大島花子(歌手) ・あれから40年 父・坂本九の心を歌いつないで
今から40年前の8月12日日航機墜落事故で亡くなった歌手の坂本九さん、「上を向いて歩こう」「見上げてごらんよ要るの星を」などその歌は40年経った今も幅広い人々に愛され続けています。 当時11歳だった大島花子さんは、現在シンガーソングライターとして父坂本九さんの歌を通してその思いを届けたいとライブ活動を続けています。 大島花子さんは坂本九さんと女優の柏木由紀子さんの長女として1973年に生まれました。 大学在学中ミュージカルなどの舞台に立ち、そのまま作詞作曲を手掛けながらライブ活動を始めます。 2003年には「見上げてごらん夜の星を」でメジャーデビューを果たしました。 坂本九さんへの思いと時代を越える歌の力について伺います。
父の影響は大きかったと思います。 健康で居なくてはいけないという事で、家ではサウナスーツを着て腹筋の運動をして汗をかいたり、テニスをしたり健康管理には気を使っていまいた。 舞台に向かう時の緊張感とかを垣間見ました。 今となっては何ともいない時間が戻りたい瞬間というような気がします。 亡くなる前日に暑いなかを庭掃除を一緒にしました。 その瞬間がキラキラ胸に焼き付いています。 一緒にいられる事がどれだけ価値のあるものだったのかという事が、その瞬間を思い出すたびに考えさせられます。
あの出来事があって、感情を誤魔化しながら日々を生きていたような気がします。 30年経った頃に私は「悲しみを私は乗り越えていないんです。」と言えるようになりました。 悲しみと一緒に歩いて行けばいいんだなと思いました。 それから楽になったような気がします。 乗り越えなくてもいいんだと思った時に楽になりました。
2009年に男の子を出産しました。 命の尊さを改めて考えさせられました。 出産をきっかけにもっと歌いたいと思うようになりました。 2003年にデビューをしましたが、命の尊さ、日常の大事さと言ったことを音楽で伝えていきたいとくっきり見えてきたのが、出産後でした。 より生活と密着した思いと地続きの曲を歌うようになりました。 今は息子も高校生でバンドをやっています。
シンガーソングライターとして20年になります。 トークでは何でこの歌を歌うのかとか、何のためにこの曲を作ったのかとか、説明してから歌ったりします。
*「上を向いて歩こう」 歌:大島花子 手話で一緒にうたう。
父が手話が好きで習っていました。 私も大人になって手話の勉強をしました。 永六輔さんが作った「そして思い出」と言う曲がありますが、手話から作られた曲で坂本九が歌いました。 「誰かと話がしたい。」と言う出だしがありますが、心を通わすことが話をすることなんだなあと思いました。 人と人がコミュニケーションをするのを教えてくれたのは手話かもしれないと思います。 東日本大震災の時には40回以上継続的に伺っています。 音楽はお腹を満たしたりすることは出来ないが、ご飯では満たせない心を満たすという意味では、人間にとって必要なものだなあと思います。
「上を向いて歩こう」は保育園から高齢者施設でも歌いますが、一緒に歌ってくれます。 音楽は言語を越える力があるんだと、父の歌が証明している様な気がします。
「心の瞳」は素敵な曲なのでA面にと思ったのですが、B面になってしまいましたが、父が亡くなってしまって、葬儀では私が弾いて父の声と重ねるという事にしました。 亡くなる当日にラジオの歌番組に収録があってこの歌を歌っています。 これを聞いた中学の先生が合唱にしようという事で徐々に広まっていきました。 大事な人との別れは必ずだれもが経験することで、その心をもっと大事にしていいんですよと、悲しみは有っても別に悪いものではないにのだから、泣いてもいいし泣かなくてもいい、私だから伝えられるメッセージだと思うので伝えていきたいと思います。 大事な人が目の前にいる人は、その時間を大事にして頂きたい、私はそんな思いを歌に載せて歌い続けて行きたい。