2014年3月9日日曜日

江刺由紀子(読書ボランティア代表)  ・「読み聞かせ」で子どもの心を支えたい

江刺由紀子(読書ボランティア「おはなしころりん」代表) 「読み聞かせ」で子どもの心を支えたい
1962年大船渡市の生まれ 10年以上アジアの国を中心とした国々で、大学で学んだり、ゲストハウスの経営や、ボランティア活動などを続けてきました。
現在は夫と二人の子供と一緒に大船渡市で暮らしながら、お話ころりんの代表を務めています。
お話ころりんは市の図書館主催の読書ボランティア養成講座の受講生有志で平成15年に結成しました。
会員はすべて女性たちで、当初の三倍の29人がいます。
江刺さんらは震災後、2週間から避難所巡回お話し会をはじめ、学校が再開してからは移動図書館などの活動を行っています。
子供たちにとっての読み聞かせの重要さ、グループのこれまでの活動などについて伺います。

大船渡線は一関から大船渡市までを走る路線、現在は中ほどの気仙沼までの運行です。
そこから先は代行バスのままです。   駅前に事務所がある。
蔵書は1万1000冊、 全国から送られた本 一人一冊運動、団体でまとめて送ってくれた本、図書館で送ってくれた本、このおかげで私たちは活動ができる。
さかり街は街の半分が浸水した。 
仮店舗で入っていた団体さんが自分たちのプレハブを建てるので、出たという事で直ぐに契約させてもらった。
2011年10月1日からスタートした。(2年半)  いろんなことがあり重い2年半だった。
現在は29名 24歳~81歳までの女性です。
読書ボランティアと言う事で読書推進の活動をするという事を目的にしているので、絵本の楽しさを共有しながら、皆が本を読んでもらう様に読書推進活動をしています。
絵本作家を呼んで年に一度やっている。
震災1年前は谷川俊太郎さんに来ていただいた。 宮地敏子先生との対談、読み聞かせなどをした。

今年は3月23日に国松えりか先生を大阪から来てもらって、絵本作る事を地元の子供としたいと思っている。
民話がたくさんあるが、気仙弁と共に亡くなりつつあるので、口伝等を残したいと思って、紙芝居にしようとして、原稿は私たち、絵の方は中学、高校生に描いてもらって、小学生、高齢者に読んでみたり、小学生、中学生自身が一般の人に読んで聞かせる様なこともやってきました。
毎年一回紙芝居を作ってきました。
実際に津波が来た日は、普通に昨日と同じような1日が続いていくだろうと思っていたが、夕方には別世界ですし、何が何だか分からない様な状態だった。
いつ何が起こるか判らないという体験でした。

山が好きだった。 日本の山を登ってみて、もっと高い山を見たいと思っていた。
ヒマラヤに行った。 現地の人に接して、もっといろんな社会を見てみたいと思って、リラックスできる環境を探しながら、世界中を歩いてしまった。
自分がしっかりしていれば、場所は関係ないと腹をくくってからインドに長くとどまろうとして、インドに腰を据えた。
いろいろなことをやったが、その中の一つにボランティア活動があり、お金を集めていくつかの施設にお分けしたりしていた。
両方がいて成り立つものなので、有難がる必要はなく、同じ立場で交流したかった。
心のキャッチボールがしたかったので、日本の歌を歌ったりした。
子供には日本の紙芝居、絵本を読んでみようと思った。
ページを読むたびに、意味が判らないないのに 「もこもこ」とか「パッチン」とかいって、一緒に喜んでいた。

紙芝居をヒンディー語にして読んだら、子供たちの表情、目が本当に嬉しそうにしていた。
交流して楽しかったが、子供の持つ生きる力を引き出すことができるのが、あの場だと思った。
日本に帰ってきても、この活動を始めた。
海外は20歳代から始まって、16年間 12年がインド 2年がトルコ、あとの2年が中近東、アジア、ヨーロッパ等をうろうろしていた。
私は地元の人に入ってゆくタイプで、どこの国でもありがたいとおもった。
トイレなど大変だった事はある。 ネパールの山奥で何もないところで、一皿のカレーを出されて、ハエが入っていると、その時に米を買うのに苦労して、野菜をどうやって手に入れて料理して、おもてなしの気持ちで出してくださっている。
だからと言って食べませんと言う気持ちは無く、ハエは横にどかして食べます。
寝どこで水玉の様に虫に食われたこともあるし、皆さんと共に一緒の環境を一番優先させた。

アジアは差別の激しいところではあるが、そこに入って言って、同化したいと思った。
ゲストハウスを管理して働いて、お金を貰っていた。
デリー大学で大学院で仏教学科に入っていた。
家が宗教に傾倒する家ではなかったが、宗教にかかわる人に興味があった。
チベット仏教などを勉強していました。
インドで結婚して、女の子の双子をインドで出産した。 
7歳までいて、その後に日本に帰ってくる。
子供たちは直ぐになじんでいった。 私が子供に残せるのは何にもないと思って、綺麗な正しい日本語を子供に残すことが私のできる事だというのを子供が出来る前から思っていた。
相手のことを「あんだ」とか「おめえ」 とかいうがうちの子は「あなた」と言うので、吸収力はあり使い分けている。

図書館に子供を連れていったら、読み聞かせをしている人がいて、講座があるという事もあり、平成15年の4月に帰ってきて、7月にはお話ころりんを立ち上げている。
8~10人程度でスタートした。
講座で一緒になったが、知らない人同士だったが、子供が聞いてて親しみやすい様に「おはなしころりん」とした。
同じ名前のものが10グループ程度有る事があとでわかった。
図書館で話をしたい、してほしいと、マッチングして、場を提供してもらった。
今は図書館、小学校、保育園等で、月に30回ぐらいやっている。
基本的には一人でやっている。 割り振りして行う。
団体の運営の仕方、読み聞かせの授業の仕方が判ってきた。
素直に心をこめて丁寧に子供と一緒に楽しむという気持ちがあれば、技術が無く読み聞かせはドンドンしてもらっていいと思う。(勉強会はするが)

子供たちが楽しむという環境にいつも気を配れば、コツになるんではないか。
深く楽しんでもらうためには、良い本でないと子供に面白さは伝わらないので、本選びには気を使う。
家庭での読み聞かせが一番だと思うが、それを補う形が集団での読み聞かせだと思っている。
読み手と聞き手、繋がりができてくるが、子供に絶対良いです。
震災後は特にそう思う、信頼関係が構築されていっているので、読み聞かせでしか会う事のない子と会っただけで、会うだけで嬉しい。
読み聞かせも、11年になりました。
読み聞かせをしている人にバトンタッチしている。
大きくなった人たちから、小学生のころに読み聞かせをしてくれたおばちゃんだと言ってくれて覚えていてくれて本当に嬉しいです。