2012年2月28日火曜日

司修(作家、画家)        ・私を捉えた賢治の心

司修(作家、画家)  私を捉えた賢治の心
1936年6月25日 - )は、日本の小説家、画家、装丁家、エッセイスト。法政大学名誉教授。
群馬県前橋市出身
1936年生まれ 賢治の全集や絵本を描くようになって 賢治に心を惹かれるようになり 
花巻市をにたびたび出かけて 「雨にも負けず」のコーナーも
手掛けました  
東日本大震災から間もなく1年 阪神淡路大震災からももうこんなに経ってしまったのかと思われるが
 戦争から負けて半世紀経っているのに、えっと言うほど
の時間で過ぎ去っているというか在ってはならない事がやってきて 人間はこれを乗り越えなくては
生きてゆけないんではないかと思うんですよね 

大人はなんか考えを膨らましたりなんかしてゆけると、思うんですが 子供達って或る被害うけた
まま表に出せない子供もいると思うんですよね
そういう子供達のケアが大変大切だと思うんですよね  
大人の理解できる言葉を100とすれば子供は10かもしれないし30かも知れない
言葉で表現できない 言葉で痛みを感じられない子供達は自分で表現できないぶん、
自分の記憶の中にイメージを貯め込むと思うんですね 
貯め込んだ痛みというのは 表現力になってゆくと思うんですね  
悩みも痛みも表現できないまま 大きくなっていったときに その子供達のおおきな力
表現力になってゆくと思うんですね
  
 地震や洪水は大自然の行いですから、それを避ける事は出来なかったけれど 
そこで生き延びた人達が
亡くなった人たちの事を心にして永遠に死者の魂を語ってゆくと云う形で生きてゆく 
そういう中に小説だとか絵を描くと云う表現ではなくて
ひとが生きてゆく表現として表れてくるんではないかと思うんですよね
賢治の妹さんが 家族にあてた手紙 「人の身体は無くなり候ても 自分の魂はいつまでもあると
私は信じおり候」 
賢治の心にもはいって行った言葉であると思う  
 
生きると云う事は亡くなった後も宗教的な意味だけでななくて 生きると云う事は死後もいきている
という事に私は、なるんだと思うんですね
生きている人が伝えてゆくことで魂は永遠に生きながらえてゆくと私は思っているんですね
生きている人がその人の事を忘れてしまったら その人の魂は消えて行ってしまう 
「雨にも負けず」 の詩を読むときに自分の悲しいときとか嬉しいときとか こまったときとか 
賢治の詩はそのたびに違う感情を抱く 
大震災が有って、追悼の式が世界各地であって、その時に賢治の「雨にも負けず」の詩が詠まれ
たようです
日本人だけが感じるのでなくて、生きている人達が誰でも何かを感じるものが「雨にも負けず」の中
に有るんじゃないかと思うんですね

私は「雨にも負けず」の一行、一行を絵に書いたんですね
会場に来た人が書いた絵に色を塗っていただく 遊んで観てもらいたいなあと思って線のみで描いた
賢治の童話の一つ一つを取りこんで描いたので 読んでいる方がいたら その童話を思い起こし
て描いていただいたらと思います 
賢治の童話は読者がどんどん心を膨らまして 読む事によって自分の中に有るイメージを物語に
投入されて 説明されただけではなくて 自分の物語が生れて来ると云う
そういう力を持っているんじゃないですかね
ずーっと読んでゆくと音楽のようにも聞こえるんですね  自分が想像するメロディーを
「雨にも負けず」の詩を朗読している時に 自分の心の中に有る音楽
で読んでいける気もするんですね

だから世界の人にとってもこの内容が伝わるし、こういう日本の詩が有ったんだと云う気持ちに
 国境を越えて、時代を超えて共有できると云うのが大変な力が有るんですね
賢治が書いたときに これは自分を救うとして書いたと思うんですね 自分を救うと云う言葉は 
だれでも 大人でも子供でも含めて或る救いというか 癒される
のではないかと思われる
「銀河鉄道の夜」とかいろいろ未完なものが多い 未完というのは未完成ではなく
「よく見、聞きし 良く判る」(詩の一節)  賢治が描いたフクロウと月があるかも知れないけど 
四つの建物を描き 福島原発の思いも込めて私は描いた
「良く見」 旅行したりして写真はシャッターを押して一杯取ってきたんだけれども 見ていない 
スケッチは1枚かもしれないけれど 景色を見てきている
「良く見、聞く
続く一行は 「そして忘れず」  忘れないでいる 嬉しかった事は忘れてもいいが 悲しかった事 
苦しかった事は忘れずにいるべきだなあと思う

これには猫が描かれているが下の方に津波が描かれている  
明治29年に大きな地震が起きている(賢治が生まれる2カ月前)
「人は自分の思い通りにしたがるけれども 結局人間のエゴイズムで生まれる事であろう」と妹の
文に書かれている
妹が亡くなった時に賢治は押し入れに頭を突っ込んで号泣したと云われている 
お互いの魂の理解者
木偶の坊と呼ばれ・・・  「そういうものに私はなりたい」  最後の絵に石ころを描いた  
少年時代 石に興味を持ったので
俳句とは よね 野口が説明   俳句という文学は読者が俳句を詠んだ時に、未完の俳句が完成
するんだと云っている

5 7 5 は説明するのではなく、無関係な言葉が三つ重なってできているが それを読んだ人が
その想いを完成させるんだというんですが
私の絵も多くの人が参加して色を塗ってくれたりして 書いてくれたりして完成させるものだと思っています
猫の目に4つの時間が記されてあって 1つは広島原爆が落とされた時間 2つめは長崎に原爆が
落とされた時間 3つ目は阪神大震災が起きた時間
4つ目は東日本楕震災が起きた時間を記している    
私達が忘れてはいけない時間であると思っている
朗読したCD   「雨にも負けず」 絵を見せながら朗読をしたらいいなと思い録音した

童話のような絵もたくさん書いていた 
『無声慟哭』 詩 妹の死を抽象化できなかった 方言は最初判らなかったかもしれないが 
方言以外では伝わらないものが読者の胸に伝わるのではないかと思う
判んなくても入っちゃう 迷路をさまよいながら 私の場合は視覚的なイメージで救われる 
色だとか形が見える事によって言葉の難解さを理解できるのではなく
感じる事ができる  五感を想像して感じる