2014年2月17日月曜日

小泉英政(農業)        ・成田三里塚で完全循環農業を生きる(2)

小泉英政(農業)  成田三里塚で完全循環農業を生きる(2)
千葉県、成田市で農業を営む 65歳
1960年代にベトナム反戦運動の非暴力直接行動に参加した後、成田国際空港建設反対運動に加わり、成田市三里塚に移住しました。
建設反対運動を続ける農民たちと共に、40年ほど前から有機野菜の産地直送による農業経営を続けてきました。 
小泉さんは17年前から可能な限り、化学物質の影響を受けない野菜作りを目指してきました。
化学肥料は勿論、ビニールなどの農業資材などは使わず、里山の落ち葉などを堆肥とする完全循環形の有機農業です。
福島第一原発事故では対比が放射性物質に汚染されてしまい、今も大きな影響を受けています。
空港に近接する自宅から10km離れた農地や作業場まで往復しながら、もっとも手間のかかる農業についてお聞きしました。

循環有機農業 ワンパック運動(会員制の無農薬野菜・産地直送グループ)は21年経ち 最高時で生産者が7人 会員が1400人に膨れ上がったが、その後 後退して行った。      
最終的には2軒になっていた。
今後について悩んでいた時期があった。
消費者の人から電話があり、再開してもらいたいとのことで、安全な野菜を供給してもらいたい。
本当に安全なものかどうかというと、牛フン堆肥の中には抗生物質、薬剤使っているかもしれないし、おがくず自体も外国からの輸入材で、熏汁?されているかもしれない、餌も外国からの輸入穀物で生産地に置いては農薬を使って作られたものであろうと、思った。
発酵させて熟成させれば影響はほとんどなくなるのではないかと考えてやっていた。
20年経って振り返ると、この先もこのままでいいのかと考えた。
電話を受けた時にもっと循環型に出来ないかと考えた。
鶏を飼って鶏糞を作って、鶏糞を農地に施肥する様にした。
ダイオキシンの問題も出てきて、農家では畑で燃やしたりしていたが、燃やすとダイオキシンが出てくるので、ビニールトンネル、ポリマルチも減らしていこうと提案した。

今までも大変なのに、もっと大変なことを提案したが受け入れられなくて、自分でやるしかないと、始める。
ビニールを使わないと雑草がでやすくなるので、その分除草が大変になる。
周りからそんなことはできるわけがないと言われた。
大変だという事よりも挑戦することが面白かった。
夏場は朝早くて、7時ぐらいまで明るいので、労働時間は長くなるが、いろんな作業をするのでそんなに大変ではない。
鶏を飼うが、失敗する。 穀物を与えるだけでは卵を産まないので動物性たんぱく質を与えないと卵は産まない。
落ち葉で堆肥を作る事にする。 38人の会員だったがその年のうちに100人近くになった。
野菜がおいしいとの口コミ出広がる。
ある人が手伝ってくれるようになって、森を切り開く事をやってくれるかといったら、やってもいいよと言ってくれる。

森は荒れておりしの竹、蔓とか生い茂っており、樹木を衰退させるので、この整理作業から始める。
冬場の仕事としてどんどん広がっていって、落ち葉が取れるようになる。
農業を勉強したいという人も出てきて、言い循環が出来てきて、鶏の循環に替って森を利用した循環農業をができるようになった。
森も日光が入るようになり、木が元気になってきた。
森の中には綺麗な花を咲かせる植物が生えるようになった。
天候には左右される部分があるが、野菜は強いと思う。
落ち葉の堆肥と米ぬかを発酵させて肥料として使っている。 2種類を組み合わせて使っている。
水は全くやらない。  雨水に頼る。 (17年でどうしようもない時が2回合ったがその時は使った)
地下水は有限だともうので、水を大事にしなければいけない。
作物は強い物で駄目かと思っても、自分で水を探してよみがえってくる。
水をあげると、その水に頼ってしまうので軟弱な野菜になってしまう。

ただ任せるのではなくて考えながらやっている。(サトイモでも6種類やっている 日照りに強い)
年間 品種で言うと150種  保有しているのが120種 自家採取。
自家採取を100%にしようと思っている。
市販の種が段々危なくなってきている。 
郵政付言 自然界で雄花が不完全の状態で咲く。  それを利用して種をつくって撒いて一代はみのるが、そこから花を咲かせて種を取ろうろしても、皆雄花が駄目なんです。
種ができない。 農民がずーっと種を買わなければならない。
雄花が咲かない野菜は本当の野菜なのだろうかと思った。
企業が自分の技術を独占するために、雄花の咲かない物を作る。
今はもう遺伝子組み換え種子になって(日本ではまだ禁止されているが)、製品としてはいろんなことで入ってきている。
外国の輸入物はかなりの遺伝子組み換え野菜が入ってっ来ている思う。

たべられる土にしようと思っている。 種も食べられるものにしようと思っている。
それが循環農場の出発だと思っていた。
自家採取をやらないと手に入らなくなってしまうのではと思っている。
自分で堆肥を作って、種も取って、自分の目の届く範囲で全部やることももう一つの農業に生き方ではないかと思う。
会員の人もそこまでやらなくていいよと言ってくれるが、やってみて、化学物質過敏症の人
がいっぱいいて、その人たちが無農薬野菜でも食べられない、と言う人がいた。
うちの野菜だったら大丈夫だと、紹介してくれた人がいて、送ってみたら、部屋のなかには入れても大丈夫との事で、肥料を段々改良してゆくうちに、食べられるようになって、今は回復している。
利潤を上げるという意味では下手な農業です。
化学物質過敏症の人と出会って、そういう風にこの野菜を待っていてくれる人がいるんだと判った。
会員が増えてきて、農地、里山が増えてきて、畑5町歩 里山5町歩 までになって、経営的にも成りたった。
原発事故でガクンと成って、土台が破壊されてしまった。
里山から回収する落ち葉が使えなくなった。 本当にどうしようかと思った。
もっと酷くなったら、孫たちは逃がさなければいけないと思った。
出荷場に目張りをするか、どうやるか、のこっていたが。

まだ落ち葉も集められない。 
放射性物質の値を計っているが、去年1kg当たり330ベクレル  今年は150ベクレルぐらい。
(表面だけの落ち葉) 
落ち葉堆肥は使えないので、落ち葉に替る堆肥 燕麦とか、緑肥作物を畑にまいて、青いうちにすき込んで肥料にする。(半年かかる)
思った以上にうまくできていない。 
原発事故以降、止められた方が30%ぐらいいる。
経営的には大変だが、この場をしのいで、何年か後には落ち葉を集められるようになると思う。
祖母の気持ちが大きい。 養子としてしっかり生きていこうと思う事がこの事を生んだと思う。
100歳まで百姓を務めていきたいと思っている。