谷川賢作(作曲家・ピアニスト) ・父・谷川俊太郎の残した言葉 後編
谷川俊太郎さんは一貫してものごとに執着せず、自分自身に固執しないあり方を追求してきました。 それを表す言葉が「デタッチメント」です。
「デタッチメント」=距離を置く、離れる事、執着しない事、依存からの脱却、と言う様な意味になっています。
志野:私の娘がニューヨークから一時期引っ越してきて、家は祖父の住んでいたところと父の住んでいる二つあって繋がっていましたが、祖父の家の2階にいれば娘がいるかどうかなんて判らないような感じなんですが、そこに娘が一時期住んでいたんですが、父は自分が使い慣れたスペースに孫娘でもいると、ちょっとそわそわして気が落ち着かないからアパート代を払ってあげるから探してくれと言って、娘はショックでした。 祖父と仲良くしたいと言う様な目的もあって来たのに、孫にはちょっと距離があるんだなあと思いました。
賢作:「一人がいいなあ。」と言うのは口にしていました。
志野:他人に気を使う人なので、だから一人が良かったというのがあると思います。
賢作:介護の話に繋がるんですが、2023年9月1日から車椅子を導入しました。 その前からよく転んで杖をついて歩いていましたが、転ぶと亀のように全く起き上がれないんです。 それが介護の始まりですね。 私だったら何で早く来ないんだと激高しますね。
「転ぶ」 と言う詩
「立ち上がるつもりで転んだ。 転んだら初めから転ぶつもりだったと思いたくなった。 床に横たわっているのは立っているより自然だ。天井は昨日と同じ天井である。 違う天井でもいいのにと思う。 いやいややはり見慣れた天井がいいと思い直す。 折角横になっているのに 小便したくなった。 立ち上がって便所に行くのを 想像する。 楽しい想像ではないが 取り立てて嫌でもない。 ピンポーン と玄関のチャイムが鳴った。 立ち上がるきっかけが増えた。 待っていた艶書かもしれない。 」
艶書はラブレターのことで、相当虚勢を張っている様な気がしますが。 転んで天井を見上げている時に詩が出て来たんでしょうね。(晩年の詩)
「デタッチメント」とどういう繋がりがるのか判りませんが。
志野:プライベートなことを外に出したくないとことは普通あると思いますが、プライベートなことに距離を置けて、詩にして公表てしまうというのはあらゆる「デタッチメント」だと思います。
賢作:この語録ですが、あらゆる感情が淡いですね。晩年になってからの感覚に近いんじゃないかな。 父の晩年を見てて、次は自分の番なんだというものがひたひたと来てますね。 こんなふうに死ねるのかなという事を考えちゃうところはあるし。 車椅子になってヘルパーさんを頼んで見てもらう事になって、6時から9時と設定しましたが、父から大分抵抗がありました。 なんだ貴方はそこにいるの、と言う風でした。 2024年10月には「今日誰がみていてくれるの。」と言って大分変りました。 施設も見学に何か所も行きました。 気に入ったところはありませんでした。
志野:一人が好きだったので、知らない人がいっぱいいるスペースは好きじゃなかったので、それもありますね。
賢作:介護のこの状況がいつまで続くのかなあという思いはありました。 仕事は続けたいし。 ごく自然に「ありがとう。」と言う言葉が有りました。 朝起こして、リビングルームに連れていって血圧、体温を測って、薬を飲んだりするすべてに「ありがとう。」と言っていました。
志野:割と昔から「ありがとう。」と言っていたと思いますが、機会が増えたと思います。 介護しやすい素直な老人でした。
賢作:一番切なかったのは、直ぐ書いてしまう人が、ラップトップを前にしてボーっとしているのが寂しかったですね。 外に連れて行きたかったが、夏場暑くてなかなかいけませんでした。
「ラストよたよた」(滞在記録2023)
「この世の滞在記録が 九〇年を超えた 快挙であると ひそかに自負している 自分も世界も健やかとは とても言えない身分としても ラストスパート いやラストヨタヨタに差しかかると… 朝陽(あさひ)にびっくり夕陽(ゆうひ)にびっくり星にびっくり自分にびっくり 奇跡でないのは人の手が触れたもの」
根底にいつもユーモアがあったなあ。
*「ここ プロローグ」 作詞:谷川俊太郎 作曲:谷川賢作
志野:長年二人がいたという感じがこの詩のなかにあるなあと思って、好きなんです。
7月に本を出版 「行先は未定です」 目次「いきる」(今は生きている意味も無くていいと思える)「はなす」(僕には自分の言いたいことが無いんですよ)「あいする」(好きってやっぱり非常に肯定的な言葉ですよね)「きく」(良い音楽には自分がない そうう言う言葉を書けたたらいいな)「つながる」(人間であることが厭なんですよ わざとらしいんですよ)「しぬ」(死ぬと言うのはどういう感じなのかなあ 死んでみないと判らないんだよね)
賢作:最晩年はハイドンを聞いていました。 「ハイドンには自分がないからいいんだ。」と言う言葉が返って来ました。 ハイドンはつまらないからいいのかもしれない、緩やかで。 庭をボーっと見ている感覚と繋がるのかもしれない。
志野:父の人生をこういう形にして出してもらえるという事は、とても嬉しかったです。 「行先は未定です」と言うのは俊太郎さんらしいと感じました。 死ぬのは不安だという事は無かったようです。
賢作:最晩年の或るインタビューで、「俊太郎さんの一番興味のある事、やってみたいことは何ですか。」と言う問いに、「死んでみる事」と即座に答えていました。
志野:生きているのにもうくたびれた、と言う様な感覚があったんじゃないかと思います。 死ぬのを待っていると言う様な感じはありました。
賢作:素晴らしい人生だった、やり切ったよね、という、もう思い残すことはないというような感じです。
志野:看護師さんから急に脈が少なくなっていると言われて、1分に1回ぐらいの脈でした。 それが長くありました。 娘を呼んで二人で横にいて、「もう大丈夫だから逝っていいよ。」と泣きながら言いましたが、亡くなった瞬間が判らなかった。 時間をかけて亡くなる時もあるんだなあと思いました。
「芝生」
「そして私はいつか どこかから来て 不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて 私の細胞が記憶していた だから私は人間の形をし 幸せについて語りさえしたのだ」
「何事もなく」
「何事もなく一日一日を過ごすのが なんでこんなに難しいんだ 手から滑って落ちたワイングラス 高いものでも大事なものでもないが 散らばったかけらが心に刺さる 体は自然から生まれたけれど 心はいつどこから生まれたんだろう 草木と同じ犬猫と同じ私の命は深く柔らかな生命の流れから逸(そ)れて 硬くぎこちないものになってしまった 目にする全て手にする全てにいつか言葉がべっとり張り付いて 近づいてくるはずだったのに かえって世界は遠ざかった 世界とか言葉とかは毎日の地道な暮らしにそぐわない 青空のもっとうえの宇宙だが いつかそこまで行ったとしても まだまだ先は限りないと 子供の頃から言葉に教えられた 夕焼けに言葉を失い 星空に恐れを抱く 命はそれだけで十分なのに」