細谷亮太(小児科医・俳人) ・スペシャル対談】(詩人 工藤直子)
子どもに寄りそう事をテーマに語り合いました。
工藤直子さんは1935年(昭和10年)台湾台南州生れ、83歳、お茶の水女子大学を卒業し、大手広告代理店でコピーライターとして仕事を始めます。
1983年(昭和58年)『てつがくのライオン』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。
『のはらうた』に代表されるように子どもも大人も楽しめる優しい言葉でかかれた詩は小学校の国語の教科書にも収録されています。
お子さんはお一人、漫画家の松本大洋さんです。
細谷亮太さんは1948年山形県生まれ、71歳 東北大学医学部卒業後聖路加国際病院小児科勤務、副院長も務める。
専門は小児がんとターミナルケア、育児書や小児科医としてに日々の暮らしの中で感じたことを、エッセーとして発表されるなど沢山の著書があり、細谷喨々の俳号を持つ俳人でもあります。
お子さんは4人、お孫さんは8人います。
工藤:若いお父さんお母さんを応援しています。
昔はこれをしろ、するなと言う事があり、うっとうしいがそれに従っていればそこそこ人生行けるんっじゃないか、と言う様なものでもあった様な気がします。
終戦が10歳の時で、価値観がひっくり返りました。
その後今はITスマホ、人生の基準、モラルが混とんとしていてしょうがないと思います。
新しい何かが生まれてくるのかなあと思っています。
年寄りは応援すべきだと思っています。
子どもたちとつきあってみて、君ら新芽だね、と思います。
細谷:赤ちゃん検診で3つ位まで付き合います。
病気と闘っている子とも付き合ってきました。
健康な子どもたちと同じ様に育ってほしいと思って応援しています。
可愛いなと思って、優しくするのが原点だと思います。
その後ルールとかをきちんと教えることも重要になってくると思います。
工藤:私は母親的母親ではなかったと思います。
私が1歳10カ月位で母ががんで亡くなりました。
父はあれをせよ、これをするなとかを言われたことが無いんです、怒られたことも無いです。
1度だけ言われた事がありました、子どもが歌うような歌ではない歌を大きな声で歌っていたら、「おい直子、何とかならんかその歌は」、と一度だけです。
私は子どもに対してはちゃらんぽらんでした。
細谷:恵まれた環境にあれば人間はあまり叱ったり怒鳴ったりしないものだと思いました。(アメリカ時代)
東京に戻ってきたら、子どもたちにとってはあんまりいいものではかったかと思います。
こうしたらこうなると言う訳でもない。
工藤:女の人は初めてお腹に赤ちゃんができた時には吃驚します。
つい周りの経験者、本とかに頼りますが、色々ご意見があり混沌として、結論として要らないと思いました。
私とお腹の赤ちゃんとはたった一つの組み合わせなんで、二人でやっていこうと思いました。
細谷:男としては急に出てくるので、難しい訳です。
この頃はお産の時も付き合ったりするようになってきたので、昔ほど疎外感は無くなってきていると思います。
工藤:このごろのお父さんは守備範囲が広いですね。
自分なりのハイタッチパパになってくれるとうれしいです。
細谷:最初に母性を父親も母親も発揮して、ある程度の歳になって父性をちょこちょこだしてゆくことが大事だと思います。
本当に困った時に助け船をだすというと言う事はお父さんとしては良い役で、母性的な事をやれたりする。
細谷さんを宗匠とする俳句仲間。
工藤:句会を始めて8年になります。
細谷先生の癖は「大丈夫」、ちびちゃんへのオーラがお婆さんにも感じるわけです。
細谷:工藤さんに会う前から知っていました。
思った通りの人だと思いました。
工藤さんの「あいたくて」の詩集から好きな詩。
題名は「なぜ?」
「勉強はなぜしなくてはいけなくて
拾った犬はなぜ捨てなくてはいけないのかなあ。
あの日犬と私は目が合った。
目が合えばカナブンでも毛虫でも身捨てちゃいけない。
あれは生き物の合図だから。
抱いて帰る間だけ犬も私も笑った。
せめて食べさせてから捨てましょうと大人が言った。
いけないそれは断じて優しさではない、愛ではない。
お腹をパンパンに膨らませてしっぽを振っていた小犬よ。
その夜私は世界中と他人になった。
歯は何故磨かなくてはいけなくて、拾った犬は何故捨てなくていけないのかなあ。」
工藤:これはいまだになっても、どうしていいかわからない問題です。
どう生きるかに関わってくることで、答えを出さない方がいいと思っています。
工藤:好きな細谷先生の句
「ため息のみ 残る空檻 夕蛍」
「故郷の動物公園は」と言う添え書きがあります。
動物が死んで空になってる檻に動物のため息が残っているんだろうなあと思いました。
細谷:熊が居なくなって、閉じ込められた気配だけ残して居なくなった。
工藤:吉祥寺に動物園があってヒグマがいました。
「ヒグマ」
「セメントに腹を乗せ、でかいヒグマは頭を掻きました。
東京の熱い空気を掻き散らしながら、塊の毛を掻きました。
かゆいかゆいセメントがかゆい、檻がかゆい。
セメントに腹を乗せ、でかいひぐまは東京の空を見上げました。
俺は子どもが欲しい、あの灰色の雲のような柔らかいのが欲しい。
でかいヒグマは歩き始めました。
小さな檻の中を故郷に向かって歩き始めました。
故郷へ、土の匂いのするところへカシッ、カシッと歩き始めました。
でかいひぐまはもう歳でした。
或る日檻は空っぽになりました、
だが足音だけはいったりきたりしていました。
カシッ、カシッと歩き続けていました。」
工藤:いつまでも忘れられない時には言葉が頼りになります。
細谷:子どもたちとの付き合いのなかでメモっておくと言う事はとっても重要だと思います。
子どもに過度の期待を抱かないようにする事が大事だと思います。
なるようになる、と言うような感じで大丈夫って思って、両親が(ひとり親が育てることもありますがその場合でも)一生懸命暮らしていたら、子どもはちゃんとわかってくれると思います。
工藤:細谷さんの句
「山笑う 私も少し 笑いけり」
細谷:良い季節が良いなあと思うようになるのは、歳を取った証拠なのかなあと思います。