団塊の世代の人が中心なので平均年齢も上がっている。
社会貢献活動、人と交わる、いい汗をかく。
2003年に第一回ワンモアライフ勤労者ボランティア賞を厚生労働省から、2010年に環境省から環境保全功労者と環境大臣賞を受けている。