2021年5月30日日曜日

鈴々舎馬風(落語家)          ・馬風師匠の65年

 鈴々舎馬風(落語家)          ・馬風師匠の65年

千葉県野田市出身の馬風さん、17歳でさん師匠に入門し、二つ目で柳家かゑるとなり、キックボクシングのリングアナウンサーとしても活躍しました。   1973年 34歳で真打となり、鈴々舎馬風を襲名しました。   現在81歳、落語協会の最高顧問ですが、今年1月中旬に新型コロナウイルスに感染して入院、糖尿などの持病があったため心配されましたが、3月15日無事に退院しました。  今年柳小さん師匠に入門してから65年、新型コロナウイルスのことや落語のことなどを伺いました。

2か月ベッドで寝たきりで筋肉が衰えてしまったが、退院して1か月ぐらいで歩きました。   今年1月中旬に新型コロナウイルスに感染してしまいました。   いよいよお迎えが来たなと半分あきらめました。   熱が37.5度から38度ぐらいでした。   楽屋に入るとマスクを取ってしまってこれがまずかったです。  ちょっと動くと息切れしました。  糖尿と腎臓が悪いんです。   いい薬があるという事でしたが、これを飲むと血糖値が上がってしまううので、朝、昼、晩、ともう一回、一日に4回インシュリンを注射しました。  最初は6,7錠で強い薬で、今は2錠になっています。 入院中は酸素を使って居ました。 胸の陰りが無くなっていきました。   家に帰ってからは妻と娘が看護師役をよくやってくれました。    高座は6月17日から20日まで浅草演芸ホールを予定しています。   金馬さんは10歳上ですが、頑張っています。

1939年千葉県野田市生まれ。  床屋で8代目でした。  屋号は京屋と言っていました。 中学卒業後、国際文化理容学校に入りましたが、継ぐ気がなかったので遊んでいました。  落語家になりたいと思ったのは小学校6年生ごろです。  落語は本を読んで学びました。 落語家への道を諦めきれず、知人の太神楽鏡味一鉄さんの紹介で誕生日である12月19日に5代目小さんの内弟子になりました。(17歳)     前座は小光と言っていました。(1956年)  1960年(昭和35年)二つ目に昇進(21歳)柳家かゑるになりました。 

1967年(昭和42年)からキックボクシングのリングアナウンサー、歌手の公演の司会なども務める。(アナウンサー馬場雅夫さんの紹介)  当時沢村忠選手が居ましたが、日大の空手部出身でものすごくジャンプ力がありました。  プロレスのアナウンサーもしましたが大変でした。   こういったことをやって世の中へ出るきっかけになりました。   師匠からは「何をやってもいいが噺家だと言う事だけは忘れるな」と言われました。

今は落語家の格が上がってきましたが、みんな名人になろうと思って色が似てきてしまった。   師匠は「滑稽話は若いころ、人情噺は年を取ってからやれ」と言っていました。寄席はいろんな噺家が出て、漫才、曲芸、マジックがあったりしたほうがいいと思うので、噺家も偏り過ぎているところがあるかも知れないです。  

ラジオ深夜便はよく聞いています。  古い歌も聞きたいです。  

コロナで今はみんな苦しんでいますが、我慢して力を蓄えて行ってほしいところです。