2014年10月21日火曜日

橋本正樹(大衆演劇評論家)     ・大衆演劇の追っかけ男

橋本正樹(大衆演劇評論家)  大衆演劇の追っかけ男
43年前体調を崩して、自宅で療養中、自宅近くで見たたびしばいに人情ものに感動、しかも客が少ないのに汗水流して、熱演しているのに二度感動、大衆演劇に関わるきっかけになりました。
下町の玉三郎こと、梅沢 富美男さんが登場する17年も前のことでした。
最近は若い女性のファンが増え、客層も広まったと感じる、橋本さんに大衆演劇の面白さ、魅力、見どころなどを伺います。

昭和20年後半ぐらいから大衆演劇が下り坂になる。
昭和30年ごろからTV、映画などの影響を受けた。
昭和57年梅沢さんが出るまでの30年は沈みばっかりだった。
夢芝居が衝撃的だった。  紅白にも出場。
今は比較的安定期だが、東日本大震災で、ちょっと厳しくなる。
現在劇団は130~140あると言われる。昭和57年と比較すると倍増している。
梅沢さんの功績がある。
近畿圏に23ぐらいあり、そのうち大阪は13ある。
大坂のお客さは駄目なら、はっきりと駄目と言う。

一時期は700ぐらいあったと言われる。 JRの駅に一つはあったと言われる。
剣劇など 昭和10年ぐらいが盛況 戦後娯楽が無くて繁栄。
昭和46年に私は大衆劇に接する事になる。 (大学卒業後2~3年ごろ。)
そのころは劇場がつぶれて、駐車場、ボーリング場、スーパー等になって行った。
新聞を見て冷やかし半分で寿座に出掛けたが、お客は3人、その後多少増えたが、劇団人が15名ぐらい。
客が少ないのに、一生懸命やっていたのに、感動した。
大日方八重子?さんが女座長をやっていた。(座長の孫が大川 良太郎
澤村章太郎が寿座に来て、四谷怪談をやっていて、5日間に分けての公演で、それを見て面白くて、寿座で見るのではなくて、追っかけるようになった。

藤山 寛美さんが大阪の朝日座に樋口次郎、大川竜之助 三河家桃太郎を呼んだと言う事があり、三河家桃太郎の演劇を見に行ったら、感動、ほれぼれする。
それを見て、大衆演劇を記録にして残さなければいけないと思った。
どうしたら信頼してもらえるか考えて、移動時の荷物運搬が大変なことなので、これだけお芝居、役者さんが好きで一緒に運びますという事で、やっているうちに、座長さんがこれは本気なんだと理解してくれた。
劇団に密着して取材をする。 密着したのは20劇団ぐらい。 取材50劇団 合わせて70劇団。
東京はあっさりした劇、九州は大熱演する、(福岡、熊本が主流 大きな劇場がある)
関西は器用で、サービス精神がある。(ショーも関西から始まった 役者が歌ったり)

こんな汚処を調べに来て、なんで撮るんだと言われて、怒られたが、座長が芝居のこと、生活のこと調べてくれるのは嬉しい、いいこと悪いところ見て、見たうえで貴方が良いと思ったら書いたらいいと言ってくれた、この言葉が無かったら、終わっていたかもわからない。
書かせて頂くと言う気持ちで書かせてもらっている。
毎日芝居の内容が変わるが、台本はない。 休憩時間や、終わってから座長が役振り、音響やれとか指示しながら、小道具はこうだとか、色々指示する。
通しの芝居の練習などはしない。
赤ん坊、子供のころからずーっと舞台に上がっているので、知らず知らずにセリフの呼吸とか言うのを座長になる人は心得ている。
子供は転校転校で、教科書が違ったり大変で、付いていけなくなったり、学校を休みがちになったりする。

「浜で3年、ドサ1年」 道頓堀の事を「浜」と言った。
道頓堀で3年修行して、ドサ周りで1年廻ってこい、そうしたら芸が達者になる。
大衆演劇の魅力?
素直な気持ちになれる。 構えるのではなく等身大の自分で見られる。
判っているすじなのに、泣けるんですね。
安い入場料で楽しめる。  努力してお客さんに楽しんでもらおうというサービス精神がある。
役者さんが身近かに、お客さんに対応してくれる。
最近は若い女性のファンが増えてきている。