2013年4月30日火曜日

安藤忠雄(建築家)        ・私と直島の25年

安藤忠雄(建築家)   ・私と直島の25年
1941年 大阪生まれ  高校卒業後、独学で建築を学び 日本建築学会賞をはじめ、数々の賞を受賞 2003年には文化功労者に選ばれるなど、世界的に活躍する建築家です
コンクリート建築で知られる安藤さんが、直島の再生に取り組んだのが、1980年代でした
当時、瀬戸内の島は公害で緑が少なくなっていました
島に緑を取り戻し、文化の島にしようと、いう試みは25年たった現在は、世界の最先端をいく現代アートの島となって、多くの観光客が訪れるようになっています
ことしもこの春から秋にかけて、瀬戸内国際芸術祭が開かれています
島の活性化に取り組んできた安藤さんに25年の歩みを伺います

瀬戸内海には島が2000ぐらいあり、そのうち人間が住んでいるのは、400ぐらい
瀬戸内海は江戸時代から世界中の人が世界一の内海だと言っている
1988年に福武 總一郎さんという人が直島を買った 瀬戸内海に浮いている文化の島を孵化した
卵が産まれた 当時は島は荒れていた   島を文化の島にしたい福武さんは思った
岡山と高松に連絡船があった 岡山から最初の連絡場所が直島
島は荒れていて、亜硫酸ガス等で、禿げている 砂利や石をとって荒れている
美しい海にするという事で、山を美しくしてそのあとに、ホテルや美術館などを造るんだと
美しい棚田、美しい民家を残し、古い民家に現代美術を入れようと言いだした
非常に難しいことだと言ったが、一人の人間の情熱は凄い

大阪生まれ、大阪育ちで、大阪で仕事をしているが、学歴がない人間が、情熱があるからあの人に仕事をさしてやろうと人がたくさんいてくれたので、今までやってこられた
私の仕事は韓国、中国、台湾、アブダビだとか、なんです
ほとんどアジア、ヨーロッパ、米国等もあるが、事務所の全収入の8割が外国 残りの2割があるが、東京、北海道などで、大阪はゼロです

直島は2500人  40万人来る 
1993年 最初1年間に1万人 5年後に4万人 現在は40万人
最初のころは島の人たちは外からいっぱい人が来て嫌だと言っていた
15年後に変わった うどんや、民宿、コーヒーショップをしようと変わってきた
70歳超えた人たちが働く  日本の街作りの見本
安藤ミュージアム(100年前の古い民家を利用) 外から見ると古い民家 中に入ると現代建築
日没閉館 照明がない 自然光で見る 暗くなったら帰る

新渋谷駅 地下30mですが、駅を設計したが 上から入ってくる風と、鉄道が走る風で冷房する
私はアイディアと設計をしたんですが、これを可能にしたのは、いろんな人たちとの提携で造られた
この原点が住吉の住宅 1976年にできたもの 14坪の細長い家に真中が中庭 総工費1000万円という事で、中庭に入ってくる光と風だけで生活する 暖房は自分で考える
家の評判は悪かった 夜中にトイレに行こうとすると、雨のときは傘を差さないといけない
近頃は究極のエコハウスと言われている  これが渋谷駅、直島につながっている
自然がエネルギーになっていることをもう一度考え直したほうがいい

直島  海を綺麗にする 1985年ぐらいから、工場が外国に行くようになった
韓国、中国ベトナムなどへ  空き地には木を植える (10~20cmの苗木)
段々大きくなると養分が海に流れる それでプランクトンが発生、小魚が寄ってくる 
循環型社会であるという事が判った  手島 産業廃棄物を捨てる島 河合隼雄先生(文化庁長官)  中坊さんと私たちが、手島にも木を植えろという事で、ずーとやり続けている
自然を回復させながら、自然と生きてきた日本人の生活の在り方を風景として残してゆきたいというのが福武さんだった  私もそれに乗ってよかったと思う

棚田は美しい  外国人が明治に来た時に、多くの人たちが棚田をああいう風に作っている生活が美しい、細やかな生活が美しいと言っている  美しい風景を瀬戸内海に残したいと思うと同時に、現代美術は購入すると高いから美術家が直島を見て、俺もここで作品を作りたいと
自分で作ってもらうといいと  そういう風にしながらそこにしかできない風景を創ろうとして、割とうまくいく
地中美術館 地下に美術館がある モネの水蓮の絵がある(目が悪くなってきたころの絵)
上から光が入ってくるようになっている  全然照明していない  漆喰壁
モネの絵は自然光でしか見えない  上に上がると海が見える(綺麗な海が)

自分の原点を探す  原点になるものを若い学生は持たないといけない
20代の初めに神戸新聞の社長にどんな本を読んでいるのかと尋ねられ、建築の専門書しか読んでないというと、駄目だ、もっと考える本を読めといわれる
「宮本武蔵」 何度も読み返す 幸田露伴の「五重の塔」 和辻哲郎 「古寺巡礼」「風土」  
自分の原点になる本を持たないといけない
 
自分の原点は六甲山と瀬戸内海  六甲山は100年前 木が一本もない 木を伐採してエネルギーにした  その後植林した 全部植林 調子の悪い時には六甲山を見た
その原点が、本であったり、瀬戸内海、六甲山であったりするが、次の時代の子供たちのためにしっかりした風景を作っておきたいと思ったのが直島の風景だったんです
保育園、幼稚園、小学校、中学校は全部木造で作りたいし  作っている
子供のころは自分たちの感性は木造です 
中心 広い縁側  年齢の違う子供たちが集まって対話をする  縁側で語り合う
芸術を創っている ボランティア 4000人(常時ではないが) だいたい大学生
家も与えない、寝るところも考えてもらうというボランティア (考え方が変わる 家にいると親が全部やってくれる 10人のうち、2人ぐらいは考えが変わると思う)

先の判らないところに挑戦しているのが、芸術家
心でトレーニングすることは大事(携帯電話の時代に)  ともに生活する 自分たちで生活する
ボランティア こえび隊 3年に一回やる 段々増えてきている (いろいろな芸術大学の学生)
劇団も来たりする 演劇者は生命力がある 生命力のある人間になってほしい
お客は100万人(半年) 皆何かを求めている 今まで人生が70歳ぐらいであったのが90歳ぐらいになってきた どこかに行って刺激が欲しい、どこかに行って自分を探したい、どこかに行って美しい風景を見たい、という気持ちがあると思うが、もうひとつの自分を探したい
大体女性のほうが多い 

日本の特徴は長生き 特に女性は元気  大きな力は好奇心 男性はもう寝ていると
益々好奇心のレベルは高くなってきている  目標が持てれば人間は元気に綺麗になってゆく
日本の社会の悪いのは理想がなくなった事  民族の民度が低くなっている
心の中に青春を取り戻さないといけない
20代 こういう事をしたい、こういう事をやりたいこういう風に生きたい もう一回思いだして70代、80代でも十分に青春を取り戻せる訳ですから  100歳まで生きても寝ているだけではね
新しい世界を切り開かなければいけない

東北の大震災で、遺児育英資金「桃・栗育英会」をやっている 
1万円を10年間払い続けている人を探そうと
100人以上申し込んでくる 年で1万8000人 8割が女性  今でも突然100万円申し込む人がいる  子供たちのために自分ができることはと考えて、やるんでしょうね 今では39億円集まった
瀬戸内オリーブ基金 阪神大震災でも育英基金を行った
日本の国に何がないかというと ①ものを決断しない  ②責任取らない ③スピード無い
これではアジアの人たちと付いていけない
韓国、責任感と決断力はある   アジアと共に生きることを考えないといけない

アジア、ヨーロッパの人たちは好奇心旺盛  自分の豊かな生活は金では買えない 
自分の心の豊かさも金で買えない  好奇心しか方法がない
いくらエネルギーがある 食糧、食事もしても何の役にも立たないでしょう
国を元気にするには、個人が大事 個人が元気でないと国が元気になるはずがない
1945年敗戦のあと、1950年代に来た外国人の外交官、商社マンが日本は必ず復活するといった  なぜなら子供の目が輝いている 大人がよく働く 楽しそうだと
お金ではなくて目標があって、目標が自分の青春の心を燃やしていた あの頃元気だった
1980年代 お金が出来てきて、日本人は理想、青春だとかを全部忘れてしまった
お金があれば豊かになったと、いくら立派な洋服、時計 とか身にまとうが
バブル崩壊後ずーっと停滞している なぜかというと青春の心を持った人がいなくなった

中央の東京が元気でないと駄目だし、地方は自分たちで元気にならないといけない
大阪は大阪なりの豊かさ、元気さを取り戻さないといけない
自立心育てる  子供の教育が大事  放課後が大事  今は学校が終わった後は塾に行く
同じような人間ができる  絵、音楽、野球をするとか自分が何をするかという時間を持たないといけない そうしないと自立する心ができない
放課後がない子供たちが突然22歳で、大学を出たとたん、自分で考えていかなくてはいけない

あのはげ山を緑一杯にして、あのはげ山に現代美術があって、世界中の美術家が豹変したいと思ってやってくるという風にしたいと思った 福武さんのその思い、勇気が凄かった 
なしえた原点とは→情熱と持続力  今の日本人は情熱が薄い 持続力がない
木を植える 水をやる 上から水をやると上を向く 
やらなかったら下を向いて地下水を捕まえに行く  あんまり水をやらなかったら枯れてしまう  
日本の子供はどんどん上から水をやるように、自分たちが過保護に育つ いつも上のほうを向く
親のほうの顔をむく  これでは本当のものはできない 
自分の考え方をしっかり組み立てられないといけない

文化交流を通して、日中、日韓 国はぎくしゃくしているが 文化交流で寄与していきたい