2024年12月25日水曜日

松本悠太(ぼたん生産者)         ・〔心に花を咲かせて〕 ぼたんの歴史を守ろうと転職して奮闘

松本悠太(ぼたん生産者)  ・〔心に花を咲かせて〕 ぼたんの歴史を守ろうと転職して奮闘

島根県と鳥取県にまたがる汽水湖中海に浮かぶ大根島。 牡丹の島として知られています。  小さな島ですが牡丹の生産量は日本一。 いまはかつての勢いはなくてそれを知った松本さんは大根島に移り住み、転職して牡丹を生産するようになります。 

大根島に初めて植えられたのが、およそ300年前の江戸中期です。 島内にある全隆寺の住職が現在の静岡県袋井市)より薬用として持ち帰り、境内に植えたのが始めとされています。 江戸後期になると園芸文化が広がって行って、大阪などで作られた改良された品種が散らばって行きました。 新潟、島根の方にも広がって行きました。 おもな産地は新潟で改良が進められていきました。 明治30年ごろに芍薬を台木にして、牡丹を接ぎ木するという技術を開発してから生産量が何十倍、何百倍と増えて全国に広がっていきました。 昭和30年ぐらいまで新潟は生産量は日本一でした。  その間に大根島でも徐々に増えていきました。 大根島が有名になったのは島の女性が花籠をしょって全国に花売りに行ったのがきっかけでした。 昭和40年ぐらいから大根島の生産量が80万本以上になって、日本一の産地となりました。  20年前ぐらいからどんどん生産量が落ちてきました。 今は生産量が1/10ぐらい、生産者も200人ぐらいいましたが、1/10ぐらいになってしまいました。 

藁ボッチで鑑賞する牡丹は寒牡丹(2度咲き)です。 最近では藁ボッチで鑑賞する牡丹は冬咲き牡丹(開花調整した牡丹)です。  寒牡丹はほとんど葉っぱがないです。 牡丹は全国に1000品種あると言われています。 色も白、桃、赤、紫、黒、黄色、最近出てきているのがオレンジです。 天気のいい日ですと花の一番いい状態が3日間ぐらいです。 

元々デザイナーになりたいと思っていました。 妻と出会って、実家にご挨拶に伺った時に、牡丹栽培をしていることを知りました。  お父さんからもうこの花はあと10年で無くなると言われました。  ショックを受けて、深刻な状況になっていることを知りました。 考えていたが、高齢化の問題もあるし、自分がやった方が早いのではないかと決意しました。  農業には一切関係していなかったので、いろいろ学んでいきました。 体力には自信があったが大変でした。(20代) 芍薬を育て、接ぎ木して売れるまでには5年かかります。 作業が秋に集中します。 牡丹とはこういうものだと判りははじめるのに5年掛かりました。 「牡丹名鑑」を作り始めた時に入ったので、一緒に写真を撮って加わりました。 353品種の花の咲く一番いい時期を写真に捉えるのが大変でした。 いい勉強になりました。 

2年前にまいた種で新品種が出来つつあるのが嬉しいと思っています。 1000粒まいて苗として育ってくれたのが800株です。 ちゃんと花が咲いたのが600株ぐらいです。 その中から10株ぐらいがよさそうなものとしてあります。 世に出すのにはまだ数年かかります。  中国から来た牡丹はひとえ花です。  中国の品種改良は重ね花を求め、重くて花が下を向いてしまう。 日本では上を向いて咲くのでそれが大きな違いです。 アメリカ牡丹、フランス牡丹もあり、地域によって品種改良が違って、黄色い色が好まれます。 斜め45度ぐらいに咲きますが、日本でも改良をして上を向いて黄色い色の牡丹があります。   

牡丹の良しあしを決めるのに苗の長さがありました。 長いほどいい牡丹。 しかし僕はコンパクトで威勢いい牡丹の方が今後活躍の場が増えると思っています。 伸びない牡丹を品種改良で作っていきたいと思っています。 20cmぐらいの大輪になっています。 まだ未公開です。  一番難しいのは接ぎ木ですね。 7割以上は接ぎ木できる様になりました。 余り上手くない人がやると5割程度、下手な人がやるとつかない事もあります。  品種保存を大事に思ってやっています。  なかなか求めるような品種改良出来ないです。 

小学校へ行って牡丹の普及活動をしています。  牡丹を育ててくれる人が増えていってくれればいいと思っています。  どこかにその品種の牡丹が残っていれば、又それを元に始められるし、残ってゆくんじゃないかと思っています。 品種保存はボランティアみたいなものです。  SNSで牡丹のことを発信しているのですが、海外(アメリカ、フランス、中国など)の方からの反応の方が日本よりも多いです。