2012年2月18日土曜日

小嶋悠司(日本画家67歳)      ・縄文人の明るさを

 小嶋悠司(日本画家67歳)          縄文人の明るさを  
小嶋さんはこう書いている
「生命に対する祈り 毎日を生きる祈り 地球上にある古代に有る彫刻をみる限り明るさで共通するものが有る この明るさがこれからの社会には必要と思う」
長く母校である京都市立芸術大学で教え 平成12年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しています
父は友禅染の図案家であった 白生地から着物に仕立てるまで、仕事ぶりは良く見ていた 
本も沢山有った (絵描きさんの本)
職人さんが毎日毎日 馬だとかいろいろと絵を描いてくれて、それを見るのが楽しみで、自分でも興味を持ったのが始まりかと思う
3つ、4っつの頃 小学校の頃には先生からもうちょっと子供らしい絵を描きなさいと云われた
(既に小さい頃から絵を描いていたので其のようには書けなかった)  
そんなわけで小学校の高学年になった時には絵を描くのが嫌になった 
高校に行って美術部に入る 大学は日本画を選択

二回生で入選した 1969年卒業し その年にヨーロッパ旅行をしている  
石本正という先生がイタリアのフレスコと云う教会にある壁画を観に行かないかと言われる
かつて日本画家の入江波光 村上華岳 30歳代に出掛けた イタリアまで勉強に出掛けた 
ジョットチマブーエの 絵を見せられて 一回見に行こうという
ヨーロッパ旅行が実現した 
古い彫刻 紀元前5世紀の時代のお棺の上に彫刻が有り にこっと笑っている 
日本の観音様と同じような微笑みでありこれに魅せられた
フレスコ画を見に行ったつもりであったが彫刻への興味があった  
文化庁在外研修員としてイタリアのフェレンツエに行く 考古学博物館に半年出掛けた
 
そこでスケッチした ジョットの壁画等 エトルリアの彫刻、塑像    
1970年代 「凝視」シリーズ 人間の自分の赤ちゃんと野生の猿の赤ちゃんを観る目を比べる
と 猿の方が純粋ではないか 
人間の親の目はよその赤ちゃんと見比べてないかと  もっと純な目で見た方が良いのではないかと
幼児の目はきらきらした眼をしている おもちゃを見る目 綺麗なものを見る目 それを観る大人の目もいい
「生 凝視」 がっしりした人物像及び 動物の親子を描く  
昨年2月の作品  大震災の前に書いたが何か附合するところが有る
  
法隆寺の玉虫厨子密陀僧(みつだそう)使う 松ヤニで絵具を作る にかわも使っている 
仏教画には動物のものは使わない 植物から得られる物を使う
絵具は岩絵具と フレスコ画と同じもの 
(フレスコ画はガラス質が上に有って雨が降っても水から守ってくれる)
緑青も自分で作る 1980年代 「穢土」 源信と云う人がおられて「厭離穢土、欣求浄土」唱える 「往生要集」にて
私はこの穢土の中に全て浄土も含まれていると思う 全て生き方一つですからね 
わざわざ浄土浄土と探す必要はないと思う

訳してくれと言われた場合は「地球」と思ってくれと言っている  
戦争が有ったり、子供を親が殺したりだとか テーマと係わりながら書いていると思われますが? 1978年 「大地 穢土」 これはコインロッカーで子供が殺されたときに描いた   
1991年「穢土 黙」 5m近くある作品 中央の白い筋 純粋な道 これを描きたかった 
回りの太い構築物は悩み  抽象画のようにも見えるが、描いている本人は全部一緒  
具象 抽象     強い色を出せるのがピカソ 力を与えるのは難しい  ミロにも力強さはある  
38歳の時に絵具の事について書いた文章に 「空間から湧きあがる絵具自身の強い意志」 
絵具が意志を持っていると 絵具との戦い
日本画の絵具というのは 天然の鉱物 それを使わないと駄目 
不純物というのは混ぜない けんかをしてしまう 
塗ったら意味を持たす 絵具は意志が有る 何故塗るのか どうして塗るのか 
絵具の塗る面積にはデッサン力がないと駄目 
面積によって絵具は輝くから デッサン力が凄く大事にますね 
   
ウイリアム・ブレイクは私の心の支え
イギリスの人 イタリアに行って勉強している   産業革命の時代 「切られた虫は鎌をも許す」(何で犠牲になってゆくのか 切られた意味さえ解れば許す)
段々機械文明になってゆく 機械文明になってゆく意味さえわかればいいんだが どうしてそうなってゆくのか解らず、許せないところが有る
公害とかいろいろと、まるっきり間違いがある
   
広島と長崎に落とされて日本は世界に物言える国ですよ   
原子力発電は持つべきではなかった 
50歳の時に 「私は縄文人で在りたく思う 私が求めるのは古代縄文人の明るさである」 この言葉の思いは、縄文人は次々に物を捨ててゆくわけね 
物を残していかないのが良いと思う 持って歩かない 定着しない ・・・気持ちの明るさが有る 縄文時代は一万年続いていますよ 縄文時代に生きた素朴な心 格差社会がない 
共に分け与えて命を大事にする精神です