2014年6月6日金曜日

山本祐ノ介(指揮者)        ・ミャンマーのクラシック・オーケストラを支援

山本祐ノ介(指揮者)    ミャンマーのクラシック・オーケストラを支援
1963年東京生まれ 東京芸術大学を卒業、同大学院を修了、現在はソロのチェリストとして、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団常任指揮者として活躍しています。
父は作曲家で指揮者だった山本直純さん、母も作曲家の山本正美さん、そして祖父も兄も作曲家。曽祖父はバイオリニストという音楽一家に生まれました。
昨年、ミャンマーの国立交響楽団を指揮し、その後継続的に、指揮、編曲などの支援を行ってミャンマーの音楽教育に携わったいます。

小学校のころからチェロをやってきたが、中学生の時は指揮もやってきた。
たまたま小学校の時にオーケストラがあって、ピアノを弾く係になる予定で有ったが、鉄棒で左腕を折ってしまって、チェロを弾く事は出来たので、初めてチェロを弾いた。
斎藤秀雄先生のところに突然連れていかれて、斎藤建寛先生に習う事になる。
東京交響楽団にいて、自分はこうしたいと言う想いもあり、指揮の方も一生懸命やる様になった。
編曲もやるようにもなる。
楽しい音楽をやりたいと思っている。
音楽自体が生き生きしていて、演奏者が楽しく演奏して、お客さんも楽しく聞いてて、心がうきうきして、ジーンとするとか、曲の内容、ジャンルとかは意識しないで、ボストンポップスが憧れです。(ボストン交響楽団のメンバーが作っている、ファミリー向けのコンサートをやっている)
アメリカの文化の懐の深さがあり、日本でもそういう事をやりたいなあと、ずーと思っていることです。

ミャンマーの音楽との関係?
偶然、ある人が自分はミャンマーをよく知っているんだけれど、ミャンマーにいってみないかとの話があった。
父がビルマの竪琴の音楽監督をしたんです。(1985年)  その時にチェロを私もやっていた。
ビルマの事は頭の中では気になっていて、オーケストラがあることが解り、2013年5月にミャンマーのオーケストラの見学に行った。
ビルマ族がかなりいて、後は少数民族が色々いる。
仏教が主だが、ほかの宗教もある。  イギリスの統治下があった。
キリスト教の人たちは教会で英語、バイオリン、ピアノを習っていたりする。
ミャンマー国立交響楽団 リハーサルを見せてもらう事になる。
指揮してほしいと言われて、やってみて、色々アドバイスもした。
指導者が少ないし、手伝ってほしいと言われる。  しかし払うお金はないと言われた。

放送番組ならお金がかからないから、放送番組を一緒に作りませんかと、提案した。
編曲したり(足りない楽器にあわせて)、譜面を用意したりした。
アセアンの曲をやりたいというので、アセアン10カ国の民謡を集めて、メドレーを編曲して作った。
メドレーをメインに9月に収録を行った。  
文化大学を卒業した人が、交響楽団に入るが、大学に入る時に音楽を始める人もいる。
バイオリンなどもミャンマー流の弾き方、5線譜ではない。
モーツアルトを知っているか知っていないか、と言うぐらいの感じ。
そういう人たちが卒業して、オーケストラと言う就職があって、そこに入ってきて、そこで初めてモーツアルトを弾く、5線譜と言うものがあるぞと、そこから始まってる。
音楽は義務教育には入っていない。

クラシック音楽自体知らない人が多い。
ピアノを両手の各々2本の指で弾く。 
何故かと思ったら、木琴の様な楽器があり、民俗音楽の中にあり、それをピアノの弾き方に取りこんでいた。
9月にいったときには、最初10日後に録音するのは無理だなと思った。
曲を覚えてゆくと、割と弾ける。
収録の時には最初とは考えられないぐらい巧くなった。
自己満足するだけでいいのかなあと、自分自身思った。
相手もつぎは何をしてくれるのだ、と言う様な感じだった。
オーケストラの方はお金もないし、お金もいる事だし、どうしたものかと思った。

自分もこれる時間を見つけてくるから、楽譜の読み方から含めて、一緒にやりましょうと提案した。
政府も認めてくれたが、貯金をすこしずつ取り崩す事になる。
一流ホテルが60ドルで泊まれたところが、今年は300ドルする。
スポンサー探しをしながら、やっている。
2週間 年4回行く事になる。    3月には、いってきた。
3拍子を理解できない人がいる。(西洋音楽のスタイルが解らない)
国立劇場で演奏会を行う。 妻(小山京子)もピアニストなので巻き込んで、やろうとしている。
民謡、映画音楽などを編曲して、そういったものもやろうとしている。

気が付くといろんなことが、自分の中でスキルがあがってるというか、とても感じます。
敷居の高くないクラッシックを普及させたい、そういう風なことを考える時に、ミャンマーでどうやってゆくかを考える事は、そのまま日本でどうしていったらいいか、と言う事に対して、もの凄く参考になる。
ミャンマーの人は日本人を凄く好きですし、製品も日本の製品をもの凄く信じている。
車などは全部日本車です。
ミャンマーの友だちが沢山出来たので、ミャンマーの国をとっても好きになりました。
平和と言うのは、そういうところからでてくるというのは、あると思います。