2025年1月1日水曜日

柳家さん喬(落語家)          ・私を会長とよぶな!

柳家さん喬(落語家)          ・私を会長とよぶな!

柳家さん喬さんは東京都墨田区出身、1948年生まれ76歳。 1967年に柳家小さん師匠に入門、前座は「小稲」、1972年二つ目に昇進して「さん喬」、1981年に真打に昇進ました。 さん喬さんは古典落語の名手として知られていて、古典落語の神髄を語る正統派落語の雄とか、上手くて面白い伝統派の代表選手、人情話も魅力的に出来る噺家などと言われています。 2012年度芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞、2014年に国際交流基金賞 受賞(落語家としては初受賞)、浅草芸能大賞奨励賞受賞など多くを受賞しています。去年6月に落語協会会長に就任した柳家さん喬さんに伺います。 

去年で落語協会創立100年になりました。 入門して50年以上になります。 会長職はまだ自分ではつかみ切っていないです。  一日5席は当たり前にこなしているような状況です。 6席というときもまれにあります。  若い頃にある落語を話していて、葛藤があるところで神経を入れ過ぎて酸欠になってしまったことがあります。  感情というものを入れるのはそういう事ではないんだ、お客様にどういう風に伝わるかであって、自分の感情を無理やり押し付けるという事は違うよねと思うようになりました。 或る落語会に有名な方たちが来たことがあり、そこで「高砂や」をやったんですが、笑わそうと一生懸命やったんですが、師匠のおかみさんから「くさく」やったんだろうと言われてしまいました。 過剰演技と「くささ」はちょっと違うかも知れませんが。 感情を伝えることが或る意味「くさい」という事になるのかもしれませんが。 先々代のつばめ師匠に「くさい」というのは良くないのか聞いたことがあるんですが、「若いうちにくさくなかったら、歳をとってからどうするの」と言われました。 若いうちにくさくやるから、歳をといってからは大げさな表現をしなくても角が取れて行って、真ん中の部分だけがお客様に伝わる。  若いうちにくさくやらないと角が取れない。 

うちの師匠はいいところはいいと、悪いところはこうだと言ってくれました。(普通、良いところを弟子には褒めないが) ネタはざっと300ぐらいあります。 直ぐにやれるのは50ぐらいですかね。  話は百篇しゃべって初めていろいろなものを見い出せるものじゃないかなと思います。  お蔵になっていたものを引っ張り出して、年齢でものの見方、考え方が違うので、違うような話になって行く気がします。  

2017年度に紫綬褒章受章しています。 師匠からは60代を頂点にするように言われました。 そうするとゆっくり下がって行く。 勉強を怠るとスパーンと落ちる。 人情話でも若いときと歳を取ってからでは随分と違ってくると思います。 すべて総合されたものが一人の噺家です。 先輩たちが残してくれたのは話の幹で、その幹から枝葉を付けてきたのがその時代その時代の噺家たちだと思います。 その花がその時代に有っているかどうかは演者の判断だと思います。 先々代彦六師匠がうちの師匠に私のことに対して、人情話をさせた方がいいと、言って下さったことがあるそうです。 ではやってみようと背中を押された思いはあります。 落とし話と人情話の両方ともちゃんとできる噺家になりたいとは思っています。 

高校卒業してすぐに願っていた小さん師匠に入門出来ました。 師匠はくどくど言わずい一言いうだけで、返ってそれが考えることになります。  或る時に師匠に内緒で旅に出てしまいました。 帰ってきたら凄く怒られました。 何で一言言わないんだ、誰それ師匠に頼まれましたと、その師匠に会った時にうちの弟子がお世話になりましたと礼が言えるだろう、それが言えないことで俺が恥を掻くことになる、という事でした。 首になるのは覚悟しましたが、他に弟子がいっぱいいるのに、この着物たたんでおいてくれと穏やかに言うんです。 どれだけ救われたかわかりません。 大切な教えだと思います。

柳家喬太郎を初め沢山の弟子を抱えるようになりました。 芸は一代限りだと思っています。 芸を継承する事は大事だと思っていますが、芸の継承は本質的な部分であって表現の仕方を師匠そっくりにやって見ても、本来の継承にはならないと思います。 幹をちゃんと伝えてゆく、枝葉は自分が作る、そこは一代限りの枝葉、花であって、花は赤い花であっても次が黄色い花でもいいと思います。  落語にどっぷり浸かって行って、落語が兎に角好きですね。