2014年4月18日金曜日

山田圭輔(金沢大・麻酔科蘇生科医)  ・ 生き方を共に探るガン哲学外来

山田圭輔(金沢大学付属病院麻酔科蘇生科医)   生き方を共に探るガン哲学外来
2001年から金沢大学附属病院癌緩和ケアーチームの一員となった山田さんは薬物療法や神経ブロックなどで癌患者の痛みを軽減してきました。
しかし、患者の精神的苦痛への対応に悩んできた山田さんは、去年5月癌哲学外来を病院内に開設し、進行癌、再発、転移などに悩む本人や家族と、生と死について対話する専用の時間を設けています。

「ガン哲学外来」、私は麻酔の医者なので、癌に依る身体に依る身体を和らげると言う語が仕事ですが、心の痛みを和らげる、事を「ガン哲学外来」でやる事にしました。
普通はサイエンスで対応するが、心の痛みはサイエンスでは対応できない。
自分の生死を自分の言葉で考える、と言う事を哲学と言う風に表現してみました。
自分が死を意識したときに、残った人生をどう生きるか、全て自分の問題です。
自分の意志で亡くなるまで、自分で生きると言う事としかありません。
ホスピスでも癌患者の身体、心の痛みに対応しますが、心の痛みと言うのはなかなかつかみにくい、難しい問題です。
御自身で考えてもらう、その手助けをする役割り、聞き役として、確認をしたり、手助けをする。
生死の問題を話せる相手はそんなにいない、家族の間でも話しにくい事がある。

病気の経過がどうなっていくか、身体がどういう風になっていくか、其時にどういう事が出来るか具体的なアドバイスも出来るので、患者さんからすると安心するのではないか。
今の医療に欠けている事だと思った。
医師は病気を治すと言う事に目をむけてしまい、治らない人にどう対応するのかと言う事にはあまり目を向けてこなかった。
10年以上この仕事を続けていると、いろんなことに自分はどうすればいいかなやんだし、相談、、学んだ。
順天堂大学の日野先生、(恩師) 最初に癌哲学学会を最初に作った。
私に刺激になり、影響を受けて、金沢の方で「ガン哲学外来」を始めた。

人が生死に向き合う時に、どうすれば心に平安が保てるかと言う事はある程度、共通したところはあると思う。
死ぬまでどういう風に生きるか、と言う事だと思います。 生老病死 
死をある程度覚悟する、死は避けられない者であると言う覚悟を決めた時に、残りをどう生きるかはそれぞれの問題だが、それぞれの人が自分はこうするんだと、結構しゃべってくれるので、私はそれを聞くわけです。
ご本人から来られる方は、ある程度覚悟されている方が多いと思います。
家族へも縁起でもない事を話さないでと、言われてしまう事がある。
そういう様な場所だと言って、自由に喋りなさいと言うと、思いをしゃべってくれるものです。
効果があったかどうかは帰るときに、笑顔になれると判る。

繰り返し来るかたもいる。
家族の方だけが来ることもあるが、亡くなる人にどう向き合うか、と言う事です。
残された時間をどう共に生きるか、是も覚悟です。
やけになる人は少ない。  未来を考える場にもなっている。
命に響く言葉を与えることができる。 
亡くなるまで生きる、支えた人はたくさんいるので、そういう人たちの言葉をすこし与えると言う事は出来る、それがヒントになっていただければいいと思います。
オーストリアの精神医でヴィクトール・フランクル 「夜と霧」の作者 
非人間的な、絶望的な状況で、人間らしい気持を忘れずに、そこにいた苦しむ人を救う、励ますと言う事をした。
幸い、生きて解放されて、後も世の中で苦しむ人を支えたという人ですが、人間らしさに焦点を当てた、そういう人がいたと知るだけでも力になる事はあると思います。
マザー・テレサ  最貧層の人に捧げた。
色々学んで智慧を借りると言う事だと思います。

生死を考える、どこかに時間を取ることが必要かと思います。
病院の中でも考える時間と場があればいいと思います。
医学部の学生のころからこういったことをやろうと思っていた。
癌の痛みの治療、尊厳死の問題、恩師の村上教授が幅広く取り扱っていて、特に癌の痛み治療、癌の心の治療に非常に興味を持った。
歳を取ってきてから、手術、全身麻酔の仕事等からは離れて、癌の患者さんの仕事をするようになった。
最近は癌の痛みの治療薬は非常に発達しているし、癌の治療は随分発達しているので、癌の再発、転移があっても、病院に通院される方、痛みをコントロール出来る方はかなりたくさんいます。
そういう時に段々不安になってくると言う事があります。
自分がこのさきどうなるのか、自分に価値があるのか、意味があるのかと、当然迷うわけで、そういう時こそ癌哲学外来は発揮するんだと思います。

癌治療が発達してきているので、癌を抱えながら生きる時代になってきている。
昭和56年ごろに自宅で亡くなる方の数と、病院で亡くなる方の数が変わった時期だと思う。
医学部で精神世界を学ぶ場はあまりない。(昔も今も同じだと思う)
死を実際に考える事は大事だと思うが、判らないと恐怖に考えるのは当然のことだと思う。
シニアに時代には、或いは若いころから生死をすこしずつ考える事は大事だと思う。
癌哲学教室 各自が生死をどういう風に思うか、グループで発表させると言う試みをしている。
それぞれ学生の考えは非常に参考になる、いろいろ学びました。
フランスのパスカル ①科学的な考え方 それだけではない  ②繊細なる精神、科学、合理性を越えた考え方   
両者のバランスが成り立たないと人間はなかなかやっていけないところがある。
医療、福祉、教育、合理的な面だけでは済まないところがある、それを強く意識する事が必要。

医学の知識、科学の知識を持ちながら、精神、心の問題を見る、バランスが大事なんだと思います。
父親は癌で亡くなったが、整形外科医をしていて、最後は石川県立中央病院の病院長をしていて、病院長になった時に、その時に安心して死ぬことができる病院にしたいと発言したのを、覚えているが、医学はどれだけ発達しても人が死ぬという事実は絶対変わるわけではなく、医学ばかりに目が行っていると、ついついそちらの方を見失ってしまうのはよろしくない、父はそういうバランスを取った病院をめざしたのではないかと思う。
自分も安心して死にたいと思う。