2014年1月24日金曜日

深草アキ(秦琴奏者)      ・ 中国古典楽器と出会って

深草アキ(秦琴奏者)        中国古典楽器と出会って
1949年生まれ もともとはベース奏者でしたが、35年前に中国の古典楽器、秦琴に出会いまた。
秦琴は木で出来た中国の古典楽器で、今では中国でも演奏をする人が少ないようです。
三味線の様な形をいていて、弦は3本、深草さんは主に爪で奏でます。
大学卒業後、深草さんはベース奏者として活躍しますが、和楽器も興味を持ち初め、自分自身の音をもっとストレートに表現できる楽器を探していた頃秦琴を見つけました。
それを自分で弾きやすいように修理して独自の双方で演奏するようになりました。
秦琴とので出会いや魅力などについて伺います。

本名は彰 女性に間違えられる。 64歳 
基本的には演奏活動が主ですが、CDを作ったり、演劇の音を担当したりする。
桐の板で胴体が梅の花の様な形をしていて、厚さが5~6cmで60cmの竿がついていて、3弦の絹糸が張ってある。
三味線と大きく違うのが棹のところにフレットがついている、三味線はつるっとしている。
3本も16通りあるが、チューニングしながら弾いている。
中国でも専門の科がないので、弾く人は少ない。
2000年ぐらいの歴史はある楽器ですこしずつ形を変えて伝承されている。
「星めぐりの歌」 
真夜中に沁みいる様な音  
秦琴とので出会って音色作りに最初取り組んだ。  新しい日本の音色を作りたかった。
それをもとに音楽を構築しようと思った。

ベースを35年前にやっていて、自分でストレートに表現するのが難しかった。
骨董屋を何年も回っていて、渋谷で古民具市で出会った。
由来が解らないまま、そこで買った。
秦琴も私に買われなかったら、半分朽ちていたので朽ちてしまっていたかもしれない。
物凄いインスピレーションがあった。
夢中で治して、絹糸を張りたかった。 どのような太さにすればいいかわからなかったが、4年ぐらい試行錯誤しながら、手に入れてから5年ぐらいして皆の前で演奏してしまった。
聞いている人からいろいろと注文されながら、演奏を考えた。
10年単位でもものごとを考えるようになって、取り組むようになった。
全くゼロから作り上げる、音色も作り上げる、奏法も作り上げる、音楽も作曲して作り上げてきた。
この楽器独特の音色、音楽を見つけ出して奏でてゆくことによって面白さが出来てくる。

普通はピックで弾くのは手で弾くのかは分からないあが、壁画ではピックで弾いているように描かれているが、私は爪(コーティングして硬くして)で弾いている。
強弱が、私の呼吸と楽器の呼吸が合わせやすい。
調子がいい時はわたしの呼吸が綺麗だし、それに合わせて音色、音の強弱の呼吸が綺麗に歌うのでそれが大事で、それを伝えるには爪が一番いいと思います。
1987年 大河ドラマ 武田信玄で演奏している。
甲斐の地方の風の様な感じがするといわれて気にいってもらった。
『藏』、『春燈』、 『櫂』宮尾登美子さんの3部作 で私が作曲して音楽を担当させてもらった。
ベースをそのままやっていたらもっと苦戦していたかもしれない。
ベースは重くて大変だが、軽くてナイーブで柔らかいので年をとっても表現出来てゆくのではないかと思う。
演奏者が音楽より先に出てくるのは面白くは無いと思っている。
音楽に自分が捧げていきたい、そこで何かいろんなことが起きてくる。

子供の時は、割と音楽は好きだった。 父親が新しいもの好きだったので電畜があった。
中学校の 3年でエレキギターを購入した。 前年ビートルズが日本に入ってきている。
エレキ少年だった。 慶応大学に入って法学部にはいったが、音楽三昧だった。
友達が就職していく中で音楽が手放せなった。
ベースで仕事を始めた。(周りからは大変反対されたが)
卒業後バンドを組んだ。 
解散とかしながら、変遷して70年代を代表するファー・イースト・ファミリー・バンドにはいる事になる。
ボーカルが宮下文夫さん シンセサイザー 高橋正明(現・喜多郎) 私はベース  6人構成
そこに3年いたが、密度は濃かった。 観世音と言うバンドを作る。(和楽器も使用)
日本人の笛の名人とかを知らないのはおかしいと思って、聞きに行ったが、尺八の福田 蘭童のレコードで横山勝也さんと横山蘭畝さんの親子が尺八を吹いていて、音色に物凄く感動した。
バンドに尺八、鼓、琵琶なども入った観世音と言うバンドになった。

私の表現したい音楽をやろうと思ったので、私の想いが色濃く出ていることなんでしょう。
当時和楽器をしている人達が新しい音を求めていた。
観世音の時に、骨董屋を回って新しい楽器を求めていた。
妻の母親が東横で骨董屋で楽器販売やっているよとの一言でたまたま秦琴と出会う事が出来た。
10年一区切りしないと習得できないかなと思って、ある意味それぐらい習得しようと思ったんですね。
収入が大変だった。 アルバイトもしたし、どんな小さな演奏の場にも出かけた。
楽器を弾くのは運動神経もある、テクニック、指を動かす運動神経。
味が出てくれば一番いいが、どんなに年をとってもあのおじいちゃん面白い音を出しているなあと、どんなに年をとっても新しい音を出すことは、面白いと思っている。
出来る限りやり続けていきたいと思っている。
新しいCD「満月の滑空」、足かけ2年をかけた労作だと思っている。
魂の飛翔の様ないイメージ、命のあるもの必ず別れがあり、別れの中には必ず悲しみがある。
人間は悲しみを背負って、生れ落ちて生きているが、その悲しみのなかにも 思い出の中にも喜びがあったと思う。
喜びが次の希望になってほしいという気持ちの詩ですが。