2025年12月16日火曜日

秋野太作(俳優)              ・つらいことがあればやり過ごす秋野流生き方

秋野太作(俳優)              ・つらいことがあればやり過ごす秋野流生き方

 秋野さんは1943年東京都生まれ。 大学在学中の1963年に俳優座養成所第15期生として入所。  1967年テレビドラマ木下恵介劇場「記念樹」で俳優デビューします。 その後テレビドラマの「男はつらいよ」「天下御免」「必殺仕掛人」など人気ドラマに出演、1975年から一年間放送されたテレビドラマ俺たちの旅』が話題となり、その後も10年おきにドラマ化されます。      1976年津坂 匡章から芸名を秋野太作に変更します。 現在も俳優として活躍中。 今年ドラマ「俺たちの旅」が50周年を迎え、鎌田敏夫さんの脚本、中村雅俊さんが監督し、「五十年目の俺たちの旅」と言う映画が2026年1月に公開されます。

テレビドラマ俺たちの旅』は大学生を対象にして、これから世に出る直前の3人を主人公にして、風変わりな作品でした。 終わってから何度も再放送することになり、名作扱いとなりました。 時代が移りこんで、若者がもがいていました。  ドラマを見てマネする若者が出て来ました。  「五十年目の俺たちの旅」と言う映画が2026年1月に公開されることになりました。  

母親が早く亡くなって父子家庭でした。  昭和18年生まれで、2歳の時に空襲で大分の方に疎開しました。  母は再婚で、家は前の旦那の家なんです。 義理の兄さんが2人いました。 母親は肺病になってしまって病院に入ってしまって会いたくても会えませんでした。    先夫の家で死なす訳には行けないという事で、父が母と私を連れて戦後の東京に引っ越しました。 狭い長屋で母親は直ぐに亡くなります。 近所のおばさんが「お母さんは亡くなったの。」と聞かれて、初めてあれは母親だったんだと判りました。 小学校1年から3年生までは学校は給食を食べに行くところで、一切勉強はしませんでした。  授業の時にはぼーっとしていました。  父親は銀行員でしたが、独立して印刷屋を始めますが、長屋は巣鴨にあってて、週末だけ父親が迎えにきて印刷屋のほうにいって、土曜日の夜だけ一緒に寝ていました。父親から小遣いをもらって、日曜日には一人で2本の映画を見るのが物凄く楽しかった。 夕方にはまた巣鴨の長屋に帰って行きました。 後から秋野君は寂しそうな子だったよねと友達から言われました。

大分にいた頃に弟が出来ていて、小学校1年生になる時には引き取らなくてはいけなくなって、母親の親友(永田さん?)が弟を東京に連れてきてくれました。(2泊3日)  酷い状況なので、親友(永田さん?)が半年ぐらい必死になって、私の面倒をいろいろ見てくれました。  身の廻りのもの、勉強も教えてくれて、それで奇跡的に助かった。  父は婚活をして2度目の母親が子連れでした。(同じ歳の女の子)  小学校で何故か級長に選ばれました。(女の子にもてた。) 成績が良くないことを先生が知っていたので、級長にはなれなかった。 2学期には級長になり何とか務められました。  5年、6年では学校に行くのが楽しみでした。(人気者) 

中学生のころになると、2度目の母親は可哀そうな人で、教養が無くて人柄にいろいろ問題があり、私へのいじめが始まります。 学校では相変わらず人気者で、勉強も出来ていたが、家に帰ると散々でした。  公立の高校に入り、相変わらず母親とのバトルがあり、家出のことしか考えていなかった。  日本大学法学部に入って、3年間で全部単位を取って、司法試験を受けるクラスがあってそこに入って、1年で挫折しました。 進路をどうするか考えました。

俳優座養成所第15期生として入所しました。(20歳) 仲代達也さんに影響されました。   養成所以降はバラ色でした。 養成所は3年間で、その後俳優座に入りました。 栗原小巻さんと原田芳雄と私でした。    いい先生にも巡り会えました。 

天気の悪い日は頭を沈めて、無理に表に出ないで、抵抗しないで、雨雲が去ってゆくのを待った方がいいと思います。 天が味方する時期があるんですね。

外の世界へ出るとそれはそれで面白かった。 新劇の世界の枠から違う視点で考えられるから。 テレビドラマはいろんな雑多な世界から集まって他流試合をする場所なんですよ。    ワクワクして本当に勉強になりました。  僕は渥美清さんの大フアンだったので喜んで出ました。  それから幅広く芝居が出来るようになりました。   外の世界をもっとやりたいという思いが劇団を辞める原因の一つにもなりました。   「天下御免」は自由にやっていました。 渥美さんとは非常に馬が合いました。  「必殺仕掛人」もやりました。 「五十年目の俺たちの旅」もビックリです。

父からは「金と女と健康には気を付けろ。」と言われています。 父は女運にも悪かったし、金も戦中戦後苦しい時を生きてきているし、歳をとった来ると健康も壊していたので。  健康は自分のせいですね。 健康が一番ですね。 舞台をやりたい、本当は演出もしたい。