2019年6月25日火曜日

髙樹のぶ子(作家)            ・作家として40年 新境地への挑戦

髙樹のぶ子(作家)            ・作家として40年 新境地への挑戦
1946年山口県防府市生れ、73歳。
1980年に作家デビュー、1984年「光抱く友よ」で芥川賞を受賞、その後女流文学賞、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞など数多くの文学賞を受賞しています。
現在は芥川賞の選考委員などを務めています。
2018年には文化功労者に選ばれています。
高樹のぶ子さんの最新作は季語を元にした短編集「ほとほと 歳時記ものがたり」。
高樹さんに季語の魅力やそれを生かした作品への思いなどを伺いました。


1980年『その細き道』を文学界に発表。
本も70冊を書いてきました。
今度こそと思って出してきましたが、ベストだとは思え無くて、まだ先大変だなあと言う事が繋がっています。
1984年「光抱く友よ」で芥川賞を受賞でようやくという安堵感がありました。
その後女流文学賞、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞など受賞。
賞を客観的に評価することも難しいし、選考委員との相性もあるし、賞と言うものに対する期待値が小さくなってきている。
現在は芥川賞の選考委員の最年長になっています。

大人をうならせて賞を取るにはどうしたらいいかを、中学生のころから心していて、「奥の細道」の感想文をかいて、こんなふうに書いたら大人は感心してくれるだろうと思っていて、大きい賞を貰ったりして、それが大きな間違いで、文学に取りかかったがそれではどうにもならないと言う事が何十年とかかりました。
今読みかえしてみると放浪する人間の悲しさ、自然を見る目とかを見る目を捕まえて居て書いていました。
中学の時にヘミングウエイの「キリマンジャロの雪」、サマセット・モームの「雨」とかに感動しました。
大自然と人間が闘って敗れる姿に感動したのはよく覚えています。
本当はそっちを書くべきだったと思うが、大人をうならせることはできないと思ったんですね。
圧倒されると言葉が出てこなくて、涙も出てこなかった。
人間関係を書くしかなくて、生の人間がぶつかり合って、それが一番面白いところです。
男と女のむき出しの人間関係が扱われていて、私の恋愛小説は少ないとは思いますが。

『マイマイ新子』 9歳の少女、日本版「赤毛のアン」の様な感じ。
自分の少女時代そのままです。
『マルセル』はサスペンスになっています。
最新作は季語を元にした短編集「ほとほと 歳時記ものがたり」。
全国紙に月一回2年間読み切りで掲載された。
俳句、短歌は季節と関連している。
ほとほとは春の頃(節分のころとも言われているが)神が訪れてくる。
神様がその木戸を叩く音が「ほとほと」で、ちょっと湿っている音(雪のせいか)、季節の香り、湿り気、感覚など全部季語は持っているので、日本語の豊かさの一番目に見えるのが季語ではないかと思います。
「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」という俳句があるが、
今であると同時に、戦前、江戸、平安時代でもあり、柿と法隆寺の「ごーん」はずーっと有るわけです。
時代の厚みの中のどこからでも聞こえてくる。
時間の厚みと柿の季節の日めくりの両方がそのワンシーンに内包されている。
亡くなった人を含めての心の情報、情緒など全部煮詰まったものが季語だと思います。

生活の部分の季語はほとんど失われている。
祭りなどもほとんど違うものになってしまっている。
小さな物語ですが、作ることは楽しいです。
短編小説などは大きい円弧の一部分を切り取って、全体を想像してもらうことは可能なので、円弧のどこを切り取るかは作者の自由でそれを膨らましてゆく、それを読んだ人はそれをもとに自分の体験の中で膨らましてゆきます。
これ好きだったと言うのは人によって色々違うと思います。
24編の中の20編は死者が登場します。
能の世界は死者が出てきて色んな思いを語るが、夢幻の世界、これだなと思いました。
季語は日本の宝だと思います、大事にしたいなあと思います。
生死を越えた繋がり方が暗示されると言うか、それを思い起こす事も出来るのが季節を持った日本の文化だと思います
或る一瞬のパワーで永遠を印象付けると言うか、ある一瞬を提示してその前と後はそれぞれ自分の体験に即して想像してくださると言う事が出来る、そういう余裕有る方法かなと思いまます。

長編小説はあるテーマがあって、言葉で簡単に伝わらないことであっても、伝えるために書くと言う事があるが、短編の場合はある場面を印象付ける、それだけを頭のどこかに摺りこむことができたら、その瞬間が記憶されることで何度も再生ができると言う事があると思います。
在原業平を主人公にした小説一代記を書いていて一番苦労しているのは、小説にする文体をなかなか決まらないところです。
雅な時代で日本の良さを表した時代だと思っていて、かっこいい男在原業平は光源氏のモデルになったと言われている人です。
在平業平の人生を見て見るとあの時代の苦悩みたいなものが見えてくる。
「あかず(満ち足りない)悲し」 女性にもてて幸せそうに見えて居ても、まだ十分ではない、足りないんだと言う事、仏教的なことと関わりあると思うが、それを光源氏がもっていた。
在平業平も「あかず悲し」の一生だったと思う。
それをてこにして彼の人生を語ってやろうと思っています。
文学はキノコのようにひそやかな湿った日陰のもので、それに共感してもらえるものだと思います。