2015年3月13日金曜日

田畑邦治(生と死を考える会理事長) ・別れの悲しみを分かち合う

田畑邦治(生と死を考える会理事長)      ・別れの悲しみを分かち合う
1947年北海道生まれ 上智大学大学院を卒業 2000年白百合女子大学の教授に就任、専門は宗教哲学、2004年からNPO法人生と死を考える会の理事長も務めています。
この会は特定の宗教に囚われずに、身近な人を失ったもの同士で、悲しみを分かち合おうと作られたものです。
会はどんな活動をしているのか、参加している人たちは離別の悲しみをどう分かち合っているのか伺いました。

会の大体の方は死別体験をお持ちの方が多いので、なるべくその人たちの立場に寄り添う様な気持ちを持って丁寧に接するようにしています。
①死別体験者の支援事業 (悲しみに寄り添う 分かち合いの会)
②死生観に関する社会教育事業 (古典等を読んで生と死を考える、講演会を開く等の勉強会)
③疾病障害の当事者と介護者の支援事業(ケアにかかわっている人の支援事業)
④広報、情報提供事業 (年4回会報を出したりして、社会への発信をする)

死別体験者の支援では、月に4回亡くなった方の対象ごとの集まり、①子供を亡くした人の遺族、②若い人たちを亡くした遺族、③自殺した人達の遺族、④その他に分かれてやっています。
深い悲しみを知っているスタッフが、皆さんの悲しみに耳を傾けて方向付けを行うという形でやっています。
10~20人の塊で行います。
死別体験の内容は千差万別ですが、例えば、昨日まで一緒に住んでいたのに、奥さんが突然亡くなった時の衝撃は一種のトラウマというか、残るわけですが、医療機関に行って悲しみが治るものではないので、会の方に来て段々と少しずつ同じ死別体験をもっている方との話し合いの中で話せるようになって、悲しみが無くならないが、亡くなった人との関係を取り戻すような、自分自身の生き方も新しい方向に自分の人生を向けてゆく、他の人への援助、にかかわってゆく。
そのような経験をしている人がスタッフに何人もいます。
娘が外国に留学で交通事故に会ったと言う人が、お子さんを亡くした分かち合いのグループのスタッフとして活躍している。
私のところのスタッフの80%はご自身が死別体験をもっている方が多いです。

死別の悲しみは衝撃が大きいので言葉で表すのが難しい。
世の中は忙しいし長く悲しんでいてはいけないと悲しみに対してタブーにするところが有る、次のステップに向かうべきだという社会のプレッシャーが有る。
悲しみが内側に押し込まれて行くという事が多いが、それは不健全な状態で、人間は悲しみを表現できるとか、自分のいろいろな悩みを表現したいわけです。
その機会が無いわけで安心して語れる、同じような経験をもっているという安心して語れる環境、場が必要で、自分で押し殺してきた事を表現できるという、そのような動機でいらっしゃる人が多いです。
信頼感が凄く必要で、これが出てくると段々表現できるようになってくる。

聞く方の立場の方は、本当に相手の話に徹底的に傾聴するという事が一番大事。
自分の判断、価値観を押し付けない。
スタッフも話を聞いていて、いろんな出来事を聞いていて衝撃を受けたり、自分の経験と重なりあったりして辛くなることもあるので、スタッフのケアも必要で、スタッフだけの反省会とか、荷降ろし、リラックスすることも必要です。

変わってゆくのは、死別体験をしてからの時間によっても違う。
悲しみは無くならないし、深くなってゆく事もあると思う、。悲しみはその人を愛しているから悲しむわけで愛情はますます深まってくるという事はある。
亡くなった人との関係を結び直すという事もある。
段々心の整理できてくると、社会生活も立ち直ってくるという事もある。
今まで経験しなかった事を経験した分、自分の人生観、価値観が大きく変容して、本当に新たな人格ができてきて、他の人を助けてあげたいとか、ボランティアをしたい、スタッフになりたいという人が出てきます。
私は特別な死別体験は無かったが、最初哲学者としてこの会の講座の講師として呼ばれました。
そのうちに会の人たちに誘われ会員になり理事になり、今は理事長になっている。

函館で祖父の代から水産業の家だった。(20人程度働いている)
5人兄弟で親戚、働いている人の子が来ていて楽しい子供時代でした。
15,6歳の頃キリスト教との接点が有った、函館はキリスト教、仏教とか、宗教的な背景が有るところ。
カトリック教会のフランス人の神父に出会ったのが私にとって将来を決定する様なおおきな出会いが有った。
話が聞きたくなるような神父さんで、いつも温かく迎えてくれてかわいがってくれた。
最初神父さんの様になりたいと思ってカトリックの神学校に入ったが、若かったためか幅広く考えることができなくて、信仰の確信ができないという思いが有り、哲学の方に向かっていった。
哲学は古くからあるが、哲学の中にも様々な科があり、その一つに宗教哲学があるが、本来哲学と宗教は違う、哲学は理性で考える、宗教は信じることが中心。
哲学のテーマは人生とは何であるとか、存在とは何であるかとかを考えるので、宗教の問題にかかわってくる、超越的な存在、神様仏様は人間の存在とて、どなたであるとか、存在するのかしないのか、哲学と宗教は違うものであるが接点が有る。
接点を考えるのが宗教哲学です。

生と死を考えるという事は哲学のテーマであり、宗教のテーマでもある。(お釈迦様の生死の教え)
看護系の大学にもいたのでケアの哲学、ケアの人間学もやって来て広い意味で宗教哲学に入る。
古典は人類の中で本当の人間の経験に深く触れたから生き残っているわけです。
人間の一番重い経験は生と死、愛する事、愛する者との別れはどの時代にもある。
それを言葉に残そうとしたので、今私たちは古典として引き継いでいる。
かなしみ、喜びの問題をどの様に表現したかを知ることに依って、今自分が経験している事を、遠回りですが、迂回路を通る様にして、故人の言葉を通して自分自身を理解出来るようになる。
自分自身がどの様に深い経験をしても、たかが知れている。
古典は非武装の武器、言葉に依って自分自身の人生を讃えてゆく。
源氏物語を講座で扱う事が多い、そこには生と死のテーマがふんだんにある。
光源氏は小さい頃3歳で母親を亡くして、6歳でおばあさんを亡くして、大きな恋愛での時に夕顔を失っている。 父親を亡くしたり身近な多くの人の死に出会っている。
彼の生涯は親しい人たちの死別体験から成りたっていると言ってもいいと思う。
光源氏を通してどの様に人間の死を味わい、死なれることによってどういう悲しみを味わったか、物凄く丁寧に書いている。
源氏物語は私にとって最も優れた死生観の哲学の栄養素になっています。

宇治十帖(光源氏が亡くなった後) 源氏物語の続編 
浮舟という女性  物語中唯一の自殺体験志願者。
三角関係の中で自分が死ねば、全ては治まると思い、自分で死のうと思うが、自分に対する否定的感情、助けられた後も川に捨ててと絶望的なことを言っているが、徐々に自分の人生を取り戻してくるが、その時に非常に大きな助けになったのは、彼女を助けた横川の僧都というお坊さんと家族、何年にもわたって、彼女のケアをしてゆく。
浮舟の生涯の中には、現代の非常に否定的な感情をもっている人たちを、どの様に助けて、どの様に自分の人生を取り戻してゆくのか、丁度私たちの会がやっている様な、支援する人間のあり方支援される人間のあり方を描いているので、大変興味深く読んでいます。

人間は泣きたいときに泣いて涙を流していいんだと、他の人の助けを必要とするんだという、人間の弱さとかを認めて行く事が大事だと思う。
誰からお世話を受けるという事が、人生にとって大変大事だと思います。
生と死を考える会でも、悲しみを押し殺して強く生きてきた人が、他の人の助けを受け入れるようになった時に、次のステップに進めるんじゃないかと思います。
源氏物語、西行法師、万葉集等の古典を採用して読み解いています。
会の平均年齢は60歳ぐらいです。
自分の大事な人を亡くした人との関係について、質問されたりすることが多いが、共通しているのでテキストと関係なく、魂が有るのかないのかとか、人生論の分かち合いにもなる。
普段考えている事を表現しあう事が大事だと思います。

日本人死生観の古典、生と死の遺産と西洋哲学との対話的な関係で、自分の今まで生きてきた日本人の哲学を形で表したいと思って本を準備している。
本居宣長は「もののあわれを知ること」だと言っている。
日々の小さな出来事のなかにある喜び、悲しみ、苦しみなどを丁寧にそれを味わうという事です。
それがもののあわれを知るという事で、それが少しでもできたら、人間のきずなが出来る訳ですし、生きる事、死ぬ事は大きなテーマの様に聞こえるが、日々の生きる事死ぬこと、とはそういう事ですね。
「もののあわれを知る」という事を、深く深く理解して自分の学校の教育の場、生と死を考える会で生かしていけたらと思っています。