和田 竜(小説家) ・歴史は地域の宝物
和田さんは1969年大坂に生まれる、その後中学二年まで広島ですごしました。
早稲田大学の政治経済学部を卒業後、番組製作会社などを経て、2003年にオリジナル脚本「忍ぶの城」で城戸賞を受賞、これを小説化した「のぼうの城」で2007年に小説家としてデビューしました。
小説第四作と成る、「村上海賊の娘」では第35回吉川栄治文学新人賞、2014年本屋大賞の大賞を受賞しました。
広島の太田川の近くに住む、子供の頃、川や山で遊ぶ。
早稲田大学で演劇をする。 高校の時に映画を見て映画監督になりたいと思っていた。
1年の時は舞台に立って役者などをして、2年の時には脚本を書いて演出なども行った。
脇役もキラッと光る様に書くようにした。
就職する段になって、いろいろ受けたが全部落ちてしまった。
製作会社でドラマをやっているところに拾ってもらって、TVドラマのADを3年ほどやらしてもらった。
脚本家になろうと思って、記者として専門誌のかたわらに、脚本を書き始める。
「忍ぶの城」で木戸賞を受賞する事になる。
ついていたら準入選ぐらいは行くかなと思っていたら、入選というい事で取れたと嬉しかった。
小説家になろうとは全然思っていなかったが、小説も脚本も80%ぐらいは同じだと思っていた。
「村上海賊の娘」で吉川栄治文学新人賞を貰う事になる。
小説を連載してくださいとの蓮絡が有り、従来は脚本を書いてから時間を置いて小説にするようにしていたが、間を置かず小説を書いたのは初めてのことだった。
1年ぐらい取材をやって、脚本書いて、直ぐに連載の時間が来てしまって、2年弱週刊誌に連載して、連載が終わって半年をかけて原稿を直してといった4年半だった。
私は脚本から入った方が書きやすい方ですが、今回良かったのは、あらすじを考えて連載に入るが、一回シナリオにするので、物語の矛盾点、テンポの悪さを解消してしまうので、問題点を解決した後に小説に置き換えてゆくという事で物語を磨きあげることができたと思う。
方言をしっかりしなければいけないと思って、教えてもらったり、調べたりした。
セリフ一つ一つに気を使った。
学生の時は歴史は好きではなかったが、小説を読むようになってから好きになった。
歴史小説から歴史を学んでゆく様なところがあったので、自分が歴史小説を書くんだったら、ちゃんと調べてきちっとしたものを読者に読んでもらわなければいけないだろうと思った。
村上海賊とはどういうものだったのだろうと学ぶ人もいるのだろうと思って、それに答えるように調べました。
戦国時代は際立った人物が多いので、好んで描く様になった。
バトルを書きたいので、村上海賊の場合は木津川口合戦を書きたいと、その関係性はだれ誰と、ニッチな事を書いている様に思われることはよくあります。
史実が有って、それが面白いので文字として書きたいと思います。
村上海賊の場合は戦国時代に大阪湾で海戦が行われたのは題材として魅力的だと思いました。
村上水軍の事はいずれ書きたいと思っていた。
昨年はいんのしまの水軍祭りに参加、浜辺にかがり火をたいて舟にもかがり火を乗せて、見ごたえのあるお祭りです。
敵方の真鍋七五三兵衛 の役で甲冑を付けて参加したが、演劇もやったことが有るので大丈夫だろうと思っていたが巧くセリフを言う事が出来なかった。
歴史は地域の人がまず大事にしていて、これが私にとっても重要なところです。
書物だけでなく、こういうものが昔あって今も祭りとして生きている、という様なことも重要だと思います。
次の作品に対してはまだ何も考えていません。
講演をしていると仕事をしたような感じになってしまって、いけないとは思う。(1年ぐらいになる)