高島幸次(大阪天満宮文化研究所所長) ・変革が伝統になる~千年つづく天神祭~
担い手不足などで衰退の一途をたどる祭りが少なくない中、疫病退散などを祈願する大阪天満宮の天神祭は、ますます盛況で7月24日の宵宮と25日の本宮、合わせて約130万人の人出があります。 神様を乗せた神輿を中心に、総勢3000人余りが練り歩く陸渡御、神様の乗った船とそれをお迎えする100隻もの船が中心部の大川(旧淀川)を行き交う船渡御、そして奉納花火が有名で、そのほかにもたくさんの神事や行事が、夏の大阪で盛大に繰り広げられます。 高島さんは、天神祭は変革を繰り返すことで、伝統行事としての魅力をいっそう増してきた、その仕掛けのキーワードは、疑似的な伝統、疑似伝統だといいます。 1000年余り続く大阪の天神祭りはどのような変革を繰り返してきたのか、高島幸次さんに伺います。
お祭りの日に着る装束を宮司から重要な人に与える、それが装束賜式(しょうぞくたばりしき)といいます。 そういう意味から言うと天神祭は既に始まっています。 江戸時代から始まった2メートル位の豪華なお迎え人形と言う人形がたくさんありますが、事情によって今はそれを船に乗せられないと言う事情があります。 最盛期は50体位ありました。 現在残っているのは16体です。 大阪有形文化財に指定されています。 8体位を設置してスタンプラリーとしてやっています。(7月1日)
大阪天満宮は、菅原道真公をお祭りしています。 讒言により菅原道真公は太宰府に流され亡くなります。 亡くなった後、いろんな天変地異、流行病が流行ったりします。 道真公の祟りではないかと言うことで、道真公をお祭りするようになります。 大阪天満宮の場合には949年に天満宮ができます。 疫病を鎮めてくださいと祈願する神社としてできています。 太宰府は当時古代の外交の玄関口でしたので、中国大陸や朝鮮半島から人がたくさんやってきて、日本に無かったウィルスを持ち込んでいたようです。 それが道真公と結びついてくるわけです。 平安京で起こった疫病、多分天然痘と思われますが、神事で日本中の疫病をお神輿に閉じ込めて川に流していくと、大阪天満宮の前あたりで、一気に海に流れ出す場所でした。 道真公が太宰府へ流される際に天満宮の場所あたりから船で向かったと言われています。 いくつかの条件が重なってそこに天満宮の場所が決まったようです。
日本には夏祭りと秋祭りがあります。 お祭りは基本的には神様が年に1回だけ外に出てこられます。 村の神様は農業で収穫を気にされます。 刈り入れが終わった頃に出てこられて、今年1年よく働いたねと、そして村人たちも収穫していただきまして、ありがとうございますと感謝する、それが賑やかなお祭りになります。 天神祭は夏祭りですけれども、収穫とは関係なく街の人々は、疫病を退散する祈願をします。 大阪天満宮の場合には、船渡御と陸渡御と2つあります。
天神祭の「大阪締め」は独特で、お祭りに特別に参加している人たちと、全く縁もゆかりもない見物に来られた人たちの間で交わされます。 去年、大阪天満宮と天神祭の本を書くときに、大阪天満宮の歴史だけを書くつもりでいました。 お祭りの存続の仕方を天神祭の中にヒントがあるのではないかと思って、疑似伝統と言うことを説明しました。 時代の変化に応じて変わってなかったら途絶えてしまいます。 今伝わっているのは必ず時代の変化に合わせて対応して変革を繰り返しながらやっています。 伝統を感じさせる変革を繰り返す、それは日本の文化の中にちゃんとあります。 例えば、天皇の即位の時に、江戸時代最後の孝明天皇までは中国の皇帝の装束を真似してましたが、明治天皇から初めて現在の装束のように変わりました。
年に1回神様が神社から外に出てこられるときには、鳳神輿に天神様が乗って、玉神輿と言う乗り物に法性房尊意(天台宗の1番偉いお坊さん)が乗って出てきますが、の神輿と共に2つ出てきます。 明治に神仏分離と言うことで、神社とお寺を明確に分けれるようになりました。 お坊さんをまつわることができなくなり、道真公のご先祖にあたる神様と、天照大神が岩戸に隠れたときに、力づくでその岩戸を開けた人、2人の神様が今度はお祭りにお供する形になります。 天神祭は、静と動のお祭りと言われますが、疑似伝統として新しい形のお神輿の関係性です。(仏法で鎮めようとしたことを力で鎮める考え方)
陰暦では6月の25日で行われていましたが、新暦に変わったときに、それに天神祭りが相当するのは7月25日という事にしました。 7月25日にすることによっての時期からずれて、この30年間雨が降ってない状況でお祭りが行われます。 昔は天神様から大川から下流のほうに行ってましたが、地盤沈下で下流に行けなくなって上流に行くようになりました。 船の上で神事ををやるようになって、それを見物人が見ることができるようになりました。 おもてなしの心が天神様の祭りの中にたくさんあります。 御迎え人形は芝居の1番の決めのポーズをとっています。 町内会ごとにちょうちんの文字が変わっていきますその文字について、地元の人と見学に来た人との間で交流が生まれたりもします。
天神祭りの1番中心には、神主による神事があり、周辺に氏子の神賑行事というのがあり、一般市民の観光行事の三重の行事があります。 この三重の行事のバランスが全国の中で最もうまくいってると思います。 それがどうしてうまくいっているかと言うと、疑似伝統の使い方とか、おもてなしの心、そういったものが可能にしているものと思います。 伝統を守ろうと思って、無理をして滅びさせてしまうよりも、どのように伝統を変革したが、存続できるんだろうと言う変革の仕方にコツがあると思います。