2016年4月13日水曜日

東 勝廣(彫刻家)       ・木の命を生かす

東 勝廣(彫刻家 飛騨匠根付会会長)  ・木の命を生かす
1944年生まれ 72歳 15歳で岐阜県飛騨地方に伝わる一位一刀彫の世界に入り、伝統の技術を磨いてこられました。
一位一刀彫は江戸時代飛騨のねつけ彫刻師松田亮長が一位の木の持ち味を活かし根付を製作したのが始まりと言われ、飛騨地方の伝統工芸品として茶道具や置物、面などが作られています。
東さんは木彫りによる写実彫刻一筋に57年、仏像や動物、歴史上の人物など数々の作品を手掛け評価されまさに飛騨の匠のお一人です。
材料の木はいちいのほか、けやき、にれ、つげなどさまざまありますが、中でも何千年もの間地中に眠っていた木、神代けやきから生み出された作品はまさに地球からの贈り物とも言えるでしょう。
長年木と出会い木の命を活かす技に取り組んできた東さんに伺いました。

幾重にも山並みが重なってる山ひだ 「ひだ」 「飛騨」という名前が出てきたと言われる。
最近は外国人が凄く来るようになりました。
飛騨の匠は、奈良時代毎年100人以上木工の仕事に出かけていったのが、飛騨の匠と言われ、そのおかげで税金などが免除されて、毎年交代で行ったのが飛騨の匠です。
唐招提寺とか古くから残っているお寺は飛騨の匠が建てた寺だと言われている。
奈良の橿原市には飛騨町という町があり、飛騨の匠がむこうに行って寝泊りしていたらしい。
一位一刀彫 江戸時代に根付が凄く発展した。
男のおしゃれとして、印籠根付がはやったが、200年ちょっと前に飛騨から松田亮長が江戸の平田亮朝という根付師のところにいって、根付を勉強して飛騨に還って来て根付を作ろうとしたが、つげは硬い木で、根付にはもってこいだがいちいは木が柔らかく、細かい細工はしにくいので、彫りをあっさりとして一刀一刀魂を込めて姿を美しく彫るのが一位一刀彫の特徴です。
いちいは平安時代、この木で神主さんが持っている笏木をいちいで作ったら、木目の美しさと、木の艶が素晴らしいので、[正一位]という「位」があるが、木の中では位が一番高い木なんです。

根付 水鳥 下に印籠が付いている 蛙がへばりついているのが彫られている。
木に「赤太(あかた)」、「白太(しらた)」があり いちいはそれがはっきりしている。
大きい彫刻では300~800年の木を使います。
根付は「掌の宇宙」と言われます、掌に乗る作品だが無限大に広がる宇宙を感じさせる。
昔労働をした後に煙草を一服する時に、煙草を吸いながら根付を見て、疲れを癒す力があると言われる。
明治時代になって、外国の人が日本に来て目を付けたのが根付です。
作品が海外に流れて行って、今でも凄い人気がある。

中学卒業してすぐにこの世界に入る。
幼稚園のころから物を作ることが大好きだった。
中学に2年の時に彫った根付、木の葉の上に蛙です。
一位一刀彫の師匠がいっぱいいましたので、一刀彫を習いました。
57年も続けてきました。
道具に柄を付けるところから始めて、道具を砥ぐことをやりますが、それが難しかったです。
本当に切れるようには3年掛かります。
彫刻に向くのはかつらとか硬い木があいます。
彫刻刀は100本以上あります。
等身大から小さなものまで彫るのでありとあらゆるものが必要です。
看護師の等身大の像がある。
芯は木割れが入り易いし綺麗ではないので、芯をはずして作りますので、大きな木でないといけない。

二宮尊徳像、大人の二宮尊徳を知っている人はあまりいないので彫りました。
「音もなくかもなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という尊徳の歌があるが、音もなく香りはないが、常に天地自然は、人生の、人間何のために生まれてきたのかを繰り返し教えていますよ、という事です。
像は一位の木です。
タンニンを含んでいるので、彫った時はもう少し明るかったが、10、20年すると黒褐色になってゆきます。
聖徳太子像、若い太子で馬に乗って法灯を持って、世の中を照らすという意味で掲げています。
「和を持って尊しと成す」 その精神が今の日本人にも続いてきていて、今の日本の繁栄の元になっているのではないかと思います。
ナポレオンのポーズを思い、彫ってみたかった。
ソクラテス、20歳の時に「汝自身を知れ」という文字を見て、自分自身の事は何も判っていないことに気づいて、自分ほど愚か者はいないと気付いた。
或るときソクラテスの友達が神託で神様に聞いたら、ギリシャで一番賢いのはソクラテスだと言われた、その友達がソクラテスに言ったら、そんなバカなことはない、自分ほど愚かなものはいないと思っているのに、そんなバカなことはないと言って、王様、学者とかに聞いたら、自分の自慢話、知っている事は言うが誰一人自分のことを判っている人はいなくて、自分は愚か者だと気付いただけ人より賢いんだと神がそういったんだと気付いた。
そこが一番大事なところで尊敬しているところです。

神代けやき 今から2000~3000年前に火山が爆発したり、地震等で山が埋まってしまって何千年も土の中に埋まってしまっていて、水の中に埋まっていれば腐らない。
工事などで中から出てきた木を切って、出た時は普通の木の色だが、1時間もすると青っぽい様なグレーっぽい色に変わってくる。
彫り出してから空気に触れると腐りやすいが、その前に彫って乾かせば腐らない。
山車の宝珠台の亀と波の復元、重要文化財  12台ある。 八幡まつりと言って秋にやる。
山車とは言わず屋台という。
春祭りも12台ある。
一台一台 龍とか鳳凰とかに拘っていて、宝珠台に彫刻がなかったので30年前に、亀の彫刻を入れてほしいとの事で、亀は難しくて、7つ違った亀を彫ったんですが、今思うとよくやったと思います。
普通粘土で固めて作って、そのあと彫りますが、私は一切しないで、デッサンをして、それを型紙にして余分なところを取って、後はのみで彫ってゆくだけで奥行きは頭で計算して彫ってゆきます。

ミケランジェロが大きな大理石を見て、あの中に女神が入っている、それを彫りだすのが私の仕事だという有名な話があるが、彫る人の心がなかったら大理石を見ても木を見ても、それは出てこない。
木は宝だと思います、燃やしてしまえば何も残らないが、木を形にしてこうしておけば木が生きて何百年、何千年と生きるので、木を生かしていきたいと思っています。
いろんなものを彫ってきたが、人に感動を与えるものを彫りたいし、仏教的思想があるので自然の法則、宇宙の法則というか、仏法はそれに則ったものなので、そういう事が私の彫刻を通して観てくれる人達の心に伝わるものを彫りたいなあと思っています。
平櫛田中は百歳になっても、30年分の木彫材を保持していたと言う。