2024年11月16日土曜日

柴原聡一郎(奈良市埋蔵文化財調査センター) ・〔人ありて、街は生き〕 29歳、令和の時代に古代を掘る

柴原聡一郎(奈良市埋蔵文化財調査センター) ・〔人ありて、街は生き〕 29歳、令和の時代に古代を掘る

2022年12月奈良市のの西部にある富雄丸山古墳で、研究者たちも驚きの声を上げるような品々が発掘されました。 一つは盾のような形をした青銅の鏡、もう一つは蛇が蛇行するように浪打つ形の2mを越える鉄の剣、いずれも国宝級の大発見として大々的に報じられ、大きな関心を集めました。 この発見に調査員として立ち会ったのが、奈良市埋蔵文化財調査センターの柴原聡一郎(29歳)です。  世紀の大発見の現場はどのようなものだったのか、見つかった品々はどのような価値を持つのか、現代に考古学を研究することにどのような意義があるのか、伺いました。

鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡は盾の形をした鏡というのが、一番大きな特徴です。 日本では弥生時代、古墳時代の鏡は6000枚以上出てきています。 そのすべてが丸い形をしています。 一番大きいもので直径が40cmぐらい、一番多いものが10cm後半ぐらいです。 鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡は日本で初めて丸い鏡ではない鏡として出て来たのが大きな特徴です。 大きさが長さが64cmで日本国内では破格の大きさです。 

蛇行剣、5世紀ぐらいに日本で作られたもので、剣の刃の部分が真っすぐではなくて、まるで蛇が海を進んでいるかのように、左右に何回か曲がっている特徴的な剣です。 蛇行剣は日本でも数十本出土がありますが、1m程度のものです。 富雄丸山古墳の蛇行剣は剣身だけでも237cmという巨大な剣です。 蛇行剣は実際の戦いで使う剣というよりは、儀式の時に使うための剣ではないかという風に考えられています。 当時の古代東アジア世界でも最大ではないかと思われます。 

普通は40代、50代のベテランの人が調査したりしますが、私みたいな若造が大発見に立ち会う事になってしまい、吃驚しています。 富雄丸山古墳は円墳で、円の直系が109mぐらいで、円墳は国内では20万、30万基とも言われていて非常にたくさんありますが、そのなかでも一番大きいと言われています。 又富雄丸山古墳は単純な円形ではなくて北東の方向に四角い張り出しの部分があります。 この四角い張り出しの部分で祭りごと、御供え物をする儀式の場ではないかと言われています。 この部分のことを「作り出し」という風に呼んでいます  この「作り出し」の部分から今回の大発見がありました。 古墳の埋葬施設は基本的には古墳の一番高いところにあり、富雄丸山古墳もそこに埋葬施設がありますが、ここは過去に盗掘を受けて居たり、発掘調査もされています。 見つかった場所自体も大きな謎を投げかけています。 

古墳時代は3世紀中ごろから6世紀の終わりごろまでの時代です。 3世紀は中国の魏志倭人伝には邪馬台国(卑弥呼など)のことが書かれています。  5,6世紀には数多くの記載があり詳しく判っていますが、4世紀は日本と中国、韓半島の間であまり国同士の正式な交流が無かった時代でして、4世紀の倭国の事情を残した歴史書があまりありません。 富雄丸山古墳が作られたのが、この謎の4世紀に当たります。 何故富雄丸山古墳が作られたのか、どういう人物が葬られているのかという事を考えることで、謎の4世紀がどういった時代だったのか、という事にも繋がります。 しかし調査をしてみるとかえって謎が増えてしまいました。  

2017年度に航空レーザー測量で古墳の形を調べる調査がありました。 その時に日本最大の円墳であるという事が判りました。  発掘調査で墳丘の構造を調査することになりました。(2018年)  当時大学生で古墳の構造を扱っていました。 調査センター長に是非参加させてほしいと直談判しました。 発掘調査には細心の注意を払って行わなくてはいけないので、その体制つくりに4年掛かりました。 調査は30人ぐらいで5か月間かかりました。墓の部分を確定しるために最初広く浅く掘りますが、それに1か月かかりました。 穴が出てきて深さ1,5mぐらいありますが、そこの一番下の部分に、木で出来た棺桶を保護するために周りに白い粘土が出てきました。(発掘1,5か月ほど)  私は金属探知機を買って休み時間に粘土槨に当ててみました。  反応があってしかも棺桶のなかではなくて、もっと浅いところにあることが判りました。 2,5mぐらいで鉄の反応がありました。 一部で銅の反応がある所もありました。  

2週間後に蛇行剣と鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡が出てきました。 最初に一寸掘った時には剣の幅が6cmぐらいあることが判りました。 古墳時代の剣の幅は通常2~3cmなので相当大きなものであることが予測されました。 レントゲン写真を撮ることで一本の剣であることが判明しました。  蛇行剣を掘っている時に鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡の一部が見えましたが、その時点では何なのか全く判りませんでした。 最初模様もないつるつるした面でした。(鏡かどうかは判らない。)  裏の一部に文様を確認したが、なにかは判らなかった。 取り出して裏返した時に、鼉龍鏡と同じ文様を確認出来ました。 最初頭が真白になりました。 一週間たって凄いものが出て来たと実感しました。 新聞、テレビなどで大きく報道されました。  

考古学に興味を持ったのは中学生ぐらいです。  古墳時代を研究する視点、どういう風な視点で古墳時代、人類の過去を見るかという事を考えるのが、私は好きなタイプです。   遺物とかを見て判断するときに、過去を見ようとするときには、どうしても主観的なものが反映されてしまう。  古墳時代などは、戦前は古事記、日本書紀などに書いてあることを割りと素直にそのまま信用するという歴史観がありました。  戦後はそういった記述を素直に信用するのではなくて、科学的な方法を使って批判検証をしてゆこうという方向になりました。 

古墳時代の研究をしているように見えて、過去を通して現代を見るような視点にあるのかなあと思います。 現代で忖度と言う言葉がはやりましたが、実は古墳時代にも忖度はあったのではないかと思います。 現代社会が変化したことによって、どういう言う風に古墳時代観が変わるのかという事も、私は凄く好きです。 あくまでも昔のことを見ているというのではなく、現代とのかかわりが歴史学の中では非常に重要だと思います。 人間の行動は現代も過去も変わらないんだという、人間の普遍性みたいなところに気付くと、考古学の面白さが判るのかなあと思います。