萩原朔美(前橋文学館館長) ・【わが心の人】森 茉莉
森 茉莉さんは明治36年東京に文豪森鴎外の長女として生まれました。
昭和32年『父の帽子』でエッセイストクラブ賞を受賞しています。
その後幻想的な小説世界で評判となり、又週刊誌のコラム「ドッキリチャンネル」ではTV番組やタレントを率直かつ辛口な言葉で論評し、注目されました。
昭和62年6月に亡くなりました。(84歳)
若いころは寺山修二さんの劇団演劇実験室「天井桟敷」で出演、演出の仕事もしていました。
その後、丸山明宏(美輪明宏)との共演作『毛皮のマリー』での美少年役が大きな話題となる。
美輪さんの演技がうまくてとても太刀打ちできないと思い辞めました。
最近その重石がとけました。
文学館は資料を見せる、収集している文豪、詩人、歌人がどういう生き方をしてきたのか、どういう作品を書いてきたのか、ガラスケースで味あう訳ですが、中々それだけだと人は興味
を持っていただけないので、イベント、講演会、リーディングシアターをやったりと言う事で文学作品に出あってもらいたいとイベントをやっています。
祖父は詩人の萩原朔太郎、母は作家の萩原葉子。
私はエッセーを書いています。
母親と森 茉莉さんは友達だったので、家に訪ねてきたりして小さいころから面識がありました。
こんなに自由に自分の好きなことをやっていられる人がいるんだなあと思いました。
洗濯をしたことがないと言うことだったが、新しいい下着を買って夜中に川に捨てに行ったと言う事でしたが、そこまで自由に生きられると言うのも凄いと思いました。
からかわれていたのかも知れません。
家に入った時にはこれは絶対掃除はしていないと思いました。
TVを見て居て大きな音を出すのと、風、音が入ってくるのが厭なのか窓を開けていなかったようです。
遮蔽した空間で物を書きたかったのかもしれません。
作品は夢のような世界が現実で、自分の周りの本当の現実は彼女にとっては現実ではないとそういうふうに思いました。
TVはベッドの足先にTVがあり、枕側に本が積んであり、背もたれにしていたので、寝る時にはどうするのかと聞いたらそのまま寝ると言う事でしたが、本当に吃驚しました。
原稿もそのその態勢で書いているのかもしれません。
週刊誌のコラム「ドッキリチャンネル」ではTV番組やタレントの好きな人はとことん褒めて、厭な人はとことんこきおろす、はっきりしていました。
自分が作り上げている世界がいちばん重要で、テーブルの上が散乱していると言う事は大したことではないんじゃないかと思います。
自分の息子が片づけようとしたら非常に嫌がったと言う事を話していました。
自分の子どもの好き嫌いも平気で言うと言うことです。
料理を作ってくれると言う事があったが、本当にそうなのかは判りません。
本には紅茶の入れ方も書いてあるが、メーカー名から始まりこと細かく書いている。
森 茉莉さんの世界は本当に優雅な人生を楽しむ事をゆったりとした意味の無い優雅さみたいな、意味の無い無駄と思えるような時間こそ、快楽に結びつく時間こそが大事だと言うふうに言っている様な気がします。
「本物の贅沢」というエッセーがあり、現代は偽物贅沢の時代であるといっています。
本当の贅沢な人間は贅沢と言う事を意識していないし、贅沢の出来ない人にそれを見せたいとも思わないのである、とおっしゃっています。
偽物贅沢の奥さんが着物を誇り夫の〇○社長を誇り、すれ違う女を見下しているのも貧乏くさい。
もっと困るのは彼女たちの心の奥底に贅沢と言うものを悪いことだと思っている精神が内在していることである。
茉莉さんは〇○夫人とか〇○出身とか関係なくて、大文豪の娘じゃないですか、又外国にも長い間行っています。
父親からこれ以上愛されないと言うように、身にしみている優雅さがあると思います。
父親と言うのは私にとっては恋人であるとはっきり言っています。
それが生涯に渡って続いています。
森鴎外を越える人ってハードルが高い。
自分の娘をかなりの年齢まで膝の上に抱っこするなんてちょっとないです。
僕の母親は父親に愛された記憶がないので、そこが決定的に違うと何回も言っていました。
室生犀星の娘の室生朝子さんも父親に愛されています。
萩原朔太郎はあまり家にいる時間が無かった。
本当にたまに家にいる時には合唱をしたりした記憶があるそうです。
自分が文章を書くようになって父親である萩原朔太郎はどうだったんだろうと、父親の文章を読んで調べたんだろうと思います。
茉莉さんと母親とはたのしそうな会話はずーっとありました。
茉莉さんの『父の帽子』は50代の後半で、小説を書いたのは51歳の時でした。
母親も50歳近くになってから書き始めました。
茉莉さんは喫茶店で何時間も書いていました、自分が没頭してしまう。
『枯葉の寝床』を美輪さんが演劇化してやりました。
それを見て茉莉さんは主役が駄目だと、アラン・ドロンでなければ駄目だといって、美輪さんも困ったと言っていました。
普通そういったことはまず言わないと思いますが。
茉莉さんは純粋無垢さは80代でも保っていました。(当人はそうは思っていなかったかもしれないが)
自分の良いと思ったことに突き進んで人生を生きられたと言う事は羨ましいです。
自由さを保てると言う事は物凄く大変な事ですが、スーッと実現できると言う事は羨ましいです。
感覚が物凄く研ぎ済まされていると思います。
言葉使いが独特で文体のリズムが独特です。
この漢字ではなくてはいけないというこだわりがあり、言葉を大事にします。
本物の紅茶の味、本物の料理、スープはこうだと言う事を、子どもの時に体験しているからでしょうね。
今は文学は本の売れない時代で、今こそ文字と出会うチャンスを一杯作らなければいけないと思って、敷居を低くするイベントをやっています。
映像も随分使っています。
詩集を声にして朗読すると言う事も工夫してやっています
リーディングシアターもやっています、ラジオドラマ的です。
群馬県出身の若手女性作家も注目していて阿部智里(20代)展をやります。