2013年12月23日月曜日

新保 浩(社会福祉士)      ・自閉症の子と手を携えて19年 2

新保 浩(社会福祉士)   自閉症の子と手を携えて19年 2
4月から稜麻さんが一緒に生活するようになりました。
自閉症の方は感性が豊かだと聞いていますが?
必ずしも皆が能力を持っているわけではない。
自閉症の中にサヴァン症候群という障害の方がいるが、パーっと、トランプが落ちてなにか一枚足りなくて、数を数えてしまうとか、電話番号を電話帳全部覚えてしまうとか、ただ実際はほんの一部なんですね。
心の中に感じている事は我々以上に感じているという事は判ることがあります。
私の息子は音に対して物凄く敏感なんですけど、時々耳をふさぐ。
こうしたときになんでこうするのだろうと思う。 
我々の聞こえないような、音を感じていたりする能力を持っているのかなと思います。
5年前の音楽を突然思い出して歌ったりする。(その間に一回も同じ音楽を聞いていないはず)
記憶の中にぱっとスイッチが入ってそのような行動をしたりするかもしれない。

来年稜麻は20歳になる。
息子が成長してゆく中で、成長させられているのは自分だと思います。
如何に自分が未熟であったかと思い知らされる。
想像力と言うものがどんどん備わって行った。
父がアルツファイマーで母が車椅子で、もしこの状態が自分だったらどうだろうと考える様になった。
バリアーフリーじゃあないところでトイレに行きたくて、我慢していけない様な状況だったりするとどんなに辛いだろうと、想像させてくれたのは、稜麻がドンドン私を成長させてくれたのだと思う。
障害を持たない稜麻だったら、このような事を気付かずに過ごしてきてしまったかもしれない。
私の中では、他人を思いやる心が一番大事だと思っている。
人間は一人で生きていけないという事を凄く感じます。
足が不自由な方には、車椅子、杖が必要なように、目が不自由な人は眼鏡や、コンタクトレンズ等が必要であったり、耳が不自由な方には補聴器、手話とか必要であるように、息子に必要なのは人のサポートなんですね。

人との出会いとか、人の力を借りして、なんとありがたい事なんだろうと感謝の気持ちを自分が持てるようになったのは、稜麻が教えてくれたことだなあと思う。
4月からは地域のなかで新保さんが実践の場に一歩踏み入れた形ですね。
改めて息子が帰った時に息子と一緒に近所の方々に挨拶にうかがった 。
自閉症の簡単な説明と共に、時には大きな声を発してしまうかもしれないことも付け加えた。
息子が一番楽しみにしてるのは、お菓子を買ったりすることなので、買い物などをするので、いろいろ経験させてもらえませんかと、今はじめています。
息子が何よりも、笑顔で地域で生きてゆくことが最優先だと思って、今はそれを最優先にやっています。
地域の通商施設でちょっとした作業をしています。 
じっとしている部分がない事もあるし、作業をすることも難しいこともあるが、作業を一つずつ経験する様にやっています。

父と母にとってはなじみの深い家だが、トイレに行くのにも困難であるため、車椅子で楽に生活できるようにしないといけないと思って、バリアフリーにしたり、事務所を作ったり、立て替えた。
なんでそんなに頑張れるの、なんでそんなに強いの、とか言われるが、これが当たり前の生活であって、それぞれの方がそれぞれ生活している様に、私にとっては父、母、息子がそれぞれいろんなハンディキャップ持っていても、それが当り前の生活なので、全然苦労だとか大変だとは思ったことがありません。
笑い声は絶えない。  お互いに関わりを持っている。
息子がいる為に笑顔が楽しい事が増えました。
笑ってしまうような行動をするので、つい笑ってしまったりする。
母は父に対して、これは違うでしょうとか、認知症の父に言ったり、母が常に声かけをするので、ボケてはいられないというような感じで、進みが遅いのではないかなあと思う事がある。
母は常に父にしゃべるかけている。

私がいることによって皆にフォローができたりしている。
それぞれが頼りになる人で、バランスが取れていると思う。
ありのままに生きていく中で家族としてやっていこうというのが我が家のスタイルです。
最近本を出して、「笑う門には福来る」がある。 笑いが絶えない。声が常に発せられている。
怒って生きるのも、泣いて生きるのも、悲しい表情で生きるのも、同じ時間、どうせ生きるのなら、
笑って過ごした方がいいなあと思います。
人間だから怒りたい時もある、悲しい、苦しいとかいろいろあるが、そういった時間を出来るだけ短く出来たらいいなあと思います。
笑っている時間が多ければ多いほど、充実した人生になると思います。

自閉症と診断され、私たち親がいなくなったらどうなるんだろうというところからスタートした。
どちらからと言うと暗い未来を想定したが、それから10何年たって、今言えるのは息子の為に、息子と同じ障害を持つ人の為にも、何か社会が変えられる様な仕事をしたい。
将来、私が先にいなくなったときに、必ず地域で生きてゆけるようなものを作り上げておきたいと思う。
具体的にはまだちょっと出来てはいないが、施設に戻るのではなく、例えばグループホームを作って、地域の中で生きていけるような状態になればいいなあと思います。
息子が地域で普通に歩いていけるとか、いろいろな能力が出来てくれば、初めて其時にグループホームで生きていけると思うので、私と過ごしている間にスキルアップして、なにか作り上げたいなあと思います。

自宅に帰ってから、稜麻の顔が柔らかくなった。
コミュニケーションを取る時間か長くなってきた。
人生を楽しんでいる時が長く、多くなったのではないかと私の目では、そう思います。
稜麻はドライブが好きで、ドライブを凄く楽しんでいる。  
今楽しい事を彼に味わってもらう事が彼にとって充実した人生なのかなあと、ドライブを楽しんでもらっています。
ホームページにお出掛レポートで取り上げていたが、すごい参考になったとメッセージをもらった。
養護学校を通過して、施設に行ったときに、ここで暮らすんだよと言ったときに、息子の表情がガラッと変わって私の腕を放そうとしない。
稜麻の涙が一気に出てきて、後ろ髪を引かれながら、その場を離れなければならなかった。
この辛さは一生忘れないよ、お前が悲しんだ分、私が悲しんだ分絶対にプラスにするからと思った。
それが記憶と成っていまでも絶対に忘れられないです。
ようやく今年の4月に一緒に暮らせるようになった。

本来の家族の形に戻したかった。
仕事を辞める事がどんな状況になるかは判っていたが、それ以上に息子を戻さないと後悔するとおもった。    苦渋の決断をする。
ウインドサーフィンをもともとやっていた。
風上にはそのままは進めないが、45度でジグザグに行かないと目的地にいけないが、私たちには丁度其状態だと思っている、ジグザグと遠周りし、強風に出会うかもしれない、いろんな他の事に出会うかもしれない、でも目的地に向けてセーリングしてゆくのが我々の家族かなあと思います。
大海原を一緒にセーリングしてきてよかったなあと思う時が必ず来ると思います。

息子が小学校の1年生の時に、ある自閉症を持ったお母さんから「大丈夫、今は小さくて多動したりして大変な時期かもしれないけれど、大きくなったらドンドン落ち着いてくるよ」 と言われた。
この一言が私を支えてくれた一言だった。
この一言で、あっているんだろうと思ってそれを支えに生きてきたら、息子も肝癪を起さなくなってきた。
今度はわたしが、こういった子を持つ渦中にあるご両親に対してお力になれるのかなと思います。
将来に不安を感じるかもしれないが、時間、子供の成長、人との出会いなどに依って解消されると思います。
子供は障害があっても必ず成長してゆく。 これは心に留めておいてもらいたいと思います。
そして決して頑張りすぎないことだと思います。
僅かな時間でもいいから自分をケアする時間を設けてもらいたい。

今は思えないかもしれないが この子が生れてきてくれてありがとう、と思える時期がきっとあると思います。
わたし自身がそうで、稜麻がいて本当に良かったと思います。
リレーの様にこの事は伝えてゆきたいと思います。