西村由紀(作曲家・ピアニスト) ・私のアート交遊録「ピアノは心のビタミン」
3歳でピアノを始め、小学生時代には世界各国を演奏旅行、マエストロ(本来はイタリア語で「巨匠」「名人」「優れた指導者」を意味し、特に音楽の指揮者や卓越した専門家を敬意を込めて呼ぶ言葉)や一流オーケストラとも共演します。 音楽大学入学と同時にデビュー、ドラマ、映画、CMの他、テレビやラジオ、エッセイの執筆と、多方面の活動を続けています。
年間100本を超えるコンサートで全国各地を訪れる傍ら、ライフワークとして続けているのは、学校コンサートや病院コンサート、中でも東日本大震災直後から続けているのが、被災地にピアノとピアノの音色を届けるための支援プロジェクトです。 今年デビューを40周年を迎え、音楽には力があると感じることが多くなってきた、自分を勇気づけてくれた音楽に恩返しするつもりです、と言う西村由紀江さんにピアノとの出会いや音楽の持つ力について話を伺いました。
ピアノに関してはまだ追求したい音とかがたくさんあって、これからがんばります。 母親がピアノの先生をしてましたので、家にピアノがあって気づいたらピアノの前に座っていました。 手が特別小さかったものですから、同じ時期に習った友達より成長がすごく遅かったんです。みんなが簡単に弾けるものを何倍も練習しないと弾けない。 この手ではピアノ無理でと言われました。 しゃべるのはもっと苦手でしたが、むちゃくちゃにピアノを弾くと気持ちがちょっとスッキリしました。 このピアノは私の気持ちをわかってくれると思いました。
ピアノは自分の気持ちを表すための友達のような存在でした。 ピアノとずっと話をしていると、ある日「大変だね」とか「今日は頑張ってね」とピアノが話しかけてくれるような音色を感じたんです。 そこから曲作りも始めました。 自分の小さい手に合わせるような曲が作れるようになりました。 それが今の活動の原点かもしれないです。(3、4歳の時) 最初の作った曲が「一人ぼっち」でした。
海外で演奏する機会を小学校2年生の時にタイと台湾で機会をいただきました。 音楽にはこんな力があるんだと言うことを体で感じました。 ますます音楽にのめり込むようになりました。 小学校の6年生の時にはチェコとハンガリーとかに行かせていただきました。 CDを出してみないかと言うことを高校2年生の時話があり受けました。 プロデビューしましたが、壁にぶつかって落ち込んで泣いてばかりいました。
いつも五線譜を持ち歩いていますが、いつメロディーが降りてくるかは予測できないからです。 今何十冊と家に溜まっています。 23歳の頃、テレビドラマ「101回目のプロポーズ」の音楽を担当させてもらいました。(40曲位) これをきっかけにどんどん変わっていきました。 曲にまつわるバックグラウンドを、話しながら曲を演奏すると言うスタイルをこの頃から確立できました。
学校コンサート、病院コンサートは、2002年位から始めました。 音楽というものがいろんな力を持っているということがわかりました。 車椅子で来ている方がリズミカルな曲を弾くと足が動いたんです。(看護師が吃驚) 他にもいろいろあって、ピアノでできる事はたくさんあるんだなという事を、学校や病院行くと学ばせてもらえました。 東日本大震災、被災地支援プロジェクトにも関わっています。
震災直後の報道番組でたまたま女の子の見ました。 「今欲しいものをなんですか?」と問われたときに、彼女は「ピアノ」と答えました。2011年の4月に行った時に、ピアノが田んぼに浮かんでいる光景を目にしました。 もう使わなくなったピアノを譲ってもらおうとホームページで募集したら、あっという間に150台集まりました。 でも全く届けられませんでした。 当時は皆さん家をなくされているので、ピアノをまではできませんでした。 音を届けるプロジェクトのコンサートは始めました。
半年位から徐々に届けることができるようになりました。64台お届けしました。 私は音楽の持つ力にずっと子供の頃から救われてきましたから、今その力でどなたかの心に力を届けられる、そんな少しの恩返しができればと思っています。 私の自由度が広がりました。 自分の音楽を届けて続けていきたいなと気分が軽いです。 今年40周年で全国を回ります。 私のお勧めの1点はモネの睡蓮です。 大学の頃に先生からモネの点描画のように弾きなさいと言われました。 美術作品は人が作っているものですから、訴えかけてくるものがあり、それが非常に作品のインスピレーションになります。