2021年5月13日木曜日

渡貫淳子(調理師)           ・南極かあちゃん調理隊員

渡貫淳子(調理師)           ・南極かあちゃん調理隊員 

渡貫さんは2015年12月から1年4月から昭和基地の総勢30人の食事をまかなってきました。 足掛け6年3度目の挑戦で一般公募の南極隊員に合格し、女性としては二人目の調理隊員となった渡貫さん、知れられざる南極の脅威のなかで極地での越冬生活という事業に加わり、隊員の健康やモチベーションに大きくかかわる食事を考え続けてきました。   そこから見えてきたものは何なのか、南極越冬調理隊員の実践を通して得た料理への思い、プロとして自分らしく働くこととは、伺いました。

南極は日本とは全く季節が反対になります。  これからどんどん冬に向ってゆくわけですが、そろそろ極夜という時期が近づいてきます。   太陽が地平線に上がらない時期が1か月半ぐらい続きます。   日本の夕暮れぐらいがお昼ぐらいで、夕方6時ぐらいになると真っ暗です。   私は極夜はつらくは感じませんでしたが、白夜では太陽がさんさんと照る中での暮らしが苦痛でした。  発電機の排熱を利用して室内を暖房しているので、暖かくて室内は快適です。   昭和基地は南極大陸から4km離れた島に建てられています。  

私自身は山はやりません。  一番の問題は1年4か月の間、病気にかかることができない、日本国内と同じような医療体制ではないです。   医師は2名いますが、十分な医療体制ではないです。   極夜が明けたぐらいが一番寒い季節になります。   昭和基地の最低気温の記録はマイナス45.3度です。   極夜が明けて太陽が見えると私たちはそれを初日の出として拝みます。

娯楽がないので季節のメリハリをつけたいという事で、毎月お節句にちなんだような季節感を感じる食事を月に一回程度取り入れていました。   5月5日には鯉のぼりが上がります。  昭和基地には1年に一度しか船が往復しません。   1年間の食材は一回で全部持ち込みます。  一人1年間での食材は約1トンといわれています。  30トンですがそれよりも多く40トンぐらいは持っていきます。   ごはんが一番多く使用されるのは週に一回金曜日のカレーでした。   一回に出すカレーは最低でも2種類用意していました。  2種類のカレーを盛る方がほとんどでした。   生野菜は持たないので最初のころだけで、許可を得た種を持ち込んで水耕栽培をちょっとやっています。 1年間に葉物は7,8枚、プチトマトは1個でした。  魚は生態サンプルを捕ることが主目的ですが、おこぼれにあずかるという感じです。   本来の業務とは別に農協、漁協とか担当があります。  月一回ソフトクリームを食べるための担当もあります。  甘いものが食べたいんだと思います。  小豆でアンコとか甘いものをたくさん作りました。

閉鎖した村というか、コミュニティーの生活になります。  発電の係、水を作る人、ごみ処理をする人などがいて、ゴミは持ち帰ります。    環境保護条約があり、ペンギンでは5m、アザラシには10m近づくことは許されいません。  氷に穴をあけて数種類の魚は捕れます、私はタコとウニ(500円玉程度)は食べたことがあります。  ウニは身もほとんどありません。   15~20cmの魚が捕れますが、刺身にしたり、天ぷらにしたりします。  150cmぐらいの深海魚も一匹捕れましたが、さばきたかったが調査のためという事で持ち帰ることになりました。  調査後に今ははく製にしては展示されています。

南極の氷はカキ氷として、お酒のロックとしていただきました。   数万年かけて圧縮された氷には空気も閉じ込められていて、それがプシュプシュと微かに聞こえます。

ペンギンの個体数、卵の数なども何十年と調査してきましたので、増減を把握したりしています。  声はカラスのような感じで可愛いくないです。   ペンギンたちはブリザード(極地に見られる暴風雪)が来るとじっと耐えて過ごします。  なんでこの地を選んで繁殖したのか不思議ですね。  ブリザードは風速でルールで段階があり、禁止令が出たら一切外には出られません。   ひどい時は腕を伸ばした指先が見えなくなるほど視界が悪く成ります。   ブリザードでの作業の時にはゴーグルをしたりヘルメットをして、肌は出さないようにします。  まつげが凍ったり、鼻水が凍ったりします。  マイナス30度を超えると吸う息が痛い感じがします。

調理師の学校を出た後に職員として働いていましたが、どういった人を対象に調理するのか自分自身判っていませんでした。  たまたま読んだ新聞記事で南極観測隊のことを知り、南極を舞台にした映画も見て、その映画のなかで南極の食生活が描かれていました。  私が作りたい対象の人たちが南極にいると思ってしまいました。  20代半ばから50代半ばまで年齢の幅があり、出身地もばらばらで、どこにポイントを合わせれればいいのか非常に悩みました。  まずは自分が一番おいしいというような味で作りました。  誕生日の人の出身地の郷土の味付けにして出したりもしました。  やりがいのある職場でした。  南極ではごみを出さないようなことをしてきたので、出来るだけごみを出さない調理をする、そんな料理人を目指したいと思っています。