眞田岳彦(衣服造形家・女子美術大学特任教授)・【私のアート交遊録】真似ることは学ぶこと
イッセー三宅やイギリス、グリーンランドなどで美術や造形技術を学び、地域の暮らしとアートのかかわりについて研究を重ねて来ました。
帰国後も日本の衣服や繊維の研究を基に越後妻有アートトリエンナーレや自然災害を受けた地域での社会支援活動などに関わってきました。
眞田さんは衣服を人の生命、身体の象徴として造形しています。
衣服や道具などはアートとは違う実用物です。
同じ風土の中で同じようなものを作り続けなればならないところから、表現の上で重要な模倣という考え方が生れて来ます。
この模倣とは何か、オリジナリティーとは何か、令和時代に入っても大事なのは身体性でこれこそが暮らしやアートでも一番大事な個性だと言う眞田さんに、生きる上での個性とは、模倣、まねるとは何かについて伺いました。
(*全体的によく理解できなくて、上手くまとめられなかったので、理解しにくいと思います。)
僕の場合は素材はウールとか綿とか麻とか、合成繊維みたいなものも使いますが、繊維自体から加工して自分で形を作って行くと言う事をします。
ジャケット開いた様な一枚の布状にした服の展示が多いです。
20代に服のデザインの会社にいました。
29歳の時に糸を紡ぐことからやろうと思ってイギリスに渡りました。
グリーンランドにもわたりました。
生きると言う事は何なんだろうと探しました。
数か月歩いている間に、今歩いている僕自身が生きると言う事ではないかなあと思いました。
今ここにあることで今やらないといけないのではないか、それが生きることだと気がつきました。
ロンドンに帰ってきました。
グリーンランドは1970年代に言語が変わった。
グリーンランドがデンマーク領になる。
葛藤であったりする痕跡をどうにか表現できないものかと思って始めました。
人の生きざまを作ると言うような気持で服を作っています。
日本に帰ってきて越後妻有アートトリエンナーレに繋がっていきます。
最初に岩手の小岩井牧場にコンタクトを取りました。
2000年から始めました。
同じころに北川フラムさんが新潟で大規模に十日町で始めました。
十日町は「ちぢみ」という織物の文化があり、その文化をどうにか掘り起こしたいと思いまして参加することにしました。
編布(あんぎん)委員会という、 布を作る技術を伝承する会がありました。(縄文期の技術)
麻を素材にする。
編み方を直線でしかできないもの(ござみたいに)を曲線にできないかと考えました。
6000年変わっていなかったものが、色々工夫してようやく楕円形が生まれました。
2004年に中越地震があり、知っている人がニュースに出て居たりして自分に出来ることはないかなと考えました。
質感、色、模様などで、怖くない、傷ついている心を緩和するためにはどういう視点が必要なのか意見交換して、工夫した布(米、ぬかなど折り込んだ)を作りました。
熊本地震、とかでも行いました。
コットン協会の方たちと綿の種を植えて、綿で何かできるのではないかと言う様な活動をもしました。
美術は生活に密着したなかに明日の希望を見いだす事が出来る、それがアートなのではないかと思いました。
自由とは何かと言うとのは自分の所以を知ることだと思っていて、それが心の自由に繋がるのかなあと思っています。
何て自分は知らない事ばっかりだろうと身につまされます。
真似ると言う言葉は面白いと思います。
中庸みたいな考え、それがまずあって、素 あるがまま、その先に模倣があると思う、それは意識の真似だと思います。
それを重ねてくると取捨選択しながら個性に繋がって行く。
個性を越えて行くと素に戻るのではないかと思います、そして中庸に還元されてゆくと思います。
循環の中で僕たちはいるのではないかなと思います。
真似から模倣に移り、学ぶ、習うと言う事に移る。
世阿弥が出している「風姿花伝」のもう一つに「体用」と言う言葉があるが、体とは花である、用とは働きであるというが、用は香りであると、意識して香りを出しているうちは駄目だということだと言っています。
そういう事に繋がってくると思います。
葛藤の共感、実体験が共感をはぐくむものと思います。
育まれた事があるから例え夕日を見ても3,4倍と感動すると思う。
哲学者鶴見俊輔さんに限界芸術論があって、3つに分けられると書いている。
①純粋芸術の様なもの、②専門家が大衆に対象とした芸術(デザイン、工業製品など)、③非専門家が非専門家を対象とした芸術、それが限界芸術と言ってもいいと思う、それは祭りであったりおばあちゃんが孫に話す昔話、誰にも見向きされない労働着、そういったものは限界芸術として重要なのではないか、自分のいる日常的なものから芸術は生れなければいけないと書いてあるが、生活のなかにあるものから生れてくるのではないかと思います。
テーマとして「生きるとは何か」自分を探しているようなものですが、日本各地を歩くとまだまだ知らない繊維文化があり、一緒になってあぶり出しながら多くの人たちに共感の場を作っていきたいと思います。