2024年11月25日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 小林一茶

 頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 小林一茶

小林一茶は庶民の暮らしの中の喜びも悲しみも辛いこともすべて俳句に詠み込んでいった人生でした。 

目出度さもちう位也おらが春」     小林一茶

小林一茶は江戸時代の後期の俳人。 松尾芭蕉、与謝野蕪村と並んで、江戸時代を代表する3大俳人の一人とされています。 有名な俳句に

「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」

「名月を取ってくれろと泣く子

「雪とけて村いっぱいの子ども」 などがあります。

松尾芭蕉が江戸の前期で、与謝野蕪村が江戸の中期で、小林一茶が江戸の後期です。 一茶が65歳で亡くなった年に西郷隆盛が生まれている。 一茶が生きた時代には大衆文化が花開いた。 生涯に詠んだ俳句の数は2万句以上あります。 松尾芭蕉は約1千句で、蕪村は約3千句です。 

「めでたさも中くらいなりおらが春」 一茶が57歳の時に1年間の出来事をまとめた「おらが春」という句集がありますが、その一番最初に出てくる句です。 「おらが春」は遺稿で死後25年経ってから刊行された。  春は一般的な春ではなくお正月という事です。  「中くらい」という意味は一般的な中くらいという意味もありますが、一茶の故郷では「中くらい」を「いい加減」という意味があり、説が二つあります。  あまりこだわらず自分にどう響いたかの方がいいと思います。  病院で正月を迎えた時に、中くらいという発想はしみじみいいと思いました。(極端ではない。) 

我と来て遊べや親のない雀」   一茶

一茶も3歳の時に母親が亡くなってしまう。  父親が再婚するが、新しいお母さんと上手くいかなかった。 子供が生まれてから一層ひどくなり、毎日杖で叩かれていた。 外でも親のない子と差別されていた。  家の中にも外にも安心できる場がなかった。 わが身ながらも哀れなりけりとそういう気持ちで詠んだ句ですね。  

笋の、うんぷてんぷの、出所かな」  一茶

たけのこはいろんなところに出てくる。 場所によって立派な竹にもなるし、小さいうちにとって食べられてしまう事もある。  自分で選んで生えたわけではなく運ですね。 人間も同じですね。

 喧嘩すなあひみたがひに渡り鳥」   一茶

やれ打つな蝿が手をすり足をする」  一茶

一茶は蝿にすら哀れを感じている。 手や足をするのは、何処にでもとまれるように、汚れを落としているらしいんですが、一茶はそれを打たないように頼んでいるように見えたわけです。 僕も(頭木)病気したせいで命は大切に感じられるので、蚊も叩けないです。 薬を飲んでいて体の抵抗力は強くないです。 感染症になってしまう事は気になります。 

最晩年に一茶の家が火事で焼けてしまう。 土蔵に住むことになるが、なかは蚤だらけだった。 

「やせのみのふびんやるすになるいおり」?   一茶

自分が留守をすると、その間蚤は血を吸えない。 不憫だと同情して心配している。

「寝返りをするぞそこのけきりぎりす」     一茶

眠りながらも寝返りで虫をつぶさないように、気を付けて心配している。

蝶とぶや此世に望ないやうに」       一茶

普通、ひらひら飛んでいると綺麗だなあとか思うが、一茶は蝶が途方に暮れて飛んでいるように見えてしまう。 蝶に自分を重ね合わせて仕舞う。

「やせ蛙負けるな一茶これにあり」      一茶

語りかけている俳句はめずらしい。  普通俳句は客観的に描写をする。

「古池やかわず飛び込む水の音」    芭蕉

蛙を詠んだ句ではあるが語りかけてはいない。

じつとして馬にかがるる蛙哉」       一茶

大きな馬と小さな蛙が対比されていて、馬がクンクン蛙の臭いを嗅いでいる。 どうなる事やら蛙の方はじっと動けずにいる。  大きなものも→地位が自分より上とか、運命とか。

「散る花やすでにおのれも下り坂」     一茶

48歳の時の句。  当時40歳では初老。  人生もうまくいかなかったなあという感慨も含んでいる。 

「月花や四十九年のむだ歩き」       一茶  

月よ花よと49年間俳句を詠んできたが、無駄な事だった。 当時は人生50年と言われていた。 

「五十年一日も安き日もなく」      一茶

52歳になった詠んだ句。 

一茶は長野県(信濃国柏原)の宿場町で生まれた。 家は農家、長男で跡継ぎになる筈だった。  3歳で母親を亡くして、新し母親に殴られる日々になってしまった。 祖母が優しくしてくれていたが14歳の時に祖母が亡くなる。 15歳の時に江戸に奉公に出されてしまう。 その後の詳細は判らないが、一茶自身が書いたところによると、住む場所にも困って他人の軒下で雨露をしのいだり、苦しい日々を送った様です。 現存する最初の句は25歳の時の句、その後旅をして39歳の時に故郷に戻ります。 父親は病気で亡くなってしまう。 父親は田畑、財産を半分づつに分けるように遺言するが、母親と弟は承知しない。   ここから長い遺産相続の争いが始まる。  決着したのは12年後の51歳の時。 ようやく生まれた家に暮らせるようになる。 

「ふしぎなり生まれた家で今日の月」     一茶

「老が身の値ぶみをさるるけさの春」     一茶

政治が腐敗して幕府が傾いて、わいろが横行してお金がものを言う世の中でした。 人間まで値踏みをするのはおかしい。  社会の方こそ人の役に立たなくてはいけない。    助け合う、迷惑をかけあう、社会はそのためにある。  個人が社会の犠牲になるという事は逆ですね。 

露の世は露の世ながらさりながら」     一茶

一茶は52歳で結婚して54歳で初めての子が生まれるが、生後一か月で亡くなってしまう。  56歳の時に女の子が生まれる。 翌年正月に元気に迎えることが出来て、その時にこういう句を詠みました。 

「這え笑え二つになるぞ今朝からは」    一茶

無事に2歳を迎えられたことに喜びに満ちている。 しかし、その半年後に女の子も亡くなってしまった。 その時に読んだのが、この句です。露の世は露の世ながらさりながら」

露は葉っぱの上に乗る水滴で、儚いもの。  儚い世はわかっていたけれども、人間も儚い存在と判っていたけれども、それでもそれでもあんまりじゃないかと、そういう気持ちだと思います。 その後、次男、三男も生まれるが、みんな亡くなってしまう。 さらに妻迄亡くなってしまう。(37歳)  

「もともとの一人前ぞ雑煮膳」       一茶

一人で新年を迎えて、もともと一人で食べていた雑煮じゃないかと、自分に言い聞かしている。  周りに薦められて再婚するが、上手くいかず3か月で離婚してしまう。  脳卒中で言語障害になる。 それでも俳句は詠む。  64歳の時に再再婚する。 相手には2歳の男の子がいる。 翌年に火事に遭って、家が焼かれ土蔵で暮らすがここで亡くなる。  (1828年11月19日  65歳)   切実な人間の句を詠んでいる。 

生きる時に迷ったりするときに私は思い出します。 おぼろ=ぼんやり、はっきりしない、暗くて道がはっきりしない。  みずなり=水溜まり  人生の道ははっきり見えない。  迷いながらおそろおそろ歩いていても、水溜まりの足をつっこんでしまう。

「おぼろおぼろ踏めばみずなり迷い道」    一茶