中村元 生き甲斐の発見
インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、
紫綬褒章受章。在家出身
中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』(東京書籍)が完成間近になったとき、編集者が原稿を紛失してしまった
中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直し、8年かけて完結(以下の内容とは関係ない)
以下は仏教的な内容
何が生き甲斐か、人によって当然違う
経済活動、利益を得る、絵を書いている人がこれは絵だなと思うと生き甲斐を感ずる
草花を楽しみ、風景を楽しむことに生きがいを求める人もいるでしょう
具体的にいろいろ存在する 一つの共通したものがある
他人の迷惑になるような事をしてはならない 他人を損なうような事があっては為らない
生きるというのは個人一人が生きるのではなく、人々との繋がりにおいて生きている
人の活動が人の為にもなり、自分の為にもなることが望ましい
人間が自然と調和して生きるのも大事である
「羅生門」 米国で映画を見たいと学生がいうので、連れて行った時、(映画の内容は判らないかもしれないが)日本の自然はあんなに美しいのかと、一言学生が言った
我々日本人は慣れているのかも知れないが・・・米国学生の言
人々の為になるように・・・「重々無心」の繋がり
無数の人から恩恵を受けている ・・・自覚されてはいないかもしれない
他の人々の為に生きるというのが望ましい
報恩・智恩・・・人からなされた事を知る 人から受けた恩に気付いて感謝するという事
自分の利と、他人の利とが合致すればいいが、矛盾することもあるかもしれないが、究極の理想としては、自分の利と他人の利とが相即して、ともに実現されるようなことが望ましい
そう思う心は愛情なり慈悲となって現れるでしょう
慈=いつくしみ 真実の友情 混じりけがない 悲=あわれみ 他人に同情すること
他人が悲しい時は自分も悲しい心を共にする
仏様は具現する 人間の内に現れる尊いものである
天台大師 人間には10の領域がある 「十界互具」
①一番尊いのは仏様の領域 ②菩薩 ③一人で悟りを開く修行者
④声聞(お釈迦様のいろいろな戒律を守っている修行者 ⑤天上(神々) ⑥人間 ⑦修羅(闘争を好む) ⑧畜生(動物) ⑨餓鬼(なんでも食べ物を欲しがる) ⑩地獄(悪人が落ちる) ・・・人間はこの10が交わっている
何事も「行事綿密」 行う事が人に迷惑を掛けないように、いつも心がけていないといけない
一卵性双生児の2人が同時に生まれた→しかし2人が全く同じと言う事はない→その後の育て方で非常に違ってくる→甲:美的センスは発生したとしよう
乙:体が鍛えられ強壮になったとしましょう→両人は受けた教育が異なる
人物、生活、性格まで変わってくる 嗜好、好みまで違ってくる
国が異なると言語が違い、話言葉まで違ってくる→無煤の条件があり無限の過去まで遡る
宇宙のありとあらゆるものが個人の独自性を形成している
各個人は如何に微々たる存在のように見えても、実は社会人として例えようのない重大な存在を担っている
願わしいことが実現されるという事が大切 生きがいとは一つの意志的努力が伴う
病気の方、身体に障害を持つ人 そういう人々の生き甲斐をどう考えたらいいのか
重層的 構造的なもの・・・生き甲斐
雑宝蔵教 力のある人だけが人々につくすのではない
自分は力がないと思っている人でも人々の為につくすことで、生き甲斐を見出すことが出来る