2014年9月10日水曜日

徳川恒孝(徳川記念財団理事長) ・海外で知る江戸の遺産

徳川恒孝(徳川記念財団理事長)   海外で知る江戸の遺産
徳川さんは江戸幕府、徳川家康公から続く徳川宗家の18代当主です。
昭和15年東京生まれ、74歳 会津の松平容保家の分家の生まれで、母方の祖父、17代宗家 徳川家正さんの養子となり、23歳で徳川家の宗家を引き継ぎました。
学習院大学政経学部を卒業された徳川さんは海運会社日本郵船に入社し、2002年副社長を退任されました。
その翌年、徳川記念財団を設立し、徳川宗家の歴史的資料の保存や研究、徳川賞を創設して、江戸時代の研究者を支援しています。
徳川さんはビジネスマンとして、世界の多くの国々を廻りながら、各国の文化や歴史に触れ、様々な民族の人達と接して日本への高い評価を再認識したと言います。
特にアメリカに駐在したとき、アメリカの歴史学者から、260年余り続いた江戸時代の平和は世界史的に見ても希有な例であると言われたことは印象に残っていると言います。
徳川さんは著書、「江戸に遺伝子」で江戸時代の歴史や文化を見直してはと語っています。

退任後直ぐに、徳川記念財団を設立しました。
戦災で盛大に焼けてしまったのですが、それでもいくつかあり、財団を作って、10年になります。
WWF、自然保護団体の日本の会長をしたり、他にいくつか財団の会長、理事長をやっているので結構忙しいです。
私の先代は祖父 家正 その長女が私の母です。
中学生に入ったころ、おじいさんから家に来るかいと言われて、来ました。
その前は会津の容保家の分家(松平恒雄)の生まれです。

23歳の時に徳川家の宗家を引き継ぎました。 
日光、久能山のお祭りには会社を休ましてもらって、行きました。
例大祭の時には衣装を付けて行いますが、式が終わった後に御所に参拝に行くが、階段をずーっと登るので、はかまを踏んでしまったり、降りるときに木靴が外れて、階段を転げ落ちてしまった事がある。
翌年からは毛まり用の皮靴になりました。
中学生の初めころか、お爺さんに徳川家康を知っているかいと問われて、当時真田十勇士がヒーローでその話をした、家康はとっても悪いやつで、正義の味方の真田家をいじめるものだから、猿飛佐助等、真田十勇士がそろって家康と闘うが、天海僧上という魔法使いの様なものがいて、いつも難を逃れちゃう、お爺さんそんなことも知らないの、と言ったがげらげら笑われて、これからいろんな本を読むんだよと言われた。

日本郵船に入って、先祖が鎖国したので、何とかしなくてはいけないとは、全く思わなかった。
徳川を意識したのはアメリカに勤務したとき、ジャパンソサエティー会場であるお爺さんが話しかけてきて、将軍の徳川だと言ったら、手をつかんで離さない。
あなたは大変な家を継いでいる、260年完全な平和な国を治めて、巧みに国を豊かにして、文化を育てた、こんな国は世界中に日本しかない、後を継ぐ子孫の一人なら是非勉強しなさい、と言われた。 ハーバード大学の大先生だった。
外国から見た日本と言うものの中で、江戸時代がそんなに高い評価を受けていたことを知らなかった。
徳川幕府が鎖国をしたために、日本が非常に遅れて、封建主義、暗黒の時代が230年ぐらい続いた、と当時は学校で教えていた。
アメリカでの先生の話を聞いて、そんな見方もあると思った。
戦争をしないで、国を守ると言う体制が、家康公の時代に確立したんだと思います。

「江戸の遺伝子」 著作
同じ時期のヨーロッパの文明と比較しながら行くと、
参勤交代 どこからも評判が良くない。
ヨーロッパでは二つの国家の型がある。
フランス型として、国中の小さな大名などが全部ベルサイユに住んでいる。(集中型国家)
そこに大変な数がベルサイユに住んでいた。 8000人
自分の領地の天災などに対して、無頓着で、これだけの金をもってこいと言う様な感じだった。
もう一つが全く逆なドイツ風、ドイツが日本に開国を求めてきた江戸の末期、27ぐらい国家があった。 27カ国と交渉をせねばならず、結局交渉は成立しなかった
ドイツではベルサイユ、江戸みたいなところがなかった。(分散型国家)
日本のやり方は分散した国家の殿様が毎年、一年おきに江戸に来る。
二つのシステムの両方を取ったのが、参勤交代。

ある意味、日本中を視察しながら、行ったり来たりした、産物、豊かさを眼に見ながら行ったり来たりする。
若者が都会に出てきて勉強して、後に大変な人になる。 侍に限らず、下働きの人を含め。
青森の人も薩摩の人も、いろんな藩の人が江戸で交わる事になる。
それを260年続いたので、文化全体が広がってゆく。
明治になって、日本が一遍に新しい国に代わる下地は参勤交代にあると思う。
そういう中から、地方名産品が出てくる。
江戸で売れる名産品を作る、共通テーマ。(今と変わらない)
近代国家に入るための地ならしはほとんど江戸時代に完成していた。

武士の教育
藩校があるが、寺子屋教育は盛んだった。
文字が書けないと、商売はできないし、地方でも行政は村役人に投げられているので、村役人になるためにはきっちり字が書けないといけないので、地方でも教育が盛んです。
1800年代のはじめとしたら、世界で日本が一番識字率が高い。
職業に合う様な勉強をしてゆく。  寺子屋が使っていた本は3000冊ある。
授業料お金で収められない人は、掃除をしたり、いろんな方法でお礼を返そうとする。
人間関係は濃密であった。

日本は、江戸時代は世界で最も清潔な国、国民で有ったと思われる。
風呂屋、必ず一日一回は風呂に入る。
下水道処理は流すことを考えるが、貴重な肥料と成る。
江戸城のトイレは一番栄養価が高い、貧乏長屋のトイレは薄くて肥料の価値が下がる。
江戸城のトイレを取る権益を持っている家が一つ有って、260年間ずーっと汲まれる。
次が各大名の屋敷、豪商など。
台所の最後のごみは捨てられて、そこが埋め立てに使われる。
再利用、再利用されて、ゴミにはならない。

ベルサイユ宮殿には当時トイレは一つもなかった。
木の箱に、上に丸い穴があいていて、下に便器を入れて蓋が閉まる、西洋式トイレの原型。
毎朝それを庭の茂みに捨てる、だからベルサイユ宮殿は驚くほど臭いと言われ、事実そうだったんでしょうね。
今は家業を継ぐ、と言う事が無くなってきて、小さな単位になってきて、西洋の方がはるかに家を守るとかと言う事に力が入っている。
日本の方が社会の基礎と成る単位、家をばらばらにしてしまった、のではないかと思っている。
イギリス、フランス、アメリカなどはもっと、家の関係を大切にしている様に感じている。
日本では無くなし過ぎたと感じる、家が中心で家族が集まってくるように、家族を大切にして行かないと、家族が持っている社会の基礎、道徳、と言う様な部分が無くなってきているので、馬鹿げた事件が有ったりするが、それを止めてゆく力が本来家族の持つものだと思うが、そういったところが心配です。

グローバリゼーション 日本にいい影響を与えていないと思う。
グローバリゼーションが悪いとは思わないが、日本がせっかく持っていたいい部分を捨ててしまう事は良くないと思う。
社会としてのモラール、震災後の日本は、綺麗な列を作るが、他の国では人を突き飛ばして、物を取って行ったりするので、日本人が古来持っている道徳、社会はまだ大丈夫だと思うが。
日本が一生懸命輸入するのは、西洋の都会文明の部分に眼が行くが、そうではなくて自然を守ろうとするルールの厳しさは日本よりはるかにきつい。
自然と共に生きている様なものを早く取り返さないと、逆にこっちの方が機械文明にだけ一生懸命になっている変な奴だと思われるかもしれない。
日本的感覚はほとんどその間に築かれたと思うが、急速に失われつつあり、家の考え方、家族とかいろんなことがあるので、ちょっと心配です。

平和が第一、日本はいい国としての基礎を持っている。
言語、学力も同じ、この良さをもっと大切にした方がいいと思う。
徳川を倒して150年、最初の75年は戦争ばっかり、そのあとの75年は違う。
平和を何とか守りたい。
国の持っている良さをもっときっちり守った方がいいと思う。