2016年5月24日火曜日

亘 和彦(一粒の種 会)    ・ふるさとにホタルの光を

亘 和彦(一粒の種 会)    ・ふるさとにホタルの光を
69歳 千枚田と農村歌舞伎が残る中山地区は、今から40年前この地を襲った台風で甚大な被害を受けました。
山が崩れて川を覆いそこに生息していた蛍が姿を消してしまいました。
それに気付いた亘さんは30年前ただ一人で掃除をはじめました。
土砂の撤去雑草取りなど水が綺麗になる様に黙々と作業を続けました。
蛍の餌のかわになを養殖し、えさの与え方、水の温度等独学で10年間続けた結果昭和61年源氏蛍が誕生しその後 1000匹、5000匹と増やしてゆくました。
北海道から九州からも蛍見物のお客さんが1日1000人集まる様になりました。
今年も源氏蛍が飛ぶ季節を迎えようとしています。

小豆島町中川地区に殿川が流れています。
里山の生き物には蛍、むかで、蛇、蜘蛛、オオムラサキも見られる。
里山の生き物が一つ壊れると生態系が壊れて、長い年月に生物がゼロになってくる可能性もあります。
私が小学校の時には子供がたくさんいました。
今から40年前この地を襲った台風で蛍がいなくなって、せめて昔の原風景を取り戻して、蛍が飛んで良かったなあという恩返しがしたかっただけです。
台風では自分の家も流され人も38人が亡くなりました。
川がえぐられて、急な流れになってしまったので、蛍が住めなくなった。
コンクリートで綺麗にしてくれたが、気が付いた時には蛍、ウナギ、沢ガニももずく蟹もいなくなってしまった。
これはいかんと思って一人で取り組みました。

一人で黙々と川を綺麗にするためにやってきました。
妻には着物も買ってやれずに、付け物一つで飯を食って、今日働けて良かったねと言ってくれて、20年掛かってやってきて、青年会議所、ロータリーの人達が手伝うという様になりました。
平成4年には自信をもつようになりました。
エコと生物多様性が取り上げられた。 TVで洗剤を使わない様な取り組みが放映したりした。
周りから見れば変わっていると言われたが、乗り越えるのには、涙が出るのう、騙されてねたまれて・・・・言いたくない。
くやしい思いを乗り越えられたのは、恩返しや、俺がここで生を受けた時から宿命に思われたのかもわからん。
蛍が住める環境が大事だよと言っている。
元の川になったら蛍は来ると思った。
蛍の研究をして、失敗ばっかりして自分で仮説を立てながら検証して、又仮説を立て検証してやりあげた。
60万円かけて飼育場をつくって評判になって成功した時にはあらゆる人が褒めてくれた。
平成16年ごろは辛かった。
初心にあった時の感動とか、謙虚さがあったが、ロータリーや、青年会議所からご飯の招待があったり、町会議員等が取り組んだことを説明してくれと、聞かせてほしいとの要望がいろいろあり、取り組んだことを話して、引っ張りだこになり自分が有頂天になった。
身体障害者の人達が蛍を放流して、車椅子の人達が一杯見に来た。
・・・あのときは泣けたのう。 初めにあった謙虚さや、感動もの・・・ やっぱり俺は馬鹿や、その時初めて子供に対してわし悪かったのうと心を入れ替えた。(・・・部分 聞きずらくて不明)
それから自分は変わった。(平成18年)

古典文学を学んで、方丈記を1章から7章まで1000回も読んだ、特に第6章など感動した。
偏っていた心を是正した。
貧乏のつらさを貧乏を楽しみに変換したこと。
貧しいものでも付け物一つでも楽しく食べるようになった事、目の前に鴨長明(妻)がいた。
北海道から九州からも蛍見物のお客さんが1日1000人集まる様になりました。
平成12年5月7日蛍が飛び出した。
幼虫が水から上がってきて35日目に飛ぶ。
「一粒の種」は、25~30年も活動して付けた言葉で、蛍も同じように考えた。
草がいっぱいあって刈っていたら看板に頭を当たって倒れたが、家に帰っておかしいなあと思ったら動けないようになって脳梗塞だった。
言葉が巧くいかなくて一日2時間声の練習をするようになり、しゃべれるようになった。

漢文でも自分で大きな声を出したり、白楽天杜甫李白張継、にしても時間のある限りやっています。
今は吾妻鏡、平家物語なども書けます。
義経記(ぎけいぎ)は書けないけれど部分的には言えます。
今でも思うのは粗末なものでも美味しく食べてくれるというのは妻は凄いと思う。
夫婦は誉めたりけなしたり、腹をたったり笑ったりするのが夫婦だと思う。
蛍は今、ゼロに近くなってきました。
一時期何万匹になったが、護岸工事で全部コンクリートになり蛍がいなくなってきてしまった。
故郷を守りたい。
守ってゆく過程の中に蛍がいて、トンボがいて、という事にしたいが、共存共栄は綺麗な言葉であって実際はそうならない。
去年飛んだのが48匹だった。
今は源氏蛍から平家蛍に交換しています。

蛍が住めるような条件を作ってやって、流されることはしょうがない、蛍にお前らも頑張れと言って、小学生にも一緒にやってくれます。
生き物たちに手を貸せる様な人間になってもらいたいと思うのが望みです。
育った子供が千葉に行き、千葉からから放流させてほしいと毎年来るようになった。
この地区に恩返しができたことは俺の最大のメリットだと思う。