2013年12月20日金曜日

塩崎均(近畿大学学長、医師)   ・医者が癌になって判った事

塩崎均(近畿大学学長、医師)   医者が癌になって判った事
1944年和歌山県生まれ  1970年に大阪大学医学部を卒業した後、大阪大学第二外科助教授などを経て、2004年近畿大学医学部付属病院長に就任、2012年からは近畿大学の学長を務めています。
塩崎さんの専門は消化器外科です。
中でも食道がんについて生体に影響を与えずに、癌を確実に手術する方法を確立して、多くの患者を救ってきました。
その塩崎さんに癌が見つかったのは病院長に就任してから2年後のことでした。
其時癌専門医であったた塩崎さんはどう思い、どう行動し、どんなことが判ったのか、伺いました。

病院長になるにあたって、交換条件として癌の早期癌を見つける新しい装置を導入したかった。
5mmぐらいの塊の癌を見つけることのできる装置、うまく作動するかどうかを確認するために試験台に私がなった。
見つかったのは膵臓の裏と動脈の一番太い血管の周り(リンパ節)に、癌があることが分かった。
まさか、自分がとは思った。 毎年癌の検診をやっていたので。(この1年間は飛ばしたが)
ステージ4の一番悪い状況か、悪性リンパ腫のどちらかだった。
全く自覚症状はなく、2年前の撮影画像には何も映っていなかった。
胃がんからの転移であろうと診断された。

ここまで進んだ人は調べたところまず救えてなかった。
最初はなにも治療をしないで行こうと考えていた。
抗がん剤を使っても2~3%程度しか生きられそうもない状態だった。
死にゆくだけなので、残された時間をどういう風に使うか、だけを考えていました。
1週間で気持ちが変わってくる。
お前は一体何もしないでいいのかと、1週間後に考えるようになって、自分にやりたい治療をやって役にたてればいいと思った。
ふっとやりたいと思った治療があった。 楽な治療法ではなかった。
放射線治療、抗がん剤治療 併用をやって、どの程度効くのかを自分自身で確認したかった。
私の専門の食道がんではこの方法が意外とよく効いていたが、胃がんでは専門家に聞いても、効かないという事だったが、私は納得できなくて変な確信があり、やってやろうと思った。

放射線治療をすると、腸に穴が開くかもしれない、上手くいっても大腸、腸に10~15年で必ず癌ができますよ、おなかの中は放射線を当てることによって、癒着を起こすでしょうと言われた。
この事は念を押された。
私と同じ患者さんがいたとしても、その人にこの治療は出来ない。
それなりにちゃんとした根拠がないといけない。 倫理委員会を通さないといけない。
専門家が反対している治療だから、私以外にできないだろう思った。
抗がん剤の点滴、 11時から放射線治療をしてそのあとは病院長としての仕事をした。
一日も休まずに完遂した。  髪の毛は白くなるし、顔色は変わってくるし、でも結果的にはよかったと思う。 2カ月ぐらい治療した。
白血球、血小板が減ってこれ以上やると駄目だろうというところまでやりました。  
1ヶ月間空けて手術する。

9月に癌が見つかったが、8月には腰の手術はやっていた。
後輩で胃がんの専門家に、ここまでは取ってくれと依頼した。
腫れていたリンパ節は見事に消えてしまっていたのでそれなりの効果はあった。
不安は全然なかった。手術は午前9時から午後5時まで掛かった。
かなり広範な手術で、時間が長かったので、思った手術は出来たんだと私自身は思った。
スケジュールに乗って退院への道を進もうとおもったが、2日目で吐く様になった。
ある期間絶食をしないと、つなぎ目が腫れたり、狭くなったりする可能性があるので、自分で管を鼻から入れて胃の中の物を出してもらう様な操作をした。
いずれ長期戦になると思った。
1日5本2500ccの点滴をやっていた。 
寝て点滴しているだけなので自宅でも出来るので、正月を自宅で過ごす様にした。

30日、31日の夕方に血管が詰まって、近くの後輩の医師に頼んで処置をしてもらった。
正月は飲まず食わずに過ごそうと思っていた。
酒が好きだったもので、日本酒のお湯割りをどうと言われて、飲んでからよくなってきた。
アルコールは利尿作用があり、それで腫れがひいたのではないかと思う。
それで通り出したのではないかと思う。
4日に病院に帰る予定だったが、家で重湯見たいなものを食べて過ごした。
1日500gずつ減ってゆく。 15日ごろには15kg手術前に比べて減っていた。
よろよろしながら仕事に出て行った。
食事はなかなかうまく取れない、特に朝は駄目で、昼から食べれるようになって、夕食は飲みながらゆっくり食べる。
5kgは戻ってきたし、血圧も下がってきた。

手術してから8年になるが、ここまで生きているとはおもわなかった。
胃がん、リンパ節を顕微鏡で見てもらったが、癌があったと云いう跡はあるが、生きた癌細胞は無いという事で、生かさているなあと、たまたま運命、天命が私を生かしてくれたんだろうなあと思います。
近畿大学が中心になって、外科の先生方にこういう治療法もありますとやっていただいていますが、非常によく効いている。
一つの治療法として確立されてくるのではないかと期待している。
食道がんは扁平上皮癌 胃がんは腺癌と癌の質が違う。
欧米では線癌と同じようなものが食道癌の半数以上を占めている。
放射線を使うと非常によく効くというデータがあった。
食道と、胃の境目にはこのような治療をやっていたが,全く効かなかったが、放射線の機械も良くなり、抗がん剤も良くなり、今まで得られなかったような相状効果が得られるようになったことだと思います。

一番憧れていたのは、開発されていない東南アジアに行き役に立ちたいと憧れていた。
医師になるのが一番近道だろうと、外科の道がいいと思っていた。
診断から治療、治療が終わった結果まで一通り見られる事がいいと思った。
食道がんは早く大きくなる 胃がんの2倍の速さ。
2割の人が助かるというような感じだったし、肺、心臓など全ての機能を理解できないと手術を終わった後の管理ができないし、いろいろ勉強しないといけないので興味があったのでこの道に進んだ。
頸部の食道がんは丁度前に声帯があるので、少し大きくなると声帯に広がるので、声帯を取らなければいけない様になる。
早い癌であっても声帯を全部とることをやっていた。
声帯を残してやったことがあるが誤嚥する。(食べれない)
喉頭を上に釣り上げる方法と、のどの筋肉を切る操作をいっぺんにやってみる『喉頭温存術』、40代の営業の仕事の患者さんに其手術をして、非常にうまくいって声も出せる様になった。
放射線治療、抗がん剤の併用の治療もやっていて、最近は食道がんに対しても行い、今であると6割が声が残る様になった。
 
「笑顔を絶やさない」で接する。 患者さんと医者は対等ではない様に思われる。 
どうしても患者さんから見ると医者は上の立場に思える。
本当にそういったことを意識して患者さんに対応しないと、患者さんに対していい治療ができないと思う。
患者さんが本音でいろんなことを話してくれないと、いい治療ができない。
患者さんの立場になってみると胃を取るという患者さんは沢山いらっしゃるが、私の診察の場合は患者さんはあまり言わない。
自分の経験を語ってゆくことによって、本音を言ってもらえるようになった。
生きているという事、一度死ぬことも覚悟したので、死ぬと言う事はどういう事か、人と人との出会いも身に沁みて感じましたし、自分の中でいろんなことを考えられるようになった。
他の人に対しても同じような観点から話ができるようになってきた。