鈴々舎馬風(落語家) ・馬風師匠の65年
千葉県野田市出身の馬風さん、17歳で柳家小さん師匠に入門し、二つ目で柳家かゑるとなり、キックボクシングのリングアナウンサーとしても活躍しました。 1973年 34歳で真打となり、鈴々舎馬風を襲名しました。 現在81歳、落語協会の最高顧問ですが、今年1月中旬に新型コロナウイルスに感染して入院、糖尿などの持病があったため心配されましたが、3月15日無事に退院しました。 今年柳家小さん師匠に入門してから65年、新型コロナウイルスのことや落語のことなどを伺いました。
2か月ベッドで寝たきりで筋肉が衰えてしまったが、退院して1か月ぐらいで歩きました。 今年1月中旬に新型コロナウイルスに感染してしまいました。 いよいよお迎えが来たなと半分あきらめました。 熱が37.5度から38度ぐらいでした。 楽屋に入るとマスクを取ってしまってこれがまずかったです。 ちょっと動くと息切れしました。 糖尿と腎臓が悪いんです。 いい薬があるという事でしたが、これを飲むと血糖値が上がってしまううので、朝、昼、晩、ともう一回、一日に4回インシュリンを注射しました。 最初は6,7錠で強い薬で、今は2錠になっています。 入院中は酸素を使って居ました。 胸の陰りが無くなっていきました。 家に帰ってからは妻と娘が看護師役をよくやってくれました。 高座は6月17日から20日まで浅草演芸ホールを予定しています。 金馬さんは10歳上ですが、頑張っています。
1939年千葉県野田市生まれ。 床屋で8代目でした。 屋号は京屋と言っていました。 中学卒業後、国際文化理容学校に入りましたが、継ぐ気がなかったので遊んでいました。 落語家になりたいと思ったのは小学校6年生ごろです。 落語は本を読んで学びました。 落語家への道を諦めきれず、知人の太神楽・鏡味一鉄さんの紹介で誕生日である12月19日に5代目小さんの内弟子になりました。(17歳) 前座は小光と言っていました。(1956年) 1960年(昭和35年)二つ目に昇進(21歳)柳家かゑるになりました。
1967年(昭和42年)からキックボクシングのリングアナウンサー、歌手の公演の司会なども務める。(アナウンサー馬場雅夫さんの紹介) 当時沢村忠選手が居ましたが、日大の空手部出身でものすごくジャンプ力がありました。 プロレスのアナウンサーもしましたが大変でした。 こういったことをやって世の中へ出るきっかけになりました。 師匠からは「何をやってもいいが噺家だと言う事だけは忘れるな」と言われました。
今は落語家の格が上がってきましたが、みんな名人になろうと思って色が似てきてしまった。 師匠は「滑稽話は若いころ、人情噺は年を取ってからやれ」と言っていました。寄席はいろんな噺家が出て、漫才、曲芸、マジックがあったりしたほうがいいと思うので、噺家も偏り過ぎているところがあるかも知れないです。
ラジオ深夜便はよく聞いています。 古い歌も聞きたいです。
コロナで今はみんな苦しんでいますが、我慢して力を蓄えて行ってほしいところです。